遥か遠くの薬師、ユウグの手紙
薬師。それはこの国で最も重宝される存在だった。
「……パセリ―に、セージ。ローズマリーに……」
そう口ずさみつつ、霞がかった山奥で薬草を摘む男が一人居た。まだ若く、片手には『薬草書』を持っている。びっしりと書き込まれた文字には、誰もが勤勉の二文字を浮かべるだろう。
「よし、タイムだ! これで今日も先生の課題を達成したぞ! 遅くならないうちに帰ろう!」
男は背中に竹かごのようなものを背負って、下山した。
「あ、ヤム先生!」
ヤム先生と呼ばれた女性が、手を振って男に近づく。彼女は中に入っている薬草の数を見て、「あのね?」と優しく言った。
「完璧だユウグ。しかし……どうしてそう、余計なことをする」
「あぁ。このタンポポですか? 可愛らしいのが先生に似ていて、いつも摘んでしまうのです」
「お前という奴は……」
ヤムは深くため息をついて、彼の肩を鷲のように掴んで言う。
「そんな腑抜けたことを言っている場合ではない。ここは貧しい領地。身体が資本だ。ユウグ。そんな中で、お前の頭は一つも二つも突き抜けている。優秀過ぎるのだ」
「はい。先生が僕を拾って立派に育ててくれましたから」
ヤムが少し真剣な目つきになった。
「ライオール国に薬師として働く気は……」
「ありません」
きっぱりと否定の言葉を述べるユウグに、彼女は「はぁ……」と長いため息を吐いた。それほどヤムは、ユウグに心から慕われていたのである。
しかしヤムは、それが彼の人生を大きく縛っているのではないかと思っていた。
(この子は将来もっと伸びる子だ。こんな所に居るべきではない)
ヤムの目に映る、まだ幼い瞳は、まっすぐに『先生』を見ていた。まるで「次は何をすればよいでしょうか?」と問いかけるように。
ヤムは続けた。
「ライオール国は凄いぞ。様々な薬草に触れられる上に、戦争で傷ついた人たちを癒すお前は、きっと重宝がられる」
「僕がそれをすれば、他の戦士が傷つくだけです。僕は、この領地が良いんです。何もない土地だからこそ、身体が資本な国だからこそ。薬師は必要だと、僕は思っています」
「……そうか」
ユウグの黒い瞳の光は、太陽よりも眩しく思えた。「この領地が良い」と言われると、ヤムも断れなかった。そんな日が九か月ほど続いた。
――――しかし、ライオール国の戦況が悪化し、ユウグは徴兵に呼ばれてしまう。何とかしてヤムは、彼の才能を説明してみるも、王国側は「薬などよりも戦士が足らんのだ!」と、怒鳴り散らしていた。
ヤムが長い間匿うも、ユウグはさらわれるようにして、領地から戦地へと送り出されてしまう。ヤムの屋根裏部屋には、薬師の勉強するときに使われていたであろう鉛筆と、何枚もの手紙が置いてあった。
◇ヤム先生へ◇
僕は今、誰かを殺しているでしょうか。いえ、そんなことは決して致しません。では、戦争を止めるために、国王の玉座を血に染めるでしょうか。いえ、そんなことも決して致しません。
僕は先生の弟子ですから、きっとどこかで泣いている人の怪我の手当てをするでしょう。後ろから身体を貫かれようとも、一人でも多くの命を救います。
だから、先生の課題で集めた薬草を持っていきます。
さて。
タンポポというものは、生命力の強い花です。
踏みつけられても、また花が咲く。
先生、どうかこの世を呪って、薬師を辞めないでくださいね。僕はこの領地が良いんです。また僕が帰って来る時、多くの怪我人を迎え入れられるよう、新たな女の子の弟子も取ってくださいよ。
戦争はいつか終わります。僕たちは大きなものを失い、また、手にするでしょう。それが一体何なのかは、終わってからでしか証明が出来ません。
だから先生。あなただけは生き残って、この世の行く末を見守ってください。じゃないと化けて出ますよ。冗談です。今の僕の気持ちは、きっと今の先生と同じ気持ちです。でも、決して口に出さぬよう、お気を付けください。
お元気で。この領地では身体が資本ですから。
◇
ヤムは、手紙袋の中にタンポポの花が入っていることに気づいた。彼女の中でユウグの言葉が蘇る。
――――可愛らしいのが先生に似ていて、いつも摘んでしまうのです。
「ユウグ……私は、私はこの時代が……!」
ヤムが呪いの言葉を吐こうとした時、木製のドアを叩く音がした。その力ない音を発した者は、風邪に似た病気の女性だ。
今の彼女に出来ることを、ヤムは一通りこなした。きっと今、自分の弟子もそうしているに違いないと思いながら。
(ユウグ。私もお前も、きっと今しか出来ないことをしているはず。必ずお前が帰って来られるように、私も人の命を繋ぐよ。だから……)
「いつでも帰っておいで。ユウグ―ー――」
戦争は終わった。
しかし、ユウグの身体が帰ってくることはなかった。ヤムには沢山の弟子が出来ていた。彼女は戦後の一級薬師に任命されて、沢山の命を救ったという。
「これは興味深い!」
ある戦士たちが言うのである。「自分がされた処置と全く同じだ!」と。はて、これは偶然なのだろうか。そんなことを想いながら、ヤムは、弟子たちと薬草摘みに出掛けた。
沢山の薬草の名を呟きながら――――