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狂犬と博識ドール  作者: 星澄


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【挿話】博識ドールと執事と狂犬(11)

 嵐は、予想通りやって来た。

 しかし今更引き返すつもりもない。

 ならば突き進むしかないだろう。

 おそらくキョウちゃんたちもその中に、迷わず飛び込んで来てくれるはずだから。

 

 

 すでにキョウちゃんたちと繋がっていた携帯は切られている。

 勝手に切れたのでも、キョウちゃんたちから切られたのでもない。

 伝えるべきことはすべて伝えたと、川上自身が切ったのだ。

 キョウちゃんたちにだけわかる合図を送ってから、目的地まであと五分程といったところで――――――――

 そして、信号が赤となり停まった車。

 川上の運転技術は高く、ブレーキをかける時も、僅かな揺れすら感じさせない。

 だから、私の首元で鈍く光るナイフが、その切っ先を揺らすこともなかった。

 けれど、車が完全停止した瞬間、川上はフットブレーキをかけ、ナイフを持つ谷川さんの手首に手刀を入れた。と、ほぼ同時に、今度は左肘を谷川さんの顔面に打ち込む。

 そこまで僅か二秒。

 しかし形勢は一気に逆転。

 ナイフは呆気なく落ち、谷川さんは顔面の痛みに悶絶と相成った。

 憐れである。

 もしかしなくても、しっかり鼻血まで出ているし、意識も微妙に怪しい。

 うん、自業自得とはいえ、さすがにちょっと可哀そうだ。

 けれど、川上は同情の余地なしとばかりに、私から谷川さんの腕を引き離し、ぽいっと谷川さんの身体を後部座席へと転がした。

 そして容赦なく告げる。

『このまま、あなたの立てた恩知らずな作戦に乗っかることにします。そろそろ私もお嬢様もコソコソと逃げ回りながら暮らすというこの生活に飽きてきましたからね。いい潮時でしょう。それに、ちゃんと応援も来てくれると思いますからね』

 さらに川上は、上着のポケットから今やどこにも繋がっていない携帯を取り出し、意味ありげに谷川さんに見せつけた。

 これで応援を呼んだと謂わんばかりに。

 ただ正直なところ、今の谷川さんの意識レベルで、どこまでそれを理解できたかは不明だけれど。

 それから川上は、その視線を今度は私へと向けて、ニッコリと笑った。

『咲良お嬢様、それでよろしいでしょうか?』

 まったく…………相変わらずのスーパー執事なんだから。

 感謝半分、慣れからくる呆れ半分といった心境で私もまた川上を見ると、そのままニコリと笑みを返す。

『えぇ、構わないわ。おそらく組織の闇を暴くのに、今が好機であることは間違いないと思うの。すぐにキョウちゃんたちも来てくれるだろうしね。川上、ありがとう。なかなかの手筈だったわ』

『お褒めいただき光栄です』

 最後にちょっとした悪戯心から悪役っぽい台詞を付け足してやれば、川上も取ってつけたかのように恭しく返してくる。

 こういうところもまた、小憎たらしいほどにできる執事なのである。

 そしてまた、なんとも出来過ぎなタイミングで信号が青に変わり、川上はまた何喰わぬ顔で車を走らせた。


 

 雨は土砂降り。

 風は唸り声を上げている。

 しかしそんな中でも川上は、涼しい顔でハンドルを握り、大通りを左折し、それからすぐに右折した。

 さらにそこから五分程走って、小さなテナントビルの駐車場に滑り込ませる。

 改めて言うことではないけれど、私の父は大学教授であり、少しばかり名の知れた研究者ではあるけれど(主に闇の組織に対して)、まかり間違っても巨万の富を持つ不動産王などではない、

 しかし、やたら存在する父の隠れ家を転々とするにあたって、はたまたその脱出口を使用するにあたって、我が父ながらその懐具合は一体どうなっているんだと、打ち出の小槌でも持っているのかと、常々考えさせられたものだ。

 そしてこの小さななテナントビルもまた、その一つだったりするわけで…………

 一階は営業中の喫茶店で、二階と三階は空きテナント。

 つまり、その二階と三階が父の隠れ家となっているのだ。

 ちなみに、今滑り込んだ駐車場はテナントビルの裏側に面しており、私と川上がここを利用する時は必ず裏口から入ることにしている。

 そのため、表通り――――――といっても四車線の国道沿いに、営業の札を掲げている喫茶店には一度も入ったことはない。

 もしかしたら父の知り合いが経営している喫茶店かもしれないと、普通のお客さんに扮して入ってみようとしたけれど、下手に顔を出すのは危険だと川上に止められたこともあって、まだ実行に移せていない。

 それに私自身、このテナントビルに来たのは今回が二度目で、一度目の時はただ、いつか使うかもしれない父の隠れ家の一つとして、立地条件やら、ビルの内部やらを確認しに来ただけだった。

 もちろん念のためにと、いざという時の必需品は、困らない程度に持ち込んではいたけれど。

 とまぁ、そんなことはさておき、まずは半分意識を飛ばしている谷川さんを念のためにと縛り上げる。

 本来ならトランクにでも入っていてもらいたいところだけれど、土砂降りの雨の中そんなことをすれば、まるでサスペンス劇場の死体遺棄の現場のようになってしまう。

 それにだ。私と川上の着替えはあるけれど、さすがに谷川さんの着替えまではないため、土砂降りの雨で身体を濡らし、風邪を引かせてしまうのは忍びない。

 したがって、暫く谷川さんには後部座席で転がっていてもらうことにする。

 おそらくこの雨がいい感じで視界を遮るカーテンとなり、誰も車内の谷川さんを見つけることはないだろう。

『すぐに戻りますから、ここで大人しく待っていてくださいね』

 果たして私の声が届いたかどうかはわからないけれど、一応聞こえている体で声をかけておく。あくまでも、場を離れるのだから礼儀だ。

 そして濡れるのを覚悟で、川上と二人して車を飛び出し、ビルの裏口へと駆け込んだ。

 当然エレベーターなんてものはないので、そのまま三階まで階段を昇り、川上が鍵を開けるのを待って、部屋の中へと入った。

 酷く殺風景な部屋。といっても、テーブルや椅子、クローゼット代わりのロッカーも置いてあるし、電気、ガス、水道、といったライフラインもすべて生きている。だから不便はない。

 しかし、父が今まで使っていた隠れ家とは趣向も、雰囲気も明らかに違う。

 そう、いまだかつてなく殺風景で、研究資料や、その器具などで雑然ともしていないのだ。

 つまりここは、今までの隠れ家とはどこか一線を画した場所に思えた。

 実際、父の隠れ家の場所を一つ一つ調べ上げてくれたのは川上で、ここもその一つだと過去一度連れて来られた時も、妙な違和感を感じたことだけは覚えている。

 

 父はこんなところで本当に論文を書いたり、研究をしたりしていたのだろうか………と。


 でも、父の考えることは、実の娘でありながら何一つ理解できないため、ここでこの隠れ家に対して頭をこねくり回したところで、時間の浪費、完全に無駄である。

 それに……………………

『お嬢様、風邪を引きますから早く着替えてください!』

 川上の言う通り、僅かな距離を走っただけですっかり濡れネズミとなってしまった今の状況を、何とかする方が先だ。

 そこで川上がこれまた素早く鍵を差し込み、開けてくれたロッカーからタオルと着替えを取り出して、私は深々と被っていて帽子をまず脱ぎ捨てた。

 もちろん、川上はその隣のロッカーから、タオルと自分の着替えを手に取り出している。そしてさらに、その奥にある部屋の扉を開けると、有無を言わさず私をそこへ押し込んだ。

『いいですか、ちゃんと髪も拭くんですよ!』

 という注意――――いや、お小言付きで。

 まぁ、普段から私のお風呂上がりの様子を見ていれば、言われても仕方がないか………と、素直に諦める。

 そして、これまた先程の部屋よりもより一層殺風景な部屋で、私は一人これからもことを考えながら、もそもそと着替え始めた。

 

『お嬢様、お着替えはお済みですか?』

 川上に声をかけられ、すっかり………うっかり嵌っていた思考の深みから無事に生還を果たす。

 これもまた私の悪い癖だと反省しつつも、『大丈夫よ。終わったわ』と脱ぎ散らかした服を搔き集めて部屋を出る。

 ここで服を畳むという選択肢は、私にはない。

 するとそこには、若返りからいつものロマンスグレーの老紳士へと戻った燕尾服姿の川上が立っていた。

 但し、盛大に眉間に皺を寄せて。

 まずい…………呑気に考えことをしていたのがバレたのかも。

 と、すぐさま言い訳を巡らすけれど、ふわりと頭上に落ちてきたタオルで、どうやら見当違いだったことに気づく。

『まったく、あれほどしっかり髪を拭くようにと申し上げましたのに、まだ水が滴っているではありませんか。これでは、敵のアジトへ辿り着く前に風邪を召されてしまいますよ』

 しっかりとお小言を頂戴しながら、それでも丁寧に髪がタオルドライされていく。

 本当にできる執事は、細部に至るまで完璧である。

 それはもう、私が駄目人間になってしまうくらいに。

 でも、このテナントビルを出てしまえば―――“テミス”へと乗り込んでしまえば―――もう川上とのこんな生活には戻れないのかもしれない。

 この先、私たちの運命がどちらに転んだとしても。

 だから今は、甘んじてこのお小言を聞くことにしようと思う。

『お嬢様、ちゃんと聞いていますか?いくら不器用といっても、髪もお一人で拭けないようでは困ります。これだから、いくつになっても目が離せないんですよ』

 

 うん、いつもごめんね。

 そして、今までずっと傍にいてくれてありがとう。


 言葉にすれば、本当に最後になってしまいそうで――――――


 私は川上の優しすぎる手に濡れた髪を委ねながら、ぽとりと不意を突いて床に落ちた雫もまた、すべて雨のせいにした。

 

 

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