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狂犬と博識ドール  作者: 星澄


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【挿話】博識ドールと執事と狂犬(14)

 通された部屋は、何もない部屋だった。

 窓もなければ、椅子も机もない。資料保管部屋の奥にあるくせに、機密文書らしきものもなく、そもそも棚一つない。

 あるのは蛍光灯と監視カメラと淀んだ空気だけで、殺風景と表現するより他ない十畳ほどの部屋だ。

 こんな部屋に通されたということは、相手の思惑を読むまでもなく、おそらくここで私が本当に綾塔教授の娘なのかどうか調べるつもりなのだろう。

 早い話、まったく信用されていないということだ。

 まぁ、だからといって手荒な手段を取るとは思えないけれど。

 それにそれを川上が簡単に許すはずもないため、正直不安や恐怖よりも興味の方が勝っていた。

 さて彼らはどうやって真偽を確かめるつもりなのだろうと。

 もちろん今の私が身分証明書なるものを持っているはずもない。

 そもそも運転免許証だって取得すらしていない。

 言うなれば、私が綾塔教授の娘であると自己申告しただけ。いや、現在話せない設定のため、それすら他者申告によるものだ。

 私が頭塔教授の娘である決定的証拠として、かつて誘拐された時に晒していた、この隔世遺伝の碧眼を見せればいいのかもしれないけれど、わざわざこちらからそれを見せてあげる義理もなれば、私もそこまでお人好しでもない。

 なので、興味津々に彼らの出方を待つ。

 なんせこちらにはたっぷりと時間がある。今後の予定はキョウちゃんたちとの合流だけれど、時間の約束まではしていないし、なんなら落ち合う場所だって未定のままとなっている。

 ただ、キョウちゃんたちが私たちの意向を汲み、ここへ来てくれることを信じて待つだけの身なのだ。

 そのため、時間潰しも兼ねて彼らに付き合ってあげるのも吝かではない。

 さて、どうする?と、川上の背後から様子を窺っていると、ここへと案内した恰幅のいい幹部と思われる男性が、私を訝しるようにまじまじと見つめながら問いかけてきた。

『貴女が綾塔教授のご息女ということですが、その証拠となるものは何かお持ちですかな?』

 予想通りの質問。

 もちろん先に述べたように、そんなものは持ち合わせていない。なので川上の背後からブンブンと首を横に振って、否定してやる。

 するとその恰幅のいい男性は、あからさまに顔を顰め、これ見よがしにため息を吐いた。

『それは困りましたね。物的証拠がないのであれば、まずはこちらが把握している身体的特徴を確認してみるのも一つの手ですが、それを見越して似たような存在を連れて来た――――という可能性も捨てきれませんし………』

 なるほど。

 遠回しに私の碧眼のことを言っているのだろうけれど、それを直接口にすれば、過去の誘拐事件に関与していたことを暗に認めることとなり、一応大企業という表看板をぶら下げている以上、体裁が悪いということなのだろう。

 私にしてみれば、今更感満載なのだけれど。

 しかし、大人の事情というヤツを察し、ここは賢明にも黙っておく。というか、話せない設定なので、お口チャックは絶対だ。

 すると、そんな私の代わりに、川上がやれやれとばかりに口を開いた。

『無理矢理にここへ連れて来られたお嬢様が、なぜ率先して自らを証拠を出さなければならないんでしょうね。もし人違いだったならば、それは貴方たちが雇った人間の不始末であって、それはお嬢様のせいではありません。それに先程も言いましたが、このお姿はお嬢様の温情です。過去の陰惨な記憶がさせるものなのです。ですから、軽々しく触れようなどとは思わないで下さいね。ショックのあまりまた記憶を失うことになりますよ』

 うん、言葉は丁寧だけれど、その内容はとことん辛辣だ。

 それも、誘拐犯でしか知り得ないことを挟むことによって、牽制と同時に立派な脅しにもなっている。

 どんな状況であってもできる執事は常にぶれない。

 とはいえ、ここで相手を言い負かして終わりというわけにはいかない。

 せっかく敵の懐に入り込んだのだから、ここは多少居心地が悪くとも長居をさせてもらわなければ意味がない。

 なので、親切心いっぱいの私は、ある提案をしてあげることにする。

 もちろん口ではなく、手の動き――――――――つまり、手話でだ。

 そしてその手話を向ける相手は、それを正しく読み解ける川上である。

 ちなみに、この手話は川上が教えてくれもので、逃亡時でのやり取りに大変重宝した。

 但し、教科書通りの手話に混じって、どこぞの軍隊よろしくハンドサインが所々含まれてしまうのは、ちょっとした遊び心といったところだろう。

 そのため時折、手話らしくない動きが垣間見られるのだけれど、私と川上の間ではそれが普通なので一切気にしない。

 そんなわけでテキパキと指を動かし、時にビシッと指を立てて手話らしくない仕草を挟みながら私の意思を伝えれば、川上はうんうんと頷き、イエッサーとばかりにこちらもまた軍隊形式のハンドサインで返してきた。

 ほんとこんな時でも茶目っ気たっぷりの執事である。

 けれど、その茶目っ気を見せるのは当然私にだけで、川上は恰幅にいい男性へと向き直ると、穏やかそうな微笑みを湛えつつ慇懃無礼に告げた。

『うちのお嬢様は本当にお優しいことに、貴方たちに証拠となるものを見せてくれるそうですよ。そちらは問いかけるばかりで一切名乗っても下さらないというのに』

 ご尤もである。しかしここで喧嘩を売り始めるのはどうかと思う。

 されど川上は、まるで話の主導権を奪い取るかように一方的に続けた。

『でもまぁ、お伺いしたところで所詮三下でしょうから、今更名乗りは結構です。それよりも、お嬢様が示されるつもりの証拠ですが、どうやらお優しいお嬢様は能力の一端を披露してくださるそうですよ。名前も存じ上げない貴方たちに』

『し、し、執事の分際で……』

 怒りで真っ赤に顔が染まった男性。しかもそこまで言われてしまえば、もはや自ら名乗ることもできない。

 そこで恰幅にいい男性は怒りに任せ、自分の背後に控える護衛の一人に軽く合図を送った。川上の無礼な口を塞ぐために。

 しかしその相手は出来すぎ執事である川上だ。初老にしか見えなかろうと、その動きは俊敏。

 川上へと手を伸ばしてきた護衛の男の腕を掴み、そのまま鳩尾に膝を入れて、いとも簡単に沈めてしまった。そして、残りの護衛に向って殺気を飛ばす。

『まったく躾がなっていませんね。しかも老いぼれた執事にあっさり沈められるようでは、護衛の意味すら為していません。それで、どうされるおつもりです?うちのお嬢様のご提案を受けますか?それとも、これ以上無礼な真似をなさるようでしたら、躾のためにも一旦まとめて沈めてしまいましょうか。もちろん貴方も含めてね』

 川上の言う貴方とは恰幅のいい名無しの男性のことだ。

 男性はギリギリと音を立ているように歯ぎしりしながら、射殺さんばかりに川上を睨みつけている。

 当の川上はというと、意識を奪った護衛の男を仰向けに床へと転がし、どこ吹く風とばかりに涼しい顔で立っている。

 どう見ても敵の懐でありながら、窮地に陥っているのは敵の方。

 マウント勝負は川上に軍配が上がったらしい。

 なんともうちの執事は最強すぎやしないだろうかと思いはすれども、実はこれこそ川上が仕組んだ心理戦の一つなので、ここは快哉を叫ぶべきなのだろう。

 そう、川上は車中で予め私に告げていた。

 

『いいですか、お嬢様。相手は、お嬢様が本物の綾塔教授のご息女とわかれば必ずマウントを取ってこようとします。その方が利用しやすいからです。しかしここでマウントを取られては絶対にいけません。主導権を握るのは私たちです。そうすれば、彼らに対して我々は利用される側ではなく、協力をしてやる側となり、受ける待遇も大いに違ってきます。つまり、適当な部屋に拘束付きで放り込まれるか、VIP待遇となり丁重に扱われるか、それくらいの差が出るということです。ですからお嬢様、くれぐれも強気でいきますよ』


 ――――――という作戦の元、有言実行で為された状況がこれだ。

 いやはや、強気も強気、何ならマウントを取るどころか、護衛の一人を沈めてしまっている。

 しかしこれが功を奏したのか、恰幅にいい男性は怒りに震える拳を自らの手で押さえ込んだ。そして戦慄く口をどうにかこじ開ける。

『だったら……そのお嬢さんの能力を……わ、我々にまずは見せてもらえるだろうか』

 明らかに上から目線ではなく、頼み込むような口調。

 それに満足したように川上は私へと笑みを向ける。

 穏やかでありながら、どこかしてやったり感が滲み出る誇らしげな笑み。

 それに内心で苦笑しつつも、了解の意を手話ならぬハンドサインで返す。

 そして私は徐に川上の背後から一歩進み出ると、先程いた資料保管部屋の棚に並べられていたファイルの背表紙を、手話で一気に並び立てていった。

 

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