第二話【誰が為に狼煙は上がる】5
「何……でしょうか、副団長様。お手紙、ですか?」
「たどたどしいなあ……さっき都から使いの人が来たの。女王陛下から旭さん宛てだそうですよ」
「女王……? そもそも、わしがここにいる事を何故知っておられるのだ?」
怪訝な表情を浮かべて旭はニャライに問うも「そんなの私が知る訳無いじゃないですかー」「そ、そうだな。すまない……」当然の答えが返って来て、唯々頷く他無かった。
「何て書いてあるんだ? 旭」「っていうか二通も来てんのか。どういう事だ?」「あ、こっちから先に開けるように言ってました」「順番があるんだ。何でだろ」
口々に喋る一同を意に介さず、ニャライから受け取った一通目に目を通し……旭は思わず笑みが零れた。
「旭さん、何て……?」
「まあ待て、そう焦るな。だがこれは吉報ぞ。今から読み上げてやろう。えーっと……」
光旭へ。
挙兵をすると風の噂に聞いたのでこの便りを寄越す。
我は京安の都を統べる女王、即ちはヒノモトの女王である白鳥と謂う。
其方の遠い祖先、光義日が我が国をカゲツの亜人共から守る為、身を粉にして働いてくれた事は昨日の事のように覚えている。
悲しい結果とはなったが、その意志を継ぐ者が漸く現れた事は心から喜んでいる。
さて、我は先日、久方ぶりにカゲツの寝首を掻く企てを始めた。
幾度となく奴を亡き者とする為の計略を立てては奴を逃し、返り討ちに遭って失敗してきたが、今度は宴の席で毒を盛ってやろうと考えている。
カゲツを毒で殺した後、我は都の貴族どもを率いてカゲツの残党狩りを始めるつもりであるから、其方には東ヒノモトの平定を頼みたい。
其方の復讐の本懐を奪ってしまってすまないが、なに、奴に恨みがあるのは其方だけではないのだ。許して欲しい。
それでは我等の計略が上手くいけば続きの文を寄越そうと思うので、それまで挙兵の備えを進めておくがよい。
「……という事らしい」
旭が読み終わるや否や、全員の目は二通目の手紙に向かった。
「分かったわかった、そのような飢えた物乞いの如き目を向けるでない。ニャライ、早く二通目を」
促されるままにニャライは旭へ手紙を渡す。
初めは笑顔で読み始めていた旭だったが……直ぐに険しい表情となり、そして最後には腕を振るわせてその場にしゃがみ込んでしまった。
「おい、どうしたんだよ旭!」「ちょっとニャライ、アンタ何書いてるかちゃんと確認したの?」「他人宛ての手紙の中身を確認するの?」「ハァ……先が思いやられるな、トキタロウ」
思いおもいの事を言う一同の中から、
「旭さん大丈夫だ、無理に読まなくていい」
その声にだけは安心して縋れる、そう旭は思って、
「だ……駄目だ、私には無理だ……」
弱音を漏らした。
「何て書いてんだ? トキヤ」
「読み上げていいですか?」
「いや、私が読む……わしが読むから……」
脚に力が入らずその場に座り込みながらも、旭は手紙を再び開いて読み上げ始める。
光旭へ。
挙兵をすると風の噂に聞いたのでこの便りを寄越す。
単刀直入に頼みを書き遺す。我を助けてくれ。
我が計略は失敗した。
カゲツは毒を呷り、確かに息の根が止まった。
だが瞬きをする間のような短いひと時が経った後、奴は息を吹き返した。
これで奴は首を斬り殺しても、魔術で焼き殺しても、そして毒を盛って殺しても死ななかった事になる。
思わず狼狽えて我は「何故貴様は死なぬのだ」と問い掛けてしまった。
すると奴の側近、椹と名乗った女が「密かに毒を無害な水にすり替えておいた」と言いおった。
だがそれは有り得ぬ事だ、何故ならこの毒は我が肌身離さず持ち歩き、宴席にカゲツが来る直前に酒に混ぜ込んだからだ。
即ち、奴は確かに毒を飲んで倒れたのだ。直ぐに起き上がってきたが、毒は飲んだ筈なのだ。
うっかり襤褸を出してしまった我は言い逃れが出来ず、今はカゲツ傭兵団の蔵に閉じ込められている。
そして昼とも夜ともつかぬ中、カゲツや奴の手の者に虐げられている。奴等は我の腕脚を踏み、首を締め上げ、この身を殴り、カゲツへの隷属を迫ってくるが、我は神の血を引くヒノモトの女王であり、この身体には傷一つ付かぬ故、我が心が折れぬ限りは奴等に屈する事は無い。
そう、屈する事が無いのは、我が心が折れぬ限りでしかないのだ。
この文が届く頃には、我はもう痛みに、苦しみに耐えられず、奴の支配を受け入れ、亜人共の家畜として生きてゆく事を誓わされているやもしれぬ。
例え我がそうなっていようと、其方は其方の本懐を果たせ。
この文を書いている今もまた、重い足音が近付いている。恐らく今日はカゲツが直々に我を虐げるのだろう。また重い拳を全身に浴びせられながら悪罵の限りで責め立てられて、我が気を失うまでこの身を、この心の全てを屈服させようと、責め苦を与え続けるのだろう。
間に合えば我を助けてくれ。間に合わなければせめて、我に斯様な文を書けるだけの人の心が確かに有ったのだという事を、ずっと覚えていてくれ。
「私に、果たせるのか……? こんな化物を相手に……!?」
「旭さん……」
読み終えた旭は、その場にしゃがみ込んで震え始めた。
「トキタロウ……私思ったんだけど、カゲツってひょっとして……」
だがその場にいた彼女以外の全員の……転生者達の気を引いたのは、カゲツ傭兵団頭領の毒を盛られた前後の様子に他ならなかった。
「ニャライもそう思ったよな。これはひょっとすると、ひょっとするかもしれねえ」
「首を斬り落としても死なない、焼かれても死なない……それってもう、丸っきり……だよね、団長」
「よくよく考えれば『傭兵団』なんてモンを率いてるんだ、その線は最初に疑って掛かるべきだったな」
そんな事をやいのやいの言い合う転生者達に、
「お前達は何を他人事の様に話しておるのだ!」
旭が喚いた。
「そうか……そうだよな。ここにいる者は皆、わし以外はこの化物と同じで何をやっても死なぬから気楽でおるのだな? わしの事なぞ気にも留めずに!」
「落ち着けって旭、相手が死なねえから何だってんだよ。お前の言う通りオレ達も同じで、あちらさんよりも死なねえ奴の数は多いんだ、何も心配するなって」
「お前は黙っていろ! 毎度毎度大事な話をしたい時にはぐらかされて苛つくのだ!」
手も足も出ない様子のトキタロウをヒョンウが声も無く笑ったが、
「お前もトキタロウを小馬鹿にしておる場合か!」
自分だけ旭の標的から逃れる事は適わず、引き攣った笑みを浮かべて肩をすくめた。
「だが……だがしかし、わしは立ち止まれぬ……! このまま座して死を待つ等、真っ平御免だ!」
「何だそりゃ。じゃあ初めから答えは決まりきってるじゃねえかよ」
「ああそうだな! お前達と同じだ! わしの命の替えが効かぬ事以外はな!」
「旭ちゃん落ち着いて。団長! もっと言い方あるんじゃないの!?」
「貴様に味方面されるのが一番腹が立つのだ! わしよりも背が高くてすらっとした身体でわしのトキヤを誑かしおって!」
「いやだからトキヤは別に旭ちゃんのものじゃないでしょ……」
前後不覚といった様子で喚き散らす旭に周囲がうんざりしている中、トキヤは何とかこの場を収めたいが良い案が浮かばずにいた。
何か、なにかいい方法はないものか……そう思いながら視線を泳がせていると、ニャライと目が合った。
目が合ったニャライは怒り狂う旭の後ろを通ってトキヤに近付く。
「何か良い案ない……で、しょうか。ニャラ……副団長様」
「もういいよ。普通に話して。キモいから」「……ごめん、ニャライ」 「いいから」
「で、何か無い?」「うーん……まあ、ぶっちゃけこの挙兵が失敗してもさ、私達はどうにかなる訳じゃん。旭さんに責任ぜんぶ押しつけたら」
「ニャライに相談したのが間違いだったよ」
「あー待って、最後まで聞いて? でね、まあ旭さんはそれが不公平で怒ってるだけじゃなくて、やっぱり上手くいくのかどうかが不安なんだよ。だから、明確に『コレでイケる!』っていうアイデアをトキヤが出してあげたら、旭さんも納得するんじゃないかな?」
「……お前には無いんだな?」「っていうかそんなのある訳無いじゃん」
「無いのかよ……ああそうかよ……!」
意を決してトキヤは立ち上がると、
「うるせえんだよてめえらぁ!!!」
声量で他を圧倒した。
「旭さん!」
その両肩を掴んで、真っ直ぐにトキヤは彼女と目を合わせる。
「俺は思うんですよ、旭さん。確かにあなたはここでタンジンに見つかるのを待っても、挙兵してカゲツにぶち殺されても、結局死ぬ事には変わらねえ。あなたから見ればそうだろう。だけど、でもだ!」
「わしに口答えしようというのか……? 流れ者如きが、身の程を弁えよ!」
「後から幾らでも弁えてやるから聞いてくれや!」
……暫し、二人は睨み合った。この行く末を、いい歳の大人二人は固唾を呑んで見守り、年端も行かない娘二人はどこか冷めたような、俯瞰的な立場から見ていた。
「……よい。言うてみろ。わしはいずれ一国の姫となる者ゆえな。これしきの事、大目に見てやろう」
「都の女王が捕まっちまって、今あなたまで諦めちまえば、もう二度とこの世界の人間は亜人に立ち向かおうなんて気を起こさなくなる。この先もずっと、亜人のペットか家畜以下の扱いを受け入れ続ける事になる。でもあなたが諦めなければ、例えあなたが死んでも必ず意志を継ぐ者が現れる。抗う意志を見せ続けている限り、抗うって選択肢があるんだって皆が気付いていられるんだ! だから……!」
「もうよい!」
綺麗事にはうんざりだ、そう言わんばかりにトキヤの横っ面をぶん殴ったが、
「最後まで聞いてくれ!」
トキヤは倒れず、再び彼女の肩に手を置く。
「だからあんたが死ぬまで付き合ってやるよ……! あんたの代わりに射殺されて、あんたの代わりに斬り殺されて! あんたの代わりに何度でも死んでやる! だから、あんたと一緒に歩かせてくれ! あんたと一緒に真っ暗で何も見えねえこの夜を抜け出して、希望に満ちた明日へたどり着くその日まで歩かせてくれ!」
……旭も、他の誰かも、何も言わず静まり返った。
かと思えば、ヒョンウが失笑し始めた。
「おいおい、何だそのくっせえ大演説はよお。百年の恋も冷めちまうぜ?」
「……トキヤ、アンタ、ちょっと言葉選びダサいよね」
「もうちょっとお洒落なやり方の方が良かったんじゃないかなー」
口々に酷評する転生者達を代表して、トキタロウが二人に近付く。
「ま、お前の気持ちは分かるけどよ……そういうフワッとした話じゃねえんだ。なあ旭、真面目に話がしてえんだったら、ちょっとオレ達と……」
何も返事をしない旭を不審に思い、
「おい、旭?」
もう一度トキタロウが問い掛ける。
旭の返事は……笑い声だった。
勝ち誇ったような、或いは何か……漸く欲しいものを手に入れられたような、優越感に満ちた高笑いだった。
そして旭は「お前は下がれ」トキタロウを腕で除けると「あ、旭、さん……?」誰の目にも自分の表情を見せないように、トキヤを角に追い詰めてその両頬を包み、顔を近付けた。
「その言葉が聞きたかった……私と共に、この暗い夜の帷から希みに満ち溢れた明日へ……! そう、お前だけが……いや、お前だけは……」
言葉を絞り出しながら、旭は涙を流して喜んでいた。
「お前だけは、私と共に死んでくれ」
「誰も死なせねえって、言ってんですよ」
「ははは……そうか。果たしてそう上手くいくかは分からぬが、お前のその心意気、私は決して嘲りはせぬ」
何はともあれ、ようやく旭は挙兵の準備が整った、そう確信している様子だった。




