第一話「力、目覚める」
「コリン、お前はもうクビだ。無能な人間をパーティーに抱えるほど余裕はないんでな」
クエストの帰り道、リーダーのモリスは冷たく言い放った。他の仲間と話していたかと思っていたら「あ、そういえば」というテンションで突然告げてきたため、コリンは衝撃のあまり口に加えていたビスケットをポロりと落とした。
「え、なんでそんな急に!?俺だって食糧供給係として役立ってるじゃない!」
「役立ってる、だあ……?」
モリスは目をヒクヒクさせながらつぶやいた後、大きく息を吸い込んだ。これはモリスの怒りが爆発する直前にするいつものクセだった。
「よくそんな偉そうなことが言えるなあ、コリン!お前の能力、『無機物を棒型ビスケットに変える力』は戦闘にも回復にも使えないクソ能力じゃねえか!」
「その代わり、長旅に必須な栄養源を供給できるだろう!そもそも俺の能力の噂を聞きつけ、『ぜひパーティに入って欲しい』と頼んできたのはあんたじゃないか!色んなパーティーに誘われてた中、あんたが土下座までしたから俺は入ったんだぞ!」
当時のことを思い出したのか、モリスは一瞬気まずそうな顔をした。しかし、すぐに気を取り直して冷静に言い返してきた。
「ああ、たしかにあのときはお前が欲しかった。ギルドに突然”恵み”を持った人間が現れたと聞いたからな。唯一無二の超レアスキルを持った”恵まれし者”が仲間にいるとなれば、パーティの格も上がる。しかもその能力が食糧生成と聞けば、そりゃ欲しいに決まってる。お前が加入してしばらくは俺も鼻が高かったさ。これで夢のAランクパーティーにも手が届くかもしれないってな。しかし、だ!」
モリスは急に声を荒らげた。
「いざ仲間になったらなんだ!?お前の”恵み”はただのパサついたビスケットを生めるだけじゃないか!喉が乾いてたまらん!長旅で使えるどころか、旅で何よりも貴重な水の消費量を増やしただけだ!」
「ただの、とはなんだ!訂正しろ!」
コリンは激高して続けた。
「いいか、無知なお前に教えてやる。ビスケットにはビタミンB1、ビタミンB2に加え、カルシウム、鉄、カリウム、ナトリウム、マグネシウムといったミネラル類が含まれていてだな……」
一気にまくし立てるコリンの顔の前に、モリスは「黙れ」と言いたげに手のひらを突き出した。
「旅のお荷物ってだけじゃない。肝心の”恵まれし者”はわけのわからないことばかり言う奇人ときたもんだ。ビタなんたらがどうとか、グリなんたらの菓子は神の産物だとかすぐに意味不明なことをどこでも語り出す。酒場で酔うと周囲にお構いなしに演説し始めるしな。みんな呆れて笑ってるというのに。無能で奇人な”恵まれし者”を手に入れるために土下座までした男として陰で蔑まれる俺の気持ちがわかるか!?」
「……。たしかに通じないことをつい喋っちゃうのは長年の習性で身についた俺の悪いクセだ。すぐ頭に血がのぼるのもな。これまでも迷惑かけてきたことは申し訳ないと思ってる。それは謝るし気をつけるよ。だからせめてクビは勘弁してくれないか?」
「そりゃあ無能と知れ渡ったお前を雇うやつなんかいないだろうから、クビにはされたくないだろうな。だが、これは決定事項だ。お前が変人というのもあるが、何よりも……」
モリスはコリンを見て嘲るように続けた。
「その味の薄いビスケットに俺たちはもう飽き飽きしてるんだ!」
様子を静かに伺っていた仲間たちは、この一言が合図だったかのように声を上げて笑い始めた。
「あーあ、それだけは言わないようにしてたのにー」
「せっかくの”恵まれし者”サマがかわいそー」
さっきまではパーティへの復帰を希望していたコリンだったが、この瞬間で彼の中の何かが切れた。
「こんなパーティー、こっちから願い下げだ!お前らがどれだけひもじくなって食いたいと言っても、二度とやらないから覚悟しとけよ!」
コリンはかつての仲間たちに背を向け、いま来た森へ引き返すようにズンズンと歩を進めた。「そんときゃ餓死を選ぶさ!」というモリスの声と哄笑が聞こえた気がしたが、怒りで頭に血が上ったコリンの耳には入らなかった。
「あいつら……。ビスケットを馬鹿にしやがって……!本当に美味いものも知らないクセに……!」
コリンがこれほどまでに怒ったのは、自分が笑われたからではない。彼の愛するお菓子が笑われたからであった。お菓子にはどれだけ人類の叡智が詰まっていて、人々を幸福にしてくれるものか、彼らに小一時間語ってやりたかった。
しかし、前世では数え切れない人々が彼のお菓子への情熱に耳を傾けたが、この異世界ではそうもいかない。この世界にはグリコも明治もブルボンもカルビーもない。ポッキーもきのこの山も堅揚げポテトもアルフォートもない。コリンがお菓子の魅力を万の言葉で語っても、”ない”ものは伝えようがない。彼が見せられるのは、その能力で生み出せるビスケットだけだった。そしてそれに魅力を感じてもらえない以上、モリスたちから見放されるのも仕方がなかった。コリンも心の奥底ではそのことがわかっている。だからこそ、自分の無力感が悔しくてたまらなかった。
一人であてもなく来た道を引き返してきたコリンは、やがて森の入り口にたどり着いた。森はとても静かで風がやさしく吹くたびに葉っぱたちがさらさらと音を立てるのみだった。長旅と仲間との喧嘩に疲れ切っていたコリンは、平べったい大きな石を見つけるとゴロンとそれに寝そべった。
「あーあ、これからどうするかな……」
三ヶ月ほど前に異世界に流れ着き、すぐにモリスのパーティーへ加入することになったコリンにとって、一人でやることがないというのは久々のことだった。これまでは彼らについていけばなんとか日々を過ごせた。モリスは乱暴で粗野な男だったが、右も左もわからない中でその強引さは頼もしくもあった。だが、今後はそうもいかない。何を目標にして、どう日々を過ごすべきかをすべて自分で決めなければいけない。
ちっとも前に進まない考えを巡らしているうちにどれだけの時間がたったのだろうか。コリンの腹が小さなうなり声をあげた。
「そういえば昼から何も食べてなかったな」
そう独り言つと、コリンは脇に生えている木の枝をパキッと折った。右手でそれを少しもてあそんだかと思うと、ピタッと動きを止めて意識を枝全体に集中した。
「今日の晩飯はこれかな」
日が落ちて暗くなってきた森の中で、枝は小さくもまばゆい光を放った。次の瞬間、13cmほどのなめらかな棒状のビスケットへと姿を変えた。そしてそれを口に運び、優しくかじりついた。このカリッとした食感がコリンはたまらなく好きだった。
「たしかに味は薄いけど、ほんのり塩味があって美味いのになぁ……。」
そうは思いながらも、コリンは昼間モリスが放った言葉を思い出していた。
「その味の薄いビスケットに俺たちはもう飽き飽きしてるんだ!」
「俺だって好きでこんな能力にしたんじゃない!異世界に転生して目覚めたとき、手足を動かせるのと同じようにこの能力が使えることに気づいただけだ。どうやら俺みたいに不思議な能力を持っている人間は”恵まれし者”と呼ばれるらしいが、どうせならもっと美味いものを生み出せたらよかったのになぁ!」
コリンは寝転がりながら、右手に持っている食べかけのビスケットを見ながら叫んだ。
「せめてこれがポッキーだったらよかったのに!」
次の瞬間、ビスケットは淡い光に包まれた。こんなことは能力を得て以来一度もなかったことだった。
コリンは慌ててガバッと起き上がった。
「まさか…!?いや、ここは異世界だ。何があってもおかしくない」
ゴクリとつばを飲み込み、コリンはもう一度叫んだ。
「これがポッキーだったらいいのに!」
再び淡い光がビスケットを包んだ。しかし、ビスケット自体に変化は見られない。
「もっと本気で念じないといけないのか?」
コリンは目を瞑り、頭の中にポッキーを思い浮かべた。
ポッキー。
コリンが一番愛している、彼の世界を広げてくれた存在。カリカリのビスケットを甘さと苦味が絶妙なバランスで混じり合ったチョコレートで包んだあのお菓子。そんなポッキーをはじめて食べたときのことをコリンは思い浮かべた。
「ポッキーだったらいいのに……!いや、これはポッキーになる…!もう一度食べるため、これをポッキーにするんだ!!」
コリンは目をカッと見開いて目の前のビスケットを見つめてそう叫んだ。次の瞬間、コリンの手とビスケットはまばゆい青い光で輝きはじめた。
「眩しい!さっきとぜんぜん違う!」
眩しさのあまりコリンは目をそらしたが、光はなお力強さを増していくかのようにコリンの手元から辺りを照らし続けていた。
どれだけ光が強くなろうとも、コリンはビスケットを手から離すことはなかった。むしろ何かを期待するように強く両手で握りしめた。そうするうちに光は段々と弱まっていき、ついには直視できるくらいにまで光は弱まっていった。
「ふう、やっと落ちついたか……。こ、これは…!!」
焦げ茶色のビスケットを艶のある黒いチョコレートが包んだ美しい一本の棒。
コリンの手に包まれたそれは、まぎれもなくポッキーだった。
コリンはためらいもせず、たった今生まれたポッキーにかじりついた。パキッという軽快な音ともにチョコレート部分が口の中に入る。前世を思わせる懐かしい味に、コリンの目から涙が溢れた。
「う、美味すぎる……」
チョコレート部分もビスケット部分も全部口の中に放り込んで味わってから、コリンは満足げに両手を広げて寝転んだ。さっきまであった無力感は吹き飛び、今では新しい力への期待と自信に溢れていた。
「世界一のお菓子、ポッキー。これを自由に生み出せるとなれば、使い方次第でいくらでもこの世界で無双できるんじゃないか?食糧問題も栄養問題も解決できるし、商売で富を築くことも余裕だろう。もしかしたら戦闘にも活かせるかもしれない」
コリンは昼間の出来事を思い出しながら、右手を強く握りしめた。そしてその拳を夜空に輝く満月へ向かって突き出した。
「俺はやるぞ!このポッキーを生み出せる能力で、俺とお菓子を馬鹿にしたモリスたちを見返してやる!いや、そんな小さいことは言わず、この世界で成り上がってやる!!」
静まり返った夜の森に、コリンの叫びがこだました。
ポッキー一本からはじまる成り上がり物語が、いま幕を上げる。