【挿話】博識ドールと執事と狂犬(12)
『これからあなたには、組織の内部まで案内してもらいます。筋書きはもちろん、あなたが立てたあの恩知らず計画でいきます。自分の命の確保のためにお嬢様を売るというあの計画です。但し、そこに加える要素として、お嬢様は一言も口が利けない設定にします。だから通訳である私が常に傍にいなければ事が運ばないと、あなたは組織にしっかりと説明してください。いいですね!』
川上が後部座席に転がっていた谷川さんを起こし、ざっとこれからのことについて説明した。
もはや逆らう気力などどこにも残っていないらしい谷川さんは、コクコクと首振り人形の如く縦に首を振るだけだ。
人畜無害そうな微笑み一つでここまで人を従順にさせられる川上は、もしかしたら人外の能力でも持っているのだろうかと、真剣に考えてしまう。
しかし川上は次に私の方を向き、その微笑みを忽ち引っ込めると、今度は盛大にため息を吐いた。
かなり失礼である。
もちろんその理由はわかっている。
私の姿に不服があるのだ。これこそ人畜無害で、人目にも優しい普段の姿だというのに。
『お嬢様……何度もお尋ねして申し訳ございませんが、本当にそのお姿で行かれるおつもりですか?せめて髪の毛はお括りした方がよろしいのではないでしょうか?』
往生際悪くそう告げてくる川上に、今度は私がやれやれとばかりに盛大にため息を吐いてみせた。
『川上、わかってないわね。こうして髪を下ろしておけば、人の目にも優しいし、誰にも驚かれずに済むわ。いくら敵陣に乗り込むからと言っても、わざわざ醜い顔を晒して、嫌悪感を持たれてしまうのは得策ではないと思うのよ。まぁ……このワンピースは普段着の域を出ないことは否めないけれど、決して失礼にあたるような格好でもないと思うし、何なら向こうの油断も誘えるわ。どこにでもいる平凡な娘だって。だから、そんなに心配しなくても大丈夫よ』
なるべく川上が安心するようにと、言葉を選んだつもりだったけれど、どうやら川上にはご納得いただけなかったようだ。
それどころか、どんよりとした空気を纏いながら、『人の目に優しい……平凡………』と、何度も繰り返しつつ、まるで共鳴し合ったかのように、谷川さんと一緒にため息を吐いている。
どうにも解せない。
しかし、『わかりました。私からはもう何も言えることはございません。今後は、狂犬様の頑張りに期待することにいたしましょう』と、これまた意味不明なことを脱力感いっぱいに呟きつつ、川上は豪雨吹き荒ぶ嵐の中、車のエンジンをかけた。
四井商事――――――――
それは、武器商人である“テミス”の表の顔である。
といっても、日本有数の大企業であるため、そこに勤めるすべての社員が己の会社の裏の顔を知っているわけではなく、関わっているわけでもない。
表の顔が大きくなればなるほど、世間様だけでなく、内部の人間にも裏の顔は見えなくなるものらしい。
私がこの四井商事の存在を知ったのは、もちろん川上の口からである。
何度目かの夜逃げ同然の逃避行の際に、川上が告げてきたのだ。
『これは私が独自のルートを使って調べたことですが、過去お嬢様を誘拐し、今も尚、お嬢様をしつこく追ってくる“テミス”の表の顔は、四井商事という大企業のようです。つまり、ご立派な日本の大手貿易会社がその表の顔であるからこそ、武器商人という裏稼業が成立し、より儲かるのでしょうね。なんせ日本の輸出入を牛耳っているといっても過言ではないのですから。しかし、四井商事が“テミス”の表の顔だとしたら、警察だけでなく、あの半官半民であるサード――――第三機関特務機動捜査隊も奴らの傘下といえるかもしれません。どうやら四井商事からはそれなりの出資を受けているようですし…………とはいえ、今の段階では、サードについてそこまで警戒する必要はないでしょう。最終局面となった時には、また話は変わってきますがね。とにかくお嬢様、相手が大きな組織である以上、まったく気は抜けません。これまで以上に慎重に動きますよ』
今よりもずっと幼かった私はその川上の言葉にしっかりと頷いた。
正直、あれだけ警察を信用していない川上が、サードに対しては妙に寛容だったことに、気になりはしたけれど…………
しかし、今ならその理由もなんとなくわかる気がする。いや、それなりの確信すらある。
サードに、私の父が別人になりすまし、潜入している可能性があるからだ(まだ確かめたわけではないので断定はできないけれど、おそらく間違いないはずだ)。
もしかしたら、父なりに四井商事のことを調べるためにサードという組織に入り込んだのかもしれない。こっそりと川上と連絡を取り合いながら…………
まったくそれならそうと、言ってくれればよかったのに――――――
なんてことを恨みがましく思わないでもないけれど、知らぬが仏という言葉があるように、知らないことで守られていた事もある。
そして、川上があのタイミングで話してくれたのは、そろそろ私が敵の正体を知っても怯えることはないと判断したからに違いない。
実際、幼き頃の私は誘拐されたという事実に何度も悪夢を見ては、川上の布団に潜り込むことが日課となっていた。
一度見ただけで、すべてを覚えてしまう能力。
かつて誘拐された時に、自身を守るために記憶を欠落させたことはあるけれど、人間そう何度も都合よく記憶喪失になれるわけではない。むしろ、この能力というか、特技というか、馬鹿みたいな記憶力良さが裏目に出て、私は毎晩悪夢に見舞われ続けたのだ。
そのため、ある日とうとう、『お嬢様から不安が消えるまで、暫く一緒に寝ることにいたしましょう』と、毎夜私に起こされることとなる川上からそう言われてしまった。
だからこそ川上は、“テミス”の正体を私になかなか言えなかったのだろう。
毎夜毎夜魘され続ける私に………
しかしそれはもう過去の話だ。
なんせ今から敵陣に乗り込もうとしているくらいである。
あの頃のように悪夢に怯える私はもうどこにもいない。
たとえ、この先で如何なる真実を突きつけられることになろうとも…………
『お嬢様、四井商事です』
川上の声に、フロントガラスを打ち付ける激しい風雨の向こう側へと目を眇める。
雨に煙る視界には、高層ビル群の中でも一際高いビル。
車中から見上げてみても、その高層階が白い靄でまったく見えない。
もちろん雲まで届くようなビルではない。
すべてはこの悪天候のせいなのだけれど、その不気味さに身体が小さく戦慄いた。
『お嬢様?』
敏い川上がすぐさま声をかけてくるけれど、私は大丈夫と首を横に振る。
そんな私に刹那目をやって、川上はビルの裏側へと車を回しながら、徐ろに口を開いた。
『すべてが終わったら、狂犬様や風吹樣も誘って、パーティでもしましょうか。ケーキは私が特大のものを焼いて差し上げますから、期待していてくださいね。あと、そうですね……旅行に行くのもいいかもしれませんね。逃亡ではなく、旅行ですよ。気ままにのんびり、好きな所へ、お嬢様の大好きな人たちも誘って……』
それはどう聞いても未来の約束。
それも、川上が話すその未来には、キョウちゃんや風吹さんだけでなく、川上もまた傍にいてくれるらしい。
それも特大のケーキまで焼いてくれるという。
あぁ、どうして…………
キョウちゃんといい、川上といい、ここぞと言う時に私の欲しい言葉をくれるのだろう。
『すべてが終わっても…………ずっと……ずっと…………私の傍にいてくれるの?』
容赦なく車に打ち付ける雨音に掻き消されてしまうほどのか細い声。
そんな耳を澄まさなければ聞こえないほどの声だったにもかかわらず、川上は一言一句違わず拾い取ったようで、不服そうな声を返してきた。
『お嬢様、私は何度お嬢様に捨てられそうになればよいのでしょう。以前にも申し上げましたが、この歳での再就職は難しく、無職宿無しになれば、早々に野垂れ死ぬ未来しか見えません』
『まさかッ…………』
川上に限ってそれはない!と言い募ろうとしたところで、川上は四井商事本社ビルの地下駐車場に車を滑り込ませ、そのまま奥の駐車スペースに車を停めた。そして私へと振り向くと、殊更優しく笑んだ。
『お嬢様が先程から、何を懸念されているのか存じ上げませんが、私はこの先もずっとお嬢様のお傍におりますよ。確かに以前は、お嬢様を誰よりも大事に思ってくださる方が現れるまで…………と、申し上げましたが、それは撤回させていただきます。たとえその方…………いえ、たとえどんなに狂犬様から鬱陶しがられようとも、私はお嬢様の傍におります。と、いいますか、そんな狂犬様を見るためならば、お嬢様に張り付いてでも離れたりしませんよ。お嬢様は私にとっての生きがいなのですから』
『な……に……それ?』
キョウちゃんに一体どんな恨みがあると言うのだろうかと、怪訝な顔を見せるも、川上はどこか悪戯な笑みを深めただけだった。
『だから、お嬢様。先ずは、大掃除から始めましょうか。そのためにここへ来たのですから。いいですね、この先何が起ころうとも、お嬢様が一人になることは絶対にごさいません。この川上がお約束いたします』
母を亡くした時にもくれた約束。
そして今改めて、敵陣の真下でくれた約束。
その未来の約束に、いつからか私の心に降り続いていた憂いの雨は、鮮やかな虹を伴って綺麗に止んだ。




