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第16話「アジト」

 北米大陸の東にあるここグランドキャニオンは、水平線の先まで赤い断層が広がる。均一ではなくいびつな形だが、不格好でもない。人工物のような、計算されたような、天然の神秘的な風景があった。そんなグランドキャニオン内を流れるコロラド川を、一隻のボートが航行している。彼らの船は、朝暘に照らされながら支流へ進路を切った。支流の奥には薄っすらと洞窟が見える。林田は秋らと同行し、夜を跨いで船へ乗っていた。徹夜してヘトヘトになった彼は、睡眠を必要としない身体だがここまで瞼を閉じたままだ。


「くちゅん!」


 林田は秋の風邪気味のくしゃみで起き上がった。目の前の神秘的な峡谷と川に観賞的な気持ちが湧き上がるも、彼は奥にいる無数の人影を発見する。


「あれがレジスタンス(ロマ)のアジトだ」


 秋がそういうと、林田は「ロマ?」とオウム返しをした。彼女は鼻をかみ終えると、口を開いた。


「やむなく逃げることを余儀なくされた人々を、そう呼んだらしい。ピッタリだろ?」

「……はぁ」


 船が陸に着き、林田は見えた人影の正体にうろたえた。四肢の一部を失った者、片目を失った者。彼の瞳には、船の周りに群がる数十人の人だかりの大半がそう映る。秋らは船に積んでいた食糧を下ろし、列を作る彼らへ渡していった。彼らは食べ物を受け取ると、洞窟の奥へと消えていく。秋は仲間に作業を任せ、林田に付いてくるよう指で指示した。


「はぁ!? 何で今回こんな少ねぇんだよ!」


 林田の背後で誰かがそう叫んだ。食糧受給に不満を漏らしたようだ。秋は気にすることなく、スタスタと洞窟へ向かった。


「何か揉めてますけど、大丈夫なんですか?」


 彼がそう声をかける。


「あぁ、お前のせいでババアから盗めなかったからな」


 秋が棘のあるセリフを吐くと、林田は「うぅ」と顔を逸らした。彼女は満足したかのように笑みを浮かべ、話を続ける。


「馬鹿か、あんな量盗めなくて困ってるわけないだろ? 単純に救助した日本人が増えすぎたんだ」


 林田は彼女の話を聞きながら、洞窟内の更なる悲惨な状況を目の当たりにした。ストレスやPTSDの影響を受け、横たわり廃人のようになった人々がいたのだ。頭髪は白髪や毛なしとなっており、痩せ細った肉付きをしていた。そこらを歩いたり、談笑をするものはほんの一握りだ。


「驚いたか? これでもマシなんだぜ? 大体が救出中に亡くなるか、ここで自ら命を絶つからな。残ってる奴らは皆、まだ生きることを諦めていない者だけだ」


 彼女がそう言い終わると、丁度洞窟の最奥へ着く。長いテーブルがその場所の大半を占めていた。テーブルの上には北米大陸の地図や、北米軍の資料などが散乱している。彼女は近くのベッドで横になり、目を腕で塞いだ状態になった。


「ふぅ、やっと一息つけるぜ。えーと、何だっけか」

「北米に攫われた人は、どこに収容されるのか教えてほしいです」


 林田は真剣な眼差しで、寝転ぶ秋へ聞いた。彼女はため息を吐き、テーブルを指す。


「その地図に赤くマークされたポイントが一つあるだろ」


 彼が目をやると、黄ばんだ地図の中にあるカンザス州のポイントに赤の丸い円がある。その円から枝分かれした青い線があり、サンディエゴに繋がるものもあった。


「奴らは田舎だがど真ん中にあるカンザスに収容所を造り、そこから北米全土にいる上位層に日本人を送っているんだ。青い線は奴らがよく護送車が使用しているルートを示している」


 林田は焦りながらも、僅かに笑みを見せる。


「じゃ、じゃあここに行けばカレンは!」


 秋は熱量を帯びた彼の声色とは対照的に、無造作な手振りで否定した。


「いや、その施設に送られた者は翌日には上位層の元へ移送される。1日経った……もう諦めろ」


 淡々とした秋の口ぶりに、林田は呆然と立ち尽くす。じんわりと拒絶した話が頭に入っていくと、彼は真田の顔が浮かんだ。


「私らは何百人と運ばれる日本人の中から、数人を救い出してるに過ぎない。まぁ、救い出したところで何が出来るわけでもないけどな。こんな穴倉で後27日、生きていかなきゃならねんだからな」


 林田はそう弱音を吐く秋の話を聞く耳持てず、トボトボとどこかへ歩いて行った。灯りが遠くなり、薄暗い空間で腰を下ろす。彼は座り込み、真田の言葉を思い出した。


「困ったら私を頼りなさい」


 と、彼女の口癖が何度も脳内に響いた。苦しくなった林田は自身の頬を力強く殴る。何度もするが、痛覚はない。彼の脳は痛みによる麻痺を覚えず、響く真田の声を打ち消すことはなかった。


「カレンを守れるぐらい強くなったら、俺が告白しようと思ってたのに。何もかも……何もかも先にいくなよ!」


 林田はさらに自傷行為を重ねようとするが、か細い誰かの声に止められる。彼が振り向いた先には、骨ばった姿の男性がいた。彼はゆっくりとした動作で、くしゃくしゃの紙を掲げた。


「こ……こ、れ、を」


 男はそう声を張り上げると、激しくむせ返った。林田は駆け寄り、彼の横に腰を下ろす。彼は林田の手にその紙を置く。


「愛してくれてありがとう、結婚してください」


 そう書かれた文面に二重線が引かれ、「君に出会えてよかった」とある。


「だ、ダメです! これはあなたが伝えるべき……です」


 林田は立ち上がり、洞窟の入り口から食糧を受け取った。すぐに痩せ細った男の場所に戻り、水に固形パンを浸す。それをスプーンで掬い、彼の口に運んだ。唇に僅かに潤いが戻り、男は微笑む。


「ははっ、やさ、しい、ね」


 男は懐からリングケースを取り出し、林田に手渡す。


「君、な、ら……頼め、そうだ」


 そう言い終わると、男はだらんと腕を地面に落とした。瞳から光が消え、片目から一筋の涙が垂れる。林田は彼の瞼を閉じ、ケースを開けた。中には紫青色の宝石が指輪に付けられている。


「アイオライト……人生に迷った時、道を示す石とされている」


 冷えピタをおでこに貼った秋は、壁にもたれかかりそう口にした。


「秋さんは、日本に帰りたいんですか」


 林田はケースをしまい、立ち上がって秋と見合わせた。彼女は林田の質問に、鼻で笑い飛ばした。


「俺はどっちでもいい。あんな親父の元に戻りたいとも思わねぇしな」

「あんなって、悪い人じゃないですよ……多分」


 秋は林田に背を向ける。


「まぁ単純に、しつこく科学者の娘だからって色々押し付けてきたのさ。それで嫌になって、留学したらこの様ってだけだ」

「そう……だったんですね。でも、お父さん心配してました」


 林田は、通信が途切れる寸前に車田が泣いていたのを知らせた。


「へ、へぇあの親父がねぇ」


 秋はグッと涙腺を堪え、拳を強く握りしめた。その姿を見た林田は、アイオライトをもう一度見る。


「秋さん、俺がみんなを助けるよ。ここで待ってて」


 林田は胸にUSBを差し込み、浮遊した。


「おい、どこへ行くんだよ……まさかお前」

「うん」


 林田は頷き、飛行して洞窟内を飛び出していった。


「秋、もう出るの?」


 秋は薬を飲み、小銃の弾倉を服の内側に身に付けていった。


「はぁ……感化されちまったみたいだ。俺が帰ると思わなくていい、これからカンザスへ向かう」


 彼女がそういうと、仲間は立ち塞がる。


「待て、君がいなくなったらここの奴らはどうするんだ!」


 秋は小銃を肩に乗せ、「どいてくれ」と話した。


「俺は運良く事故って、お前らと一緒にここに辿り着いただけだ」

「でも、あの時冷静に俺たちを落ち着かせてくれたのは君だ! 君がいなければ、レジスタンスだって創れなかった」


 彼女はため息を吐き、彼らに声を張った。


「このままグジグジやっても意味ねぇんだよ! ここで野垂れ死ぬのと、奴らに一泡吹かせるの、どっちか選べ!」


 秋はそう言い残し、彼らの横を通った。

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