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狂犬と博識ドール  作者: 星澄


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籠城と漏洩(1)

 時刻は19時53分。

 ようやく辿り着いた“テミス”の幹部であるタヌキ親父の私室。

 “話せない”という設定も何もかも忘れて『キョウちゃん!』と、俺の腕の中に飛び込んできたサクラの温もりと、香りに、ここまでのことが走馬灯のように脳裏を駆け巡っていったが、もちろんこれで終わりではない。というか、やり切った感満載で昇天している場合ではない。

 しかしここには、少々俺が腑抜けたところで、十分にカバーしてくれる頼もしき仲間がいる。

 但し……………………

「キョウ!感動の再会は後にして、さっさとこいつら縛るの手伝って!」

「狂犬様、お顔が……お顔が…………緩みすぎ…………クククッ」

 文句と上戸が、漏れなく付いてくることにはなるのだが。

 っていうか、俺の顔は全然緩んでない!上戸のせいで、やたら熱が顔に集まってしまったが、決して緩んではないはずだ!断じてな!

 まったくこいつらは…………とばかりに一つ息を吐いてから、サクラをそっと腕から解放する。

 駆け寄ってくる時に一瞬見えた愛らしい顔も、今は簾のように覆いかぶさっている髪のせいで見えない。

 本当はもう一度その顔を、青い瞳を見つめたかったが、それをここですれば、またもや文句と上戸が悪化することは目に見えているため、ここは賢明にも諦める。

 そして、癒しの欠片もない方向へと視界の矛先を向ければ、タヌキ親父が谷川によって拘束されていた。

 まぁ、谷川にすれば金払いのいい依頼主だったかもしれないが、所詮それも過去の話。下手すれば粗大ゴミ扱いで、あの世へと放り出されていたのだ。

 今やすっかり敵認定。遠慮も容赦もなく、持参した拘束バンドで両手足を意気揚々と縛っていく。

 うん、なかなかの手際の良さだ。

 そして敵認定された奴らを全員縛りつけたところで、自身の私室のど真ん中で床に転がる哀れなタヌキ親父の顔を覗き込んだ。

「あ、綾塔教授の娘は……話せるんだな」

「おいおい開口一番それかよ。でも、そうだな。それに関しては確かに嘘だ。だが、幼い頃に誘拐されたショックがないわけじゃない。それは見ればわかるだろ?」

 暗にあの幽霊スタイルがそうだと嘯いてやれば、タヌキ親父はギリと奥歯を噛み締めた。

 ま、俺自身、サクラの幽霊スタイルについて細かい事情やら背景など一切知らないが、誘拐される前のサクラはこんな髪型ではなかったことだけは確かだ。

 つまりは、すべての起因はそこに繋がるのだろうと、勝手に結論付けておく。 

「お、お前らは……一体何者なんだ……」

 床を這うような低さで絞り出された声。

 そういえばさっきも、この質問を上戸執事にぶつけ、『咲良お嬢様の執事ですが?』などとしれっと返されていたっけな…………と、呑気にも思い出す。

 そりゃまぁ、聞きたくもなるだろう。

 今の自分の状況を思えば、尚更に。

 もちろん答えてやる義理はない。が、俺はなけなしの親切心とそれなりの礼儀を弁えた常識ある大人なので、しっかりと答えてやる。

「サードだ」

「サー……ド…………」

 予想以上の驚愕。

 その様子に違和感を覚えないわけではないが、今は俺たちの目的を果たすほうが先だと、見て見ぬふりでさらりと流す。

「というわけで、早速通報してもらえるかな」

「なっ………どういう……ことだ…………」

 訝しさと不安、そして困惑と恐怖。

 それらを綯い交ぜに、タヌキ親父は震える声で疑問を口にしながら、虚勢を張るように俺を睨みつけてくる。

 とはいえ、こちらとしては痛くも痒くもない。

 むしろその視線を愉悦の笑みさえ浮かべながら受け止め、俺はタヌキ親父をただただ見下ろし、淡々と告げた。

「俺たちはここに籠城する。だから今すぐ通報しろ。お仲間の警察と、あんたの上司にな」

 


 俺に小突かれるままにタヌキ親父は通報と連絡を入れ、その間に風吹がうちの熊に一本メールを送った。言うなれば、次なる作戦決行の合図だ。

 そして、タヌキ親父に猿ぐつわを噛ましてから足蹴にして床に転がし、さてと…………とばかりに、改めてサクラと上戸執事川上さんコト本宮さんに視線を向ける。

 本宮さんは初老の執事スタイルで柔らかい微笑みを湛えており、サクラはおそらく、その簾のような髪のせいで目視はできないが、満面の笑みとなっている――――ように思われる。

 しかし感動の再会に花を咲かせている暇はなく、さっさと要件に入ることにする。

「この部屋にいてくれて助かった。もしまた別の個室とかだったら、余計な手間がかかっただろうからな」

「ふふふ。それは川上の強気の交渉?力業?のおかげなの。この人たちが私の事を舐めてかからないようにと、はじめからガンガン攻め立ててくれたのよ。口も、拳も、足も使ってね」

 楽し気に告げられた内容に、俺と風吹、そして谷川までもがギョッと目を剥いた。

 何故なら俺たちの予想と大幅に違っていたからだ。

 てっきり初老の害のない執事を装って、話すことができない設定であるサクラの傍にいる権利をもぎ取ったと思っていたのに、まさか実力行使でマウントを取っていたとは夢にも思わなかった。

 いや、さすがと言うべきかもしれないが、だったら何故このタヌキ親父は、この部屋の惨状を見るなり驚いたのだろうかと新たな疑問が浮上する。

 すると、俺の疑問を読み取ったかのように、上戸執事は朗らかにもしゃあしゃあと宣った。

「と言いましても、執事としての領分は十分弁えた上でのことですよ。もちろんお嬢様に、論文の複製という仕事を頼まれる以上、それに見合った額の請求及び交渉と、相応しいお部屋の要求はさせて頂きましたがね。しかし、狂犬様たちの到着が思いの外早く、一論文のつき100万という報酬を受け取りそびれてしまいました」

 いやはや、残念なことでございます…………と、わざとらしく首を横に振るちゃっかり執事に、俺たちの目はすぅっと半目になる。

 なるほど。執事としての領分がどれくらいのものをいうのかさっぱりわからないが(十中八九その領分を軽く超えていることは間違いないだろうが)、敢えて金の要求をすることで、タヌキ親父の警戒心を多少なりとも削ぎ落したというわけか。

 だからこそ、タヌキ親父は驚いた。

 三人もの屈強な見張りの男を、お小遣い稼ぎに走ったお嬢様と執事が沈めるなどという暴挙に出るとは、まったく思ってもみなかったのだろう。

 それも、相手は見るからに初老の執事。

 実際どんなマウントの取り方をしたのは知らないが、お嬢様の身を守る程度の護衛術を身に着けたそこそこ武の心得がある執事としか思っていなかったのかもしれない。

 それが、三対一を物ともせず、このざまだ。

 ほんと見る目がない。

 いや、この場合はただただ本宮さんの変装術を称賛するべきか。

 それにしても…………と、ジト目を向けたまま口を開く。

「俺が言った“籠城”って言葉にも顔色一つ変えねぇってことは、それも計算通りってことで構わなさそうだな?わざわざマウントを取ってまで、この部屋を陣取ってくれたようだし」

「それはさすがに買い被りすぎですよ。執事として、お嬢様により快適な場所を提供するのは当然なこと。そしてさらに言えば、待ち合わせの場所としても、最適なご用意のある部屋がいいと思っただけのことです。たとえば、それなりの幹部のお部屋で、それなりの機密が保存されたパソコンが置かれている部屋などが――――――」

 出来すぎかッ!

 まじで嫌になってくる。

 サクラにとってこれ以上のボディーガードはいないが、サクラへの気持ちに名を付けてしまった男としては色々と複雑だ。

 それもこの人に、十年前からしてやられてばかりの俺としては…………

 しかし、今はそんな嫉妬以前の未熟な気持ちを腹の底に沈めて、ニヤリと笑って見せる。

「だったら、せっかく用意してくれた部屋だ。次はこのまま世間様に向けて、機密の漏洩といこうか。サクラできるか?」

 俺の問いかけに、サクラは小さく跳ねてながら姿勢を正すと、「もちろん!」と、声まで弾ませてパソコンの置かれた執務机へと戻っていく。

 そして、革張りの椅子に座ると「川上、お願い」と声をかけた。

 それだけでサクラの意図するところが伝わったらしく、上戸執事は燕尾服のポケットからヘアゴムを取り出すと、ささっとサクラの髪を綺麗に束ねてしまう。再び露わとなったサクラの愛らしくも美しい顔に、思わず風吹と谷川が陶酔のため息を吐いたが、そこは背後から尻に蹴りを入れることでチャラにする。もちろん俺の中でふつふつと湧き立つ感情をだ。

 それからパソコンの電源を入れ、立ち上がるのを待ち、「パスワードの解読が先ね……」と言いながらキーボードをカタカタと打ち始めたサクラの真剣な青い瞳に、一度は腹に沈めたモノがぐるぐると渦を描き始め、その瞳に俺だけを映して欲しいなどという、醜い独占欲の塊がその渦の中からぽっこりと顔を出す。

 うん、重症化している。

 この感情の名を得て、自覚してからの数時間ぶりの再会。

 それも、それなりに危機的状況を乗り越えての再会だ。

 

 本当は腕の中に飛び込んできたサクラをもって抱きしめていたかった。

 本当は俺自身がサクラを守ってやりたかった。

 本当はサクラだけでも安全な所に連れ出してやりたい。


 しかし…………と、胸を塞ぐ塊はそのままに、「サクラ、頼んだ」とサクラの頭で手を弾ませる。

 すると、画面を見ていたサクラの青い瞳は俺だけを映し、眩しそうに細められた。


「キョウちゃん、任せて」

「あぁ、任せる」


 我ながら呆れるほどに単純だ。

 たったそれだけのやり取りで、胸の中の塊が呆気なく溶けていってしまうのだから。

 

 自嘲を床に落とし、顔を上げる。

 部屋の明かりを受け、闇色に染まる窓。

 今度こそサクラを守るために、サードの狂犬としての顔をそこへと映した。

 

 

 

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