第5話「脱走」
真田カレンは、サンダー少尉に案内されてとある部屋へ入った。その部屋の窓からは一階フロアから検査中の人たちが見える。サンダー少尉は兵士を払い、真田に話しかけた。
「真田さん、単刀直入に言いましょう。あなた……ALSという難病に罹っていますね? 平均を上回る身体能力を持っているというのに、病というのは厄介です」
真田はサンダー少尉から視線を逸らす。
「もしかして、私は北米へ行けないのですか?」
速まる鼓動を抑えようと、真田は胸に手を置いて呼吸を抑えた。彼女の脳裏には、先程の通路で男が気絶させられた映像が浮かぶ。
「いや、そんな事はないです。そうではなく、真田カレンさんには機械化技術の広告塔になっていただきたいのです」
サンダー少尉がそう話すと同時、一階フロアでは身体検査が終わる。集められた日本人はある兵士から説明を受けていた。その様子を眺めていた真田は、サンダー少尉の話を話半分に聞く。
「ALSを完治することが可能だと世界的に認知されれば、機械化技術はより広く普及する事になる。なので、一般の方とは別に私と共に行動してもらいたいのです」
真田は説明を受けている人集りの中に、林田を見つける。彼の首にも自身と同様、ネームプレートが首から下げられていた。窓に手を付け、真田は段々と搭乗橋に人が流れていくのに気付く。こめかみに一筋の汗を垂らし、彼女はサンダー少尉に返答することを忘れていた。
「真田カレンさん? もしかして、あちらに知り合いがいるのですか? 大丈夫です、広告塔といっても自由な時間は確保しております」
「そう……ね」
真田は一階との高さを測るも、隣にいるサンダー少尉を見て考えを改める。一階をもう一度見渡した彼女は、100人を超える見張りの数に生唾を飲んだ。そして刻一刻と林田が搭乗橋へ向かう時間が近づいていた。真田は目を瞑り、いつも彼に言っている言葉を思い出す。
「私を頼りなさい。いつも、そういっているじゃない……」
「はい? すいません、もう一度何を仰ったのか」
真田は窓から離れ、部屋の入り口側の壁に背をつける。一呼吸彼女がつくと、突如部屋のライトが消灯する。サンダー少尉は耳に装着した通信回線を起動した。
「おい、何が起こっている?」
施設の中央監視室で通信を受け取った兵士は、ホログラムの画面を操作しながら少尉へ返答を行う。
「はっ。何者かが施設の電波をジャミングしたようです。あっ、また…… 」
回線がぶつ切りになり、サンダー少尉は通信を閉じた。その直後、ガシャンと激しい音が部屋に響く。彼が真田の方へ視線を戻すと、彼女が窓ガラスを割って飛び降る瞬間が見えた。駆け寄って手を掴もうとするも、彼女には間に合わなかった。しかし、真田は一階フロアの床に衝撃を最小限に抑えて着地を成功させる。彼女は電灯がオフになった薄暗いフロアを駆け、搭乗橋を渡ろうとする林田に合流を果たした。
「えぇ、カレン!? 俺より先に行っていたんじゃ」
真田は林田の車椅子を引き、出口へ向かった。
「いいから、とにかく逃げるの!」
「A班は混乱した搭乗橋前の彼らを落ち着かせろ! B班は車椅子の少年たちを追え! おい、俺のケースはまだか!」
サンダー少尉は回復した通信回線で部下に指示を行い、駆け寄ってきた兵士からショルダーケースを受け取る。取手についたボタンを押すと、ケースが展開してジェットスーツへと様変わりした。彼はそれを背中に装着し、走り出す。段々と彼の足が床を離れ、背中のエンジンは赤く変色する。彼が空中を移動し始めると、近くにあったゴミ箱は風圧で吹き飛ばされた。
「嘘でしょ……飛んでくるなんて」
真田が振り返ると、ジェットスーツを着た兵士たちが追いかけてきていた。彼らに気づいた彼女は、林田の車椅子の速度調整メーターをMAXに切り替える。後輪の内側にある鉄パイプの上に足を乗せ、角を曲がる時だけ片足を床につけた。林田は縮こまって目を瞑り続ける。
「もう、入口の扉開けられない!」
扉の隣には、カードをスライドさせて読み込む装置が設置されていた。ドンドンと扉を叩くも、彼女の力では変化はない。数十メートルに追っ手が近いた瞬間、電灯がチカチカと点滅を始める。
「開いた!」
その瞬間、開いた扉から2人は施設から脱出を成功させた。
フェンスゲートを越え、真田と林田は山道から外れた森の中を歩いていた。
「そんな、日本人を騙して北米へ攫おうとしていたなんて……」
林田は道すがら、真田から事情を聞かされる。
「それと、ネームプレート捨てた方が良さそうよ。これ、センサーが埋め込まれていて場所が特定できると思うの」
真田はそういうと、林田の車椅子を引くのを止めた。肩で息をする彼女を見て、林田は声をかける。
「カレン、俺のことなんか気にしないで逃げればよかったのに」
真田は林田の頬を強く叩いた。未だに息が荒い彼女は、絶え絶えになりながらも口を開く。
「ふざけないで! 私があなたを助けるのは贖罪なんかじゃないわ! 私が……あなたのことが好きだからよ!」
林田は真田の言葉に面を食らい、頬のジンジンとした痛みだけが身体に走った。2人が見つめ合う中、近くの茂みからミシミシと音が鳴る。顔を向けると鉤爪を持った2メートルのツキノワグマがいた。黒い体毛のそれは咆哮を放ち、真田カレンに襲いかかる。林田は彼女を庇い、熊の振り下ろした攻撃を胸に受けた。胸から血を噴き出し、彼は急斜面にブレーキをかけられず、車椅子と共に降っていく。真田は彼を助けようと動くも、熊に目の前を塞がれる。
「今度は私を襲うってわけ?」
真田は、突進してくる巨体に身構えるように目を瞑った。その瞬間、2発の銃声が森の中に鳴り響く。彼女が目を開くと、熊は激しい呻き声を上げ、両目を閉じていた。
「ようやく見つけましたよ」
空から声がして、真田は見上げる。サンダー少尉はエンジンの噴射音を立てながら、落ち葉を舞い上げて地面に着陸した。彼は自動小銃を構え、暴れ回る熊へ発泡する。鉛弾が頭を貫通すると、熊は仰向けに倒れて絶命した。
「真田さん、もう1人はどちらに?」
振り返ったサンダー少尉の蒼い眼光に後ずさりする真田は、無言のまま首を横に振った。
「そうですか。それでは、真田さんは私と共に来てもらいます。もちろん、拒否権はありません」
サンダー少尉は真田の脇腹に電気を流し込み、彼女を気絶させた。ジェットスーツのエンジン音を響かせ、彼は星空の下を飛行する。転がり落ちた林田は朦朧とした意識の中、夜空を飛翔するサンダー少尉に気づく。腕を伸ばし、掴もうとするも彼の手は何も触れる事はなかった。彼は両目から大粒の雫を落とし、か細い声を発する。
「また……また、俺は助けられた。今までの恩をいつか返そうと思っていたのに、もう2度と……返せないかも知れない。……あんまりだ」
「ほう、運命って奴を科学者が信じる訳にはいかないが……如何ともし難い」
林田はぼやけた視界の中、白衣を纏った白髪の男に見下ろされた。しかし、誰かと声を出そうとするも彼は眠るように意識を失ってしまう。