【挿話】博識ドールと執事と狂犬(9)
夏の空といえばもくもくとした入道雲。
しかし今の私にとっては―――――
マンホールを開ければ、そこは車の真下だった。
そしてその車の底にはちゃっかり川上が細工をしてくれているので、マンホールからドアツードア的な感じで――――といっても実際は何一つドアらしきものを通ってはいないけれど――――――誰の目にも留まることなく車の中に乗り込むことができた。
といってもこの車は、五人乗りで乗り心地も十分に望めるものだけれど、一応スポーツカーに分類される速さを重視した5速MT。
明らかに逃亡を意識した車であって、大家族向けのファミリーカーではない。
にもかかわらず、今回そこに乗り込むのは定員の五名より一名多い六名で、私以外、皆それなりに体格のいい男性ばかりの子供持ちならぬ、爆弾持ち。
はっきり言って、スペース的にかなり無理がある状況となっている。
特に後部座席が…………
だからといって、誰一人として置いていけるわけもなく、ましてやどうにかこうにか運んび出してきた爆弾を放り出すわけにもいかず、運転席の川上と助手席の私はともかくとして、後部座席は通勤ラッシュ時の満員電車のような有様となっていた。
ちょっと後ろを振り返りたくないほどに………………
しかし、ここで思わぬ事態が起こった。
いや、ある程度予想していた展開だというべきか。
ぎゅうぎゅう詰めの車がのろのろと発進し、駐車場から出る寸前、谷川さんが後部座席のドアを開け、突如として逃げ出したのだ。
それほどまでに狭かったのか………
という感想が一瞬頭を過りそうになったけれど、谷川さんが逃げ出したのは、もちろんそういった理由ではない。
ここにきて、サードへの連行を恐れたのだ。
もちろん普段なら簡単に追えるだけの顔ぶれが揃っていた。
爆弾の専門のチームとはいえ、れっきとしたサードの隊員である三人に、できる執事である川上。
文句なしのメンバーだ。
でも非常に残念なことに、今はそれぞれが手一杯だった。
何しろ、後部座席の彼らは気化爆弾二つに、ブラスチック爆弾一つを抱え込み、さらに朽木さんは負傷中で、ついでに川上は運転中。
この中で唯一手の空いているのは私となるわけだけれど、谷川さんを捕まえられるだけのスキルは持ち合わせていない。
むしろ、ここで一人無鉄砲に飛び出していく方が皆に迷惑をかけてしまう。
もちろん、車で追うという手段もないわけではない。
しかし、ここは高級住宅街のど真ん中のため、車のスピードも然程出せるわけではないし、いくら特殊なケースに入れたからといって、気化爆弾という非常に繊細な爆弾を抱えての追走劇は、絶対に安全だという保証もないのだ。
それに谷川さんの手には、現在拘束具が嵌められているため、完全に自由というわけではないし、その状態で街中を激走して遠くに逃げたとも考え難い。
つまり――――――――――
『このまま、行きましょう。そしてまず赤松さんたちを、送ることにします。赤松さんたちが乗ってきた車まで。そこから、赤松さんたちは、その爆弾を持ってサードの本部に向かってください。私たちは、キョウちゃんと風吹さんを拾ってからサード本部へ向かいます。私はキョウちゃんたちの連絡先を知らないので、赤松さんたちからそう伝えてくれませんか?おそらく地下道は圏外になるので、キョウちゃんたちがそこを抜けて出てきた頃に………………』
そう後部座席に向って告げながら、私は川上をチラリと見た。
今や変装で若作りとなっている川上の口元がさり気なく持ち上がり、私の意図するところをしっかりと読み取ってくれたらしい。
ほんとすべてにおいて優秀な執事である。
でも、敵を欺くには味方からとだという先人たちの教えに倣い、私は赤松さんたちにこれ以上告げることはしなかった。
そう、彼らは知らないほうがいい。
予想はあくまでも予想であって、確定的な未来ではないのだから。
そして、この事態をありのままキョウちゃんに伝えてくれれば、今はそれで……………
赤松さんたちの誘導に従い、川上が車を走らせること約二分。
あっさりとサード所有の車の前に到着し、赤松さんたちはすばやく車から降りた。しかし、色々と思うところがあるのだろう。
すぐに赤松さんが降りたドアから、もう一度上半身だけを差し入れ、私たちに向って声をかけてきた。
『狂犬と風吹は自力でサード本部に戻ってくるはずだ。だから俺たちと一緒にサードへ向かったほうがいい。谷川もすぐに捜索をかける』
きっと、常識的な判断をするならば赤松さんの意見は正しい。
しかし今、キョウちゃんがいない状況で、サードに向かうことは得策ではないように思われた。
それに、私の予想通りなら彼は私たちを待っているはずだから…………
『お嬢様、どうされますか?サードへご一緒いたしますか?それとも狂犬様をお待ちしますか?』
私の意見など問うまでもないくせに、川上はどこまでも従順な執事を気取り、聞いてきた。
それにしても、この出来すぎ執事は時に質が悪い。
特に“狂犬様”の部分をわざと強調してくるところがなんとも性悪だ。
こうやって私がキョウちゃんと一刻も早く会いたがっていると、それとなく…………どころか、結構はっきりと赤松さんに匂わせ、サードに行かない理由をでっち上げている…………いや、決して間違ってはいないし、一刻も早く会いたいのは事実なのだけれど、それ以外の理由があることを気づかせないようにしているのだ。
ようするに、純真な乙女心を売ることで、この場をやり過ごそうという算段らしい。
この若作りの上戸執事め!
しかしここは、せっかくの(無茶)フリを頂いたので有難く乗っかることにする。
『そうね。確かに赤松さんたちとサードに向かうべきかもしれないけれど、キョウちゃんと風吹さんも、もうそろそろ追いついてきそうな気がするから、やっぱり待つことにするわ』
そう告げて、帽子の下でにっこりと笑う。
敢えてキョウちゃんではなく風吹さんを強調したのは、意趣返しというより、照れ隠しだ(ごめんなさい。風吹さん)。
当然そんなことはお見通しの川上は、運転席で小刻みに身体を震わせているようだけれど、ここはじとりとした視線を向けるだけに留めて、赤松さんに念押しのように言葉を続けた。
『だから赤松さんたちは、先にサードへ向ってください。ただ先程もお願いしたように、キョウちゃんたちに私たちの連絡先を伝えてください』
赤松さんは渋い顔をしていたけれど、キョウちゃんたちがすぐに来ると踏んだのか、それとも乙女心を察してくれたのか、『わかった。だがくれぐれも気をつけろよ』と、その場を引いてくれた。
そして私と川上は、再び例のマンホールがある駐車場へと戻ったのだけれど――――――――
『お嬢様、正直言いますと、お嬢様をお守りする立場の私としましては、そのお考えは承諾しかねるものです。しかし、一気に片を付けたいというお気持ちもわからなくはありません。それゆえに協力はいたしますが、これ以上無理だと判断したら、その時はお嬢様が何を申されたとしても、その場でお嬢様を抱えて逃げ出しますからね。それだけは予めご了承ください』
切々と告げられて、私はハンドルを握る川上の横顔を見つめながら、へにょりと眉を下げた。
まったく、この執事は……………
いつだって絶対的味方でいてくれた。
執事という仕事を超えて、私のことを支え、こんな理不尽な逃亡生活のような日々までも一緒に過ごしてくれた。
だいたい爆弾解除とか、変装とか、追手の撃退とか一般的な執事の仕事ではない。
いや、もはや私の感覚から、一般的な執事が如何なるかものか――――という常識が希薄となりつつあるけれど、川上が常識的な執事でないことだけはわかる。
なのに、嫌な顔一つせずにずっと私の傍にいてくれた。
だからこそ、川上には幸せな未来をあげたいと思う。
そしてそれは今の私が掲げている願い――――大事な人達と一緒に生きていく未来――――でありたいと思うのだけれど、ふと心に影が落ちる。
すべてに片が付いた時、川上は一体どうするのかしら…………と。
今はまだそれを問いかける勇気はない。
いや、今はそれを考える時でもない。
だから私は前へと向き直り、『ちゃんとわかっているわ。その時はよろしくね』と、川上に告げた。
フロントガラスから覗く空には、夏の風物詩でもある大きな入道雲。
しかし今の私にとっては、嵐を呼ぶ積乱雲。
そんな不穏すぎる気配を前に捉えながら、川上の運転する車は滑り込むようにして駐車場へと入り、車を停めた。
果たして先にやって来るのは、キョウちゃんたちか。
それとも………………
突然、後部座席のドアが開いた。
そして勝手知ったる車であるかのように、その人が勢いよく乗り込んでくる。
いつの間に調達したのか、拘束具を嵌められたままの手には刃物が握られており、それが私の首元に当てられる。
『お嬢さんと執事さん、悪いな。このまま俺に付き合ってもらうぞ』
ほんと予想通りすぎて、ある意味笑えない。
案の定先にやって来たのは、決してこちらの予想を裏切らない、酷く悲壮な顔をした谷川さんだった。




