第3話「バス停」
林田は高校の階段を境にし、真田と別れた。彼は一階の廊下を進み、1のAと表示されている電子掲示板の前で止まり、扉に縁取られた長方形の窓ガラスから中を覗き込む。
「入学式を終えたのに、やけに少ないな」
林田はそう呟き、教室の中へと入っていく。彼が車椅子で移動をすると、目の前で話し込んでいたクラスメイト達は無言で左右へ避けていった。林田はため息を吐き、学籍番号が張られた机の前に車椅子をつける。振り返った彼は、自分を避けた彼らが楽しそうな雑談を再開しているのに気づく。
「そういえばお前、今朝政府から送られたメール読んだか?」
彼らの会話を盗み聞き、林田は机のホログラム画面を起動させる。画面には今日の予定が表示されており、授業があることを知らされた。
「あぁ、北米連合国が友好関係にある国へ無償で機械化技術を提供するって話だろ?」
「そうそれ、怪我とか風邪がすぐに治るんだってさ」
「でも渡米しなきゃ行けないんだろ? あとそれじゃあ学校休めなくなるじゃん」
「ハハハ、それな!」
彼らの会話に反応し、林田はスマホを取り出した。
「おーいお前ら、席に着け。授業始めるぞ」
「マジかよ」と愚痴が教室全体で嘆かれる中、林田はスマホをカバンに戻した。
「ラッキー、昼休みで授業は終わり……っと」
林田は屋上の床に横になり、弁当を入れた包みを脇に置いた。彼は青空を背景におもむろにスマホ画面を操作する。政府から送られたメールの本文には、クラスメイトの話と同じことが堅い文章で書かれていた。さらにメール内容をスクロールし、彼は場所や日時が書かれた部分を読み始める。
「何読んでいるのよ。あーこれか」
林田の隣に寝転ぶ真田は、アンパンを食べながら頷いた。彼女の存在に気づかなかった林田は、咄嗟にスマホをポケットにしまう。彼は上半身を起こし、弁当箱を開いた。
「純、やめなよ?」
真田は寝転んだまま、林田を見つめる。
「カレンには関係ないだろ?」
林田は箸を持ち、何も挟まずにいた。
「北米は怪しい噂をちらほら聞くし、もし何かあったら……」
真田が言葉を詰まらせると、林田は彼女に目を合わせた。その瞬間、彼女は弁当の唐揚げを一つ盗みとる。
「か、返せよ!」
林田は彼女の手を掴もうと、立ち上がる動作をした。しかし、彼は下半身が動かないことを思い出す。
「あっ、ごめんなさい! そう言うつもりじゃ」
真田は眉尻を下げ、彼の弁当箱に唐揚げを戻した。
「カレン、いつまで俺に罪悪感を抱いているんだ?」
「そんな、私はただ……」
「惨めなんだよ。カレンに助けられるばかりの人生だと思うとさ」
林田がそう言うと、真田は顔を背けて走り去る。彼は腕を伸ばして口を開くも、何も言わずに彼女が扉から消えるのを見届けた。
「はぁ、……おかしいだろ政府」
林田はおかずの入った弁当を包みに戻し、スマホを見る。そこに書かれた日時はこの日の21時を指していた。
林田は、紙を自室の扉下に忍ばせた。紙には、渡米するための施設へ行くことを書いた文言がある。彼は車椅子を頑丈な縄を使い、窓から地面へ降下させた。その後、自身の腰に縄をくくり付けてバンジージャンプの要領で地面まで降りる。ポケットのハサミで縛るそれを切断すると、彼は隣の車椅子に腰を下ろした。スマホに映る時刻表は、目的地に向かうための電車が後5分で出発することを示している。
「急がなきゃ!」
林田は街灯の灯りを頼りに、最寄りの駅へ向かって車椅子を飛ばした。それから彼が乗った電車は、10数駅の停車を繰り返す。目の前に広がる景色は段々と建物が減り、自然が増していった。下車すると駅の前に置かれた電灯を除き、薄暗い田んぼ道が広がる。彼はスマホを開き、ジト目になりながらも目的地に近づいていることを確認した。車椅子に備えたライトを使い、数キロ道を走る。
「あっ、あれかぁ?」
林田は、田舎道に建てられた錆のない真新しいバスの停留所を発見した。
「空港じゃなく、こんな奥多摩の田舎に施設を建てるなんて変だ……!?」
彼が停留所の前に着くと、ベンチには真田カレンが座っていた。お互いに驚いて数秒硬直するも、彼女はすぐに眼鏡を整えて調子を戻す。
「やぁ純、こんな所で会うなんて奇遇だね」
林田は何も言い返さず、彼女から少し離れてバスを待った。彼はチラチラと真田を見るも、彼女はピクリとも反応しない。
「カレン、あのさ……昼間のことなんだけど悪かった。少し……いや、結構言い過ぎたごめん!」
林田が頭を下げると、真田は「ふふっ」と小さく笑いをこぼした。
「私もあんなからかい方して悪かったわ。純といると落ち着くから……ついしちゃうの」
真田はバッグに生徒会の資料をしまい込んだ。また彼らに沈黙の時が訪れ、蛍の光りや鈴虫の羽音が見渡す限りの草花から発せられる。
「……やっぱり、足を治したい?」
真田は林田に呟くように話しかけた。
「うん。俺さ、カレンに助けられてばっかりじゃ嫌なんだ。カレンは3年前の感染症で1人ぼっちになって、本当は俺より辛いはず。なのに、俺の怪我のことばっか気にしている。だから、俺は機械化技術で足を治すよ」
「そう……だったの。私に教えてくれてありがとう。私も純に言わなきゃいけないわね」
真田は診断書を掲げ、林田に見せつけた。そこには筋萎縮性側索硬化症と病名が記されている。
「通称ALS、徐々に筋肉が弱って死んじゃう病気なんだってさ。私、最近その診断受けてまだ初期段階だから全然動けるけど……持って5年なのよ」
真田の淡々とした説明に、林田は言葉を失っていた。
「だから、私も機械化技術を受けようってこと。私、純には頼れる存在でありたかったから隠していた。……ごめんなさい」
「あっ……謝ることではない……と思う」
「アハハ、そうね。うっかりしていたわ」
再び沈黙が始まり、数分が経過した。
「こちら、北米連合奥多摩飛行場へのシャトルバスでございます。ご乗車はお早めに」
彼らの前で、軍服を着たバスの運転手が声をかけた。軍服姿の運転手が乗るバスは、2人が乗車するには少し大きい車体だ。林田と真田は施設へ向かう途中、時々顔を合わせた。しかし小さく声を漏らすも、言葉に詰まり黙り込んだ。
彼らはその状況のまま、羽田空港と同規模の巨大な飛行場へと道沿いで吸い込まれていった。