籠城と漏洩(9)
自己主張の激しい固定電話。
それを横目に、風吹へと視線をやる。
長年連れ添ったバディへの、もはや条件反射ともいえるアイコンタクトだ。
完全に無意識レベル。
しかし、今回に限っては若干意図的であり、一方的な意思確認もあった。いや、無意識レベルの時でさえ、それなりの意思疎通やら確認やらがあったことは間違いないのだが―――――
いくか。
はいは〜い、いってらっしゃ―い。
なんで見送り姿勢なんだ!お前も一緒に行くんだよッ!
えぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ~!
――――――――――てな具合に。
しかし、どうやら今回は勝手が違うらしい。
俺にとっても。
風吹にとっても。
珍しく強張った風吹の顔。
俺の視線に気づくも、いつもうるさいほど雄弁な瞳からは、何の意思表示も感情も伝わってこない。
いや、違うな。正確に言おう。
風吹の瞳からは困惑と迷いが透けて見える。しかし、それは俺に返すための意図的ものではない。リアルな反応。隠しきれなかった心情の漏れ。
そう、これは長年の付き合いだからこそ読めたこと。だからといって風吹に何か言うつもりはない。なんせこれは俺の自己完結による一方的な確認作業。
それにしても、ほんと珍しいこともあるもんだ。
あの風吹が必死に無表情を貫きながらも、そのせいでかえって動揺を隠しきれていないなんて。
でもまぁ、この状況からすれば、そうなるよなぁ…………と、第三者目線で同情すると同時に、己の握った拳の中でじわりと滲み出した汗に不快さを感じて、俺も人のことはまったく言えねぇか…………と、内心で苦笑した。
そろそろだとは思っていた。
なんせ、あの熊のお膳立てだ。
もし来るなら、このタイミングだろうと、そう思っていた。
だからこそ待っていた。
心境は保育所でそわそわと親の迎えを待つガキ。
ハハッ……まじ柄でもねぇ。
「キョウ……ちゃん…………?」
恐る恐るかけられたサクラの声。
また電話に出ないつもりなのか?これもまた焦らし戦法なのか?と、眉をハの字にして俺たちの様子を、電話と交互にチラチラと見てくる。うん、相変わらずぶれない可愛さだ。
しかし、この電話に関して言えば、出ないという選択肢はない。ただ単に一呼吸欲しかっただけのこと。
そのため、不安げに揺れるサクラの青い瞳に向かって、余裕たっぷりにひらひらと手を振り「大丈夫。問題ねぇよ」と、返しておく。そしてそのまま上戸執事へと視線を巡らせば、こちらからはしっかりとした頷きが返された。
さすが元警視庁のネズミ。泰然自若ってやつですか。ほんと心強いことこの上ない。
だから大丈夫。
この先、何があっても…………
俺の身に何が起こっても…………
上戸執事――――――本宮さんがいれば、サクラは大丈夫だ。
たとえどれほど残酷な現実や真実が待ち構えていようとも、それを受け入れるだけの覚悟は疾にできている。
――――――な〜んて、らしくもなく感傷めいたことをつらつら思いつつ、やっぱ俺も風吹のことは言えねぇわ…………と、今度は内心ではなくあからさまに自嘲し、そして受話器を上げた。
「――――――――もしもし」
『おや?そのちょっと不貞腐れた声は……もしかしなくても、響くんですか?』
先ずは交渉人だった先程の刑事だろうな……などと予想して出てみれば、返ってきたのは耳に馴染んだよく知った声。しかも、この緊張感の中で不貞腐れたと来た。
どうやら向こうも俺のことを相当よくご存知らしいと、半ば呆れたように返す。
「そういう空気度外視の声は、ウチのボス…………久利生社長ですよね?」
ってゆーか、こんな非常時にそんなこと言えるの、熊かあんたくらいしかいねぇだろ!
という言葉を辛うじて呑み込み、確信をもっての問いかけだ。むしろそこに疑念やら怪訝の入る余地など微塵もない。
すると、受話器の向こうからは安堵混じりの妙に嬉しそうな声が返ってきた。
『えぇ。気付いてもらえて何よりです。おかげで自己紹介が省けましたし、身内の者に気付いてもらえないという悲しいことにならずに済みました』
あぁ、そりゃよかったな…………じゃなくて、いや、元より誰も自己紹介なんぞ求めてはいないし、そもそも俺とあんたの関係だったら、そこは一言名乗るだけで十分事足りると思うんだが?
とは、もちろん口に出したりはしない。
何故って、面倒だからだ。
というより、元気な時ならまだしも、既に疲労困憊である今は省けるものは省きたい。ただそれだけのことだ。
ちなみにこの電話の相手は、お聞きの通り、ウチのボスこと第三機関特務機動捜査隊、通称サードのトップ――――社長とも総隊長とも呼ばれている四十代のニヒルなおじ様(ウチの女子ども談)――――久利生功己、その人だ。
本部はどうしたんですか?暇なんですか?などなど問い質したいことは山程あれど、その中でも至極尤もで、ある意味愚問でしかない問いかけを、あたかも場繋ぎの世間話のように口にしておく。
「それで、何故サードのトップである久利生社長自ら、セキュリティ万全のサード専用回線ではなく、わざわざ他所の固定電話を使ってご連絡くださったのか、先ずはその理由からお聞かせいただいても?」
なんてことを白々しく言いながら、スピーカーボタンを押すのは必須事項。
ここにいる者たちは言わば運命共同体(タヌキ親父とその仲間たちは除外だが)。情報共有は当然のことだ。
たとえその電話の相手がウチのボスであったとしても。
そしてどうやらそこら辺のことは、ボスの方でも心得ているらしく――――――
『お察しの通り、サードの人間が他所様のビル内で人質をとって立て籠もり、非常に迷惑している。なので、今すぐ説得にきてほしい――――――と、警察の方に泣きつかれたからですよ』
「立て籠もり犯説得における常套手段。お涙頂戴ってやつですか」
『えぇ、それです。精神的圧力とも言いますがね……それはそうと、そこには風吹くんもいますよね?』
俺への問いかけのようでありながら、スピーカーとなっていることを前提とした風吹本人への呼びかけ。
それに応え、風吹が慌てて返す。
「い、います!」
『色々大変だったみたいですね。それで風吹くん自身は、無事ですか?』
「無事です!」
『それはよかった』
おーい。その質問はどういう意味ですかねぇ?
まさかとは思いますが、俺が風吹をこの件に巻き込み、危険な目にあわせているとでも仰っしゃいます?
えっ?自覚なしかって?
いやいや、俺は常日頃から危険回避を心がけてますし、むしろ危険の方からノコノコと菓子折り下げてやって来るんですよ。もちろん即座に返り討ち…………いや、その都度丁重にお引き取り頂いてはいるんですけどね。
それでも引きも切らずと言いますか、千客万来と言いますか、もしかして俺って祟られてます?
だいたい俺には、『無事か?』なんて優しい言葉がなかったように思われるんですが、気のせいですかねぇ。それとも、単なる被害妄想ですかねぇ…………って、ま、聞かれるまでもなく無事なんですけどね。
炎天下の中、爆弾抱えて平行移動で早歩きする羽目になっても、次から次に爆弾が増殖し、なんなら中にはリアルに爆発したものもありましたけど、五体満足でピンピン生きていますよ。なんなら自分でも、不死身か!と突っ込みたくなるくらいにしぶとくね――――――――と、内心で少々やさぐれる。
だからといって、決してそのせいではない。
『それで実際問題、響くんたちはそこで立て籠もって一体何をしているんです?できれば具体的に教えていただきたいのですが』
「情報漏洩と時間潰し故の籠城です」
それが何か?
具体的にと言われて、こんなざっくりとした返答になってしまったのは。
そう、決してやさぐれているせいではない。いや、最後の言葉(それが何か?)を口に出さなかっただけ、俺は全然大人だと自画自賛…………もとい、冷静に自己分析する。
しかしそれで、あっさり無罪放免となるはずもなく…………
『いやいや、情報漏洩と時間潰し故の籠城って、何がどうなったらこうなるんでしょう?確か響くんは爆弾の回収に行ってましたよね。その後のトラブルやら、新たな爆弾の回収とやらと諸々あったのは報告で聞きましたが、そこからどうなればこんな事態になるんでしょう?』
本当にねぇ…………
至極ご尤もな質問過ぎて、ぐぅの音もでやしねぇ…………
俺だけでなく、この部屋にいる全員が漏れなく遠い目となる。
俺自身のことで言えば、ほんと何がどうなればあの炎天下の爆弾運びから、急転直下の立て籠もりになるのか問い質したいくらいだ。
もちろんいるかもどうかもわからねぇ胡散臭い神様などではなく、数時間前の俺自身に、だ。
しかし、過去の俺に聞いたところで返ってくる言葉はたぶん同じで――――――
「成り行きです!」
すっぱりきっぱりと言い切ってやった。それはもう清々しいほどに潔く。
どうやら、周りの賛同も得られたらしく、皆がうんうんと頷いている。
そう、これは冗談を抜きにして、紛うことなき成り行きだ。
但し、途中からは偶発的、突発的なものではなく、サクラと上戸執事、そして熊と教授の干渉による計画的なものであり、必然的な成り行きではあるが、今ここで説明という名の暴露をする気は毛頭ない。
早い話、省略による時短である。
時間潰しの籠城をしていたと宣っておきながら今更時短って何だという話ではあるが、それはこの電話がかかってくるまでのこと。
ここからは一気に巻きだ。
そんな俺の返答に、ウチのボスも電話の向こうで苦笑となっているのがわかるが、こちらとしては知ったこっちゃない。
まぁ、このぶった切り感満載の返答に怒りもせず、苦笑とはいえ笑み零せるその懐の広さ(諦めの良さ)に、さすがあの熊と狂犬の飼い主だな、とは思いはすれども。
しかし、だからといってこのまま済ませてくれるわけもなく、別の角度から質問を重ねてくる。
『ちなみにそこに綾塔教授の娘さんって方もいらっしゃると、警察の方に聞いたのですが、本当ですか?』
「えぇ、いますよ」
『では、そのお嬢さんとこちらの会社の方を人質にとって、成り行きとはいえ立て籠もっている――――ということで間違いないんでしょうか?』
「あぁそれと……あとそのお嬢さん付きの執事と、爆弾の運び屋も一緒にいますね。しかし、誰一人として人質になんかとってませんよ。綾塔教授のお嬢さんもその執事も、そして運び屋とタヌキおや………失礼、こちらの会社役員さんも、俺たちに快く協力してくださっているだけで。あと役員さんのお付きが数名いますが、日頃のお疲れが出たようで、今は床で休んでますね。叩き起こしても構いませんが、幸せそうに眠っているところを無理やり起こすのは、いくら俺でもさすがに気が引けるっつーか………そこまで鬼じゃねぇっつーか…………」
一体どの口で?
といった視線が方方から突き刺さってくるが、もちろん“この口で”と、視線だけで返しておく。受話器の向こうからも聞こえよがしに落とされた盛大なため息が漏れ聞こえてきたが、そこはあっさり聞こえなかったこととして流しておく。
しかしだ。
あの問いに関しては、そう簡単に流されてやるわけにはいかない。
あんたは巧く受け流したつもりだろうが、生憎俺はそこまで愚鈍でもなければ、優しくもい。
むしろ何よりも大事なことだから、もう一度口にする。
今度はさりげなさを装うつもりもない。
場繋ぎでも、世間話でもなく、簡潔な問いに明確な意図を思いっきり含ませる。
「―――――で、何故、久利生社長自ら連絡を?」
「……………」
息継ぎほどの刹那の沈黙。
しかしそれこそが、すべてを語る答えのような気がした。




