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狂犬と博識ドール  作者: 星澄


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【挿話】博識ドールと執事と狂犬(10)

 ポケットに入れた携帯が震えている。

 おそらくキョウちゃんか風吹さんだと当たりを付ける。

 でも今はそれに出ることは叶わない。

 川上の運転する車は走行中で、さらに私の首元には鈍く光る刃物が押し当てられているからだ。

 つまり、生憎手が離せない状況。

 そして、携帯の震えが止まる。

 そのことにほんの少しの寂しさもあるけれど、今はこれでいいのだと自分に言い聞かせる。

 正直な話、今の私に恐怖心はない。

 むしろ、こちらの思惑通りまんまとこの車に飛び込んできてしまった谷川さんに対して、憐憫の情が湧く。

 気がついていた。

 谷川さんが何かを考えているらしいことは。

 そして彼なら、この手段を取るだろうことも察しがついていた。

 谷川さんにとっては不運なことに、私も、川上も。

 そのため、谷川さんが車に乗り込んできた時、うっかり笑顔で『いらっしゃい』と口が滑りそうになってしまった。

 本当に危ない。

 ここは怯えてなんぼという場面なのに。

 しかし、今やすっかり逃亡生活も板につき、なんなら歴戦の勇者のような、ふさふさと毛の生えた心臓を手に入れてしまった今日この頃では、冷静な思考が邪魔をして恐怖心が微塵も湧いてこない。

 なんとも乙女らしからぬことに。

 運転中の川上からは、そこは上手に芝居をしてください!という無言の圧力がくるけれど、そもそも私は川上のように器用な人間ではない。

 むしろ、まったくもって不本意ながら、超が付くくらいの不器用人間に割り振られるらしい。

 川上曰く―――――――― 


『なんせうちのお嬢様は稀にみる頭脳をお持ちではございますが、これまた稀にみる超不器用さ加減となっていらっしゃいます。いつもお食事のお手伝いをして下さるのは大変有難いのですが、食材はすべてブツ切り。皮むきをすれば、食べる部分はほとんど皮と一体化してなくなります。そもそも自分で髪を括ることは疎か、蝶々結びすらできません』


 ――――――ということらしい。

 しかも、それが紛うことなき事実なために、反論すらできない。

 誠に遺憾ながら。

 だから、困るのだ。

 いくら隣の運転席から、少しは怖がるフリをしてください!などと、無言で責められても。

 なので、こちらもまた無言に徹することに決める。といっても、川上の無言の圧力とは種類が違う。

 下手に口を開けば、確実に怖がっていないことがバレてしまう。

 そのため、ここは敢えて無言を貫き、すべてを川上に丸投げすることに決めたのだ。

 ということで、早速、口を真一文字に結ぶ。

 俗に言うお口チャックだ。

 しかしすぐに、それを横目で確認した川上にため息を吐かれてしまった。

 これまた最善を尽くしているというのに、誠に遺憾である。

 でも、川上のため息に反応したのは、私ではなく谷川さんで………

『わ、わかってる!とんでもねぇことをしてるってことは!けどよ、こうするしかねぇんだよ!だ、だから、下手なことさえしなければお嬢さんは傷つけねぇから……頼むから、言う通りにしてくれ!』

 どうやら谷川さんには、川上が今の状況を憂いているように見えたらしい。

 けれど実際は、確かに憂いてはいるけれども、私の丸投げに憂いているだけで、川上自身まったくピンチとも思っていない。


 やれやれ、あとは川上に任せておけば大丈夫ね………


 などと、喉元に刃物がある状態で思うことではないけれど、川上に丸投げした途端に肩の荷が下りた気分となる。

 そしてそのまま助手席の背もたれにしっかりと身体を預け、数ミリ単位だろうと刃物からできるだけ距離を取る努力だけは念の為にしておく。

 数ミリに笑う者は、数ミリの泣くのだ。

 決して丸投げした安堵感で寛ごうとか思ったわけではない。

 川上から発せられる圧が少々心苦しいけれど、違うものは違う。これは寛ぎの態勢に入ったわけではなく、刃物から遠ざかろうと努力した結果なだけだ。

 そんな言い訳を内心でしていると、今度は川上が羽織るジャケットのポケットが震えていることに気づいた。

 きっとこれもキョウちゃんか、風吹さんからの電話だろうと当たりをつける。

 普段なら運転中の川上に代わって、私が川上のジャケットのポケットを弄り、通話ボタンを押してあげるのだけれど、今は物理的に動けない。

 当然川上もわかっているため、『言う通りと言われましてもねぇ…………』などと、しれっと言い返すことで谷川さんの気を逸らし、自らポケットの中に手を入れた。

 そして――――――――――


 トンッ


 車のエンジン音と走行音に混じり、微かに聞こえてきた音。

 それは“今は無理だ”という合図。

 私たちとキョウちゃんの間で決めた合図だ。

 送った合図に従い、そのまま沈黙を守る携帯。

 無事に合図が伝わったことに、やはり電話をかけてきたのがキョウちゃんたちだったことに、川上の口元は緩やかに弧を描いた。

 

 

 車は高級住宅街を抜けて、大きな道路へと出る。 

 その間にも、とんだ茶番のような川上と谷川さんの会話が続く。

 しかし、キョウちゃんたちに状況を伝えるためには、この茶番劇もやむを得ないことだった。

 

『本当に恩を仇で返すとはこのことですね。あなたのことを救ったお嬢様に刃物を突き付けるなんて。ちなみにその刃物は当家にあったものですよね。まったく自分が情けなくなりますよ。目の前で窃盗が行われていたことにも気づかなかったなんて…………それで、あなたは恩を仇で返してまで、どこへ行こうというのです?』

『もちろん俺を雇った組織、“テミス”のところだ』

『おやおや、せっかく拾った命を使ってまで、文句でも言いに行くのですか?』

『違う!“テミス”はその…………このお嬢さんが欲しいんだろ?だから、取引に行くんだ』

『いやはや、盗人猛々しいとは言いますが、あなたも相当ですね。組織から自分の命の保証を勝ち取るために、命の恩人をお売りになるということですか?』

『俺だってこんなことはしたくない!さっきまでは本当にサードに大人しく連行されて、協力するつもりでいたんだ!だが、どこに行こうが“テミス”に狙われた以上、必ず殺される。それはあんたらだってわかっているはずだ!』

『そうですね。だからこそ私たちは、こういう生活を送ってきたわけですからね。それにしてもそんなに逃げたければ、はじめに話してくれればよかったものを。確かあなたの免許証を見る限り、大型二輪に乗れましたよね。実はあの屋敷には、脱出口を使えなくなった時の用心として、バイクを一台隠してあるのですよ。なんならそれをお貸ししましたのに』

『あんた、俺の話を聞いてたか?どこに行こうと、どれだけ遠くに逃げようとも、必ず“テミス”は見つけ出し、殺しに来るんだよ!あんたらも今は逃げおおせているかもしれないが、いつか必ず捕まることになる。それが今か、この先かの話なだけだ!』

『だから、今回あなたがご招待してくださると』

『そうだ』


 本当に川上は巧い。

 さり気なくキョウちゃんたちに、屋敷にバイクが隠してあることを教えている。

 そしてそのことにキョウちゃんたちなら気づくだろうと、川上は確信しているのだ。

 もちろん私だって、それを信じている。

 ただ心配すべき点は、助手席から覗いた空模様が芳しくないということだけだ。

 どうやらあの入道雲は、嵐を連れてくるつもりらしい。

 

 このままいけば、キョウちゃんたちは嵐の中をバイクで追ってくることになる…………

 

 そのことに一抹の不安を覚えるけれど、私は内心で首を横に振った。

 来るなとは言えない。

 今は二人を信じるしかない。

 もう賽はとうに投げられたのだから。

 

 そんな覚悟をしている間にも、川上と谷川さんの会話は続き――――――――

 

『しかし、あなたも随分と楽観的ですね。本当にお嬢様を組織に渡せば、自分の命は保証されると本当に信じているのですか?あなたもご存知のように、“テミス”はそんなに生優しい組織ではありませんよ』

『んなことはわかっている!だが、どこに逃げたところで一緒なら、正面突破しかねぇだろ!』

『その正面突破にお嬢様を使うと。それなら、先程の気化爆弾の方が余程大きな穴を開けられたでしょうに。それに“テミス”に対抗したいのであれば、それができる大きな組織に保護を求めればよろしかったのではないでしょうか?』

『あんた、本気で言ってんのか!大きな組織になればなるほど、“テミス”は自分たちの息のかかった人間を送り込んでる。特に警察上層部は今や完全に“テミス”の犬だ。あんなところに保護を求めてみろ!一日だって俺の命は持たねぇ!』

『まぁ………それは言えてるかもしれませんね』

『言えてるも何も、そうなんだよ!ついでに言えば、サードだって同じだ!“テミス”はサードにだって、組織の人間を送り込んでる!さっきの連中は信用できても、俺はサードという組織までは信用できねぇ!』

『まぁそれも……そうかもしれませんね』

 

 川上の微妙な返事。

 おそらく谷川さんの言葉は事実だろうと、そう思っているに違いない。

 私もそれに一票だ。

 もちろんキョウちゃんと風吹さん、そして赤松さんたちは信じられる。

 しかしサードという組織をそのまま信じられるかというと決してそうではない。

 そもそも私がサードに行こうと思った理由は、ある事を――――――ある人を、確かめたいと思ったからだ。

 実物を自分の目で見たわけでもないのに、あっさりとあの爆弾を気化爆弾だと断定したその人を。


 やはり、お父さん……なの?


 ずっとそれらしき気配はあった。

 誰かが私たちの逃亡生活を援助してくれていることは知っていた。

 それを川上に確認すれば、『旦那様が元々残されていた資産です。いざという時に使うように指示されておりました』という無難な答えがいつも返ってくるだけだった。

 そう、お父様は死んでいない。

 それだけはわかる。

 何故なら川上は“遺産”とは言わなかったから。

 それに今にして思えば、今回のことはすべてにおいて何もかもが急すぎた。

 爆弾といい、侵入といい、何もかもだ。

 もちろん事態が急変する度に、その場その場で瞬時の判断をし、行動してきたのは他でもない私たち自身。

 この状況もまた然り。

 でも何故だろう。

 谷川さんが私たちの思惑にまんまと嵌ったように、私たちもまた誰かの――――――おそらくお父さんの思惑にまんまと嵌ってしまっているような気がする。

 そしてこれについても、川上はなんとなく気づいていそうだと、川上の横顔を盗み見て内心で独り言ちる。


 空には暗雲。

 嵐は目前。


 元よりそのつもりだったけれど―――――

 

 どうやら私たちは誰かさんの思惑通り、このまま嵐の中へ、突っ込むことになるらしい。

 

 

 

 

 


 


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