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狂犬と博識ドール  作者: 星澄


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【挿話】博識ドールと執事と狂犬(15)

 我ながら圧巻だった。

 手話というより、指文字を使って棚に陳列されたファイルの背表紙を列挙していく。

 それを川上が読み解いて声に出し、その内容を聞いた護衛と思しき男の一人が叫ぶと、資料保管室の棚の前に立ち、すぐさま目視で確認した護衛のもう一人が『あってます!』と叫び返す。

 流れ作業…………いや、ちょっとしたバケツリレーの要領だ。

 その見事な連携を、恰幅いい幹部の男性は顔を引き攣らせながら眺めていた。まぁ、ただ単に口を挟む間がなかったとも言える。

 しかし、棚の一つ分が終わり、次の棚となったところで、ようやく『もういい!』という声がかかった。

 いよいよ興が乗ってきたところだったので、えぇ、今?……と思うと同時に、いやいや、その前にちょっと遅すぎでしょ……とも思ったけれど、おそらく呆気に取られていて声をかけることもままならなかったのだろうと勝手に想像し、さもありなんとこれまた一人勝手に納得をする。

 逆の立場なら間違いなく、お目々とお口ポカーンの埴輪状態で眺めていた自信しかないからだ。

 けれど今は、見せつける側なため、垂らした髪の隙間から、本当にもういいの?もっとできるけど?…………とばかりに男性を窺いみてから、その声に従い一先ず指文字を止めた。

 そして、川上とまだまだ全然なのにね……と、目だけで語り合ってから、今の安全地帯である川上の背に隠れる。

 すると、目の前の男性は途端に愛想のいい笑みを浮かべた。

 正直かなり気持ち悪い。

 若干引き気味となる私と川上を前に置いて、その男――――恰幅にいい男性は親し気に話しかけてきた。

『いやいやこれは大変失礼をした。私はここで役員をしている黒井という。それにしてもさすが綾塔教授のご息女だな。その一度読めば忘れないという能力は本当に素晴らしい。どうだろう。その能力を使って我々に協力してもらえないだろうか』

 

 協力?

 かつての誘拐犯の黒幕である組織の人間が、何都合のいいことを言ってんだか…………


 そう思ってしまったことは致し方ないことだと思う。

 そもそもここへとやって来ることになった経緯を思えば尚更だ。

 ほんと、呆れすぎてため息すら出てこない。

 しかも、名乗りは結構とまで川上に言われたくせに、しれっと名乗ってまでいる(三下じゃなく役員だという猛アピール付きで)。

 なんともふてぶてしい。

 それにだ。

 私の能力―――――というか、特技について彼なりに理解しているようだけれど、微妙に違っている。

 私は、一度読めば忘れないのではない。

 一瞬でも目に映せば、形として記憶に残るのだ。

 言うなれば、天才画家が一度見た光景を、アトリエで白いキャンバス上に細部に至るまで正確に描くことができるのと同じ。

 ま、画力がないので絵はまったく描けないのが非常に残念なところなのだけれど。

 しかし、文字なら話は別だ。書くことだってできれば、知っている言語なら声に出して一字一句正確に伝えることだってできる。そこに読解力やら、理解力やらが発揮されるのはまた後からの話で、私自身がそれに対して興味を持たなければ、それすらも生まれない。ただの記憶として残った景色――――――その気になればいつだって思い出すことができる私の目に映り込んだモノにすぎないということだ。

 といって、今ここで彼らに説明してあげる気は毛頭ないけれど。

 それにしても、この手の平を返したような気持ちの悪い笑みと媚びはなんなのだろうか。

 第一に、私が彼らに協力しなければならない謂れは何一つとしてない。むしろ、彼らとの関係は加害者と被害者であって、それ以外の何ものでもないのだ。


 さて、どうしてくれようか。


 コバンザメのようにくっ付きながら、ちらりと川上を見上げてみれば、うっかり見てしまった私の顔が、思いっきり引き攣ってしまうくらいの悪い笑みがそこにはあった。

 あぁ…………これはご愁傷様がすぎる。

 けれど、それを熟練執事の微笑とやらでその悪い笑みを隠し、川上はあからさまに尻尾を振り始めた男性――――黒井さんに向って口を開いた。

『なるほど。黒井様はお嬢様の能力を高く評価し、言い値で買ってくださるということですね。で、いかほどで?』

 気のせいだろうか。あるはずもないソロバンが川上の指でパチパチと弾かれているように見える。

 執事のくせになんとも商魂逞しい。

 しかしここでもまだ心理戦は続いているのだ。そう、ガチンコマウント勝負。

 ここで下手にボランティア精神を見せたり、ましてや『協力すれば帰してもらえますか?』などと言おうものなら、忽ち主導権が握られてしまう。

 それ故の不敵発言。

 そんな川上の発言に対して、黒井さんの顔がわかりやすく引き攣った。護衛の男たちも同じくだ。

 まさかここで金の話が出てくるなんて夢にも思わなかったのだろう。

 けれど、黒井さんもまたざっと頭の中でソロバンを弾き出し、瞬時に損得勘定をしたらしい。

『いいだろう。契約といこうじゃないか。だがまずは、覚えている綾塔教授の未発表論文を複製してもらうのが先だ。その論文の内容によって支払額を決めよう。それでいいかね?』

 すると川上はニッコリと笑ってしゃあしゃあと宣った。


『いいえ。一論文のつき100万。論文の内容次第でさらに上乗せ――――ということで手を打ちましょう』

 


 こうして私と川上は無事、武器商人“テミス”の懐に入り込むこととなった。

 そしてとある立派な個室―――おそらく黒井さん専用の役員室―――に案内された私と川上は、威圧感たっぷりの見張りの男たち三人組に囲まれながら、せっせと最低100万円となる父の未発表論文を与えられた紙に書いている。

 といっても、あくまで書くのは私。川上は見張りに対する見張りだ。

 けれど、どうにもサボり癖がある子供に付きっきりで宿題をさせている図にしか視えない気がするのは、おそらく私の被害妄想ではないだろう。

 ちなみに、父はとても天才肌の学者のため、その論文の種類は多岐多様に亘っており、その選択肢もある意味豊富だ。

 それはもう、地球単位の本気モードのものから、アニメに出てくる未来道具を興味本位に考察し論じるような一見ふざけたものまで。

 にもかかわらず、しっかりと結果を出し評価されているのだから、父は実際に凄いのだろう。

 ま、父親としての評価はともかくとして。

 私は逃亡生活の最中に、ざっと目を通した父の未発表論文の中から、当たり障りのないもの(どちらかというと一見ふざているようにしか見えないもの)を選択し、時間潰しと小遣い稼ぎを兼ねて書くことにした。

 なんせ、『あの論文を書け』という具体的な指定がない以上、その選択は自由なはずだ。

 そもそも論文というものは、ある研究テーマに対し仮説を立て、その事象を調べるために客観的観点より文献、資料を集め、さらには分析、考察を重ねた上でその結果及び、自分の意見をまとめ上げた文章のことをいう。

 そして、それを学会などで発表ひ、その研究テーマや仮説の正当性によって評価を得て、学者としての権威を得る。

 しかし、一般的な学者の枠には決して収まらない父にとっての論文は、あくまでも自分の興味と好奇心を満足させたことを示す覚書程度の感覚でしかない。下手したら日誌、もしくは日記帳レベルだ。

 もちろんちょこちょこと学会に発表なんかもしていたけれど、それは大学に身を置く者としての義務にすぎず、生活のためだと割り切っていたようだった。

 そしてそこで発表される論文は、父基準で選抜された至って平和的であり、常識的なつまらない内容もの――――に限っていたらしい。

 つまり言い換えれば、表に出さない、いや出せない、出してはいけない論文こそ、父にとっては好奇心と我欲を満たし、世界の常識を覆す危険な論文だった。

 武器商人である“テミス”が喉から手が出るほどに欲しがっている、第三、第四の最終化学兵器なり得るモノを論じるそれもその一つだ。

 けれどここで疑問が生じる。

 表に出していない論文のテーマが何故駄々洩れとなっているか。

 それは人の口に戸は立てられぬからである。

 研究するには、資料も必要になれば、実験のための器材も必要となる。それらを揃えるための莫大なお金もまた然り。

 そうなれば必然的に誰かしらの目に触れ、耳に入り、またまた援助を仰ぐために研究内容を自ら告げる必要性が往々として出てくるというわけだ。

 まったくもって遺憾なことに。

 で、それが“テミス”の知るところとなり、回り回って絶賛私が迷惑を被っているというわけだ。

 これまたまったくもって遺憾なことに。

 それにしても……………と手を動かしながら思う。

 今私がせっせと認めている『相対性理論の光速度不変の原理に基づく時間の相対性から構築されるドアツーでの時空間移動の可能性について』って…………絶対にこれはアニメの影響を諸に受けた論文に違いない。

 幼かった頃はただただ文字の羅列に過ぎなかったけれど、内容を理解できる今となっては、父の遊び心満載の愉快な頭を解剖してみたいくらいだ。

 いや、その前にまずは傍迷惑な優秀過ぎる頭に、拳骨の一つでも落とそうか――――――なんてこと考えていると、俄に部屋の外が騒がしくなった。

 途端、見張りにも動揺が走る。

 そして見張りの一人が状況を確かめてくると後ろを向いた瞬間、川上が動いた。

『お嬢様!机の下に!』

 川上の声に私は迷うことなく机の下へと潜った。

 我ながら見事な条件反射である。

 それもそのはず。

 川上が私の執事となった時から、繰り返し繰り返し川上の指示に瞬時に反応できるよう、私に叩き込んできたことだからだ。

 仮にも執事がお嬢様相手に行うような訓練ではないのだけど、『生き抜くために必要なのです』と言われてしまえば、やるしかなかった。

 おかげで、パブロフの犬も真っ青の条件反射っぷりだ。

 しかし、机の下に潜ってしまえば、もはや蚊帳の外。

 聞こえてくる音と声だけで状況を判断しなければならない。

 怒声に打撃音。

 呻き声とともに、誰かが床に倒れる音。

 聞こえてくる音や声は、決して穏やかではないけれど、私は川上を信じ待った。


 そして――――――――――

 

 一瞬の沈黙の後に落ちた笑みを含んだ声。

『お嬢様、お待ちかねのお迎えが来たようですよ』


 キョウちゃん!


 逸る気持ちごと、今すぐ机の下から飛び出しそうになるけれど、『お嬢様、暫しそこで待てです』という川上の声に、これまた条件反射で従う。

 さすがパブロフの犬も真っ青な忠犬…………もとい忠実さである。


 でも、もうすぐキョウちゃんに会える!


 とっておきのご褒美を前に、私は了解を示すべく、机を二度叩いた。

 

 

 

 


 


 


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