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狂犬と博識ドール  作者: 星澄


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【挿話】博識ドールと執事と狂犬(7)

 長い地下通路を抜ければ、そこはとある一軒家の台所だった。


 といっても、そこが台所であることに驚きもない。

 床下収納の扉がある場所は、だいたい台所と相場が決まっている。まかり間違っても、誰かの勉強机の引出しに出ることはない――――という一般常識を振りかざす以前に、元々地下通路の出口が、この家の台所の床下収納であることを知っていただけだ。

 そしてそこには赤松さんの部下が二人、私たちの到着を待ち構えてくれていた。

 二人とも、体格のいい赤松さんに比べれば少し小柄で細身に見えるけれど、それでもしっかりと鍛え上げられた重量感のある体つきをしており、私の顔を見て一瞬目を瞠ったものの、即座にへにょりと眉を下げた顔は、とても愛嬌があった。

 しかしその表情から察するに、私の容姿の醜さに思わず驚いた彼らは、初めて会った女性相手にさすがにこの態度は失礼すぎると自らを律し、それを気取られないように誤魔化そうとしたのだろう。

 それが愛嬌のある表情へと繋がり、事実上、誤魔化しに失敗した――――――――ということに違いない。

 あぁ……また気を遣わせてしまったわ。

 なんてこと思い、なるべく見苦しい顔が見えないようにと帽子を深く被り直すけれど、「お嬢様、見当違いも甚だしいです」という川上の言葉に、私は訝し気に首を傾げるだけでその場を留めた。

 その理由は言わずもがな、今は呑気な会話をしている時間はないからだ。

 そんなこちらの切羽詰まった様子を一瞬で感じ取った彼らもまた、微妙な表情から素早く引き締め直すと、端的に自己紹介をした。

『爆専、朽木です』

『同じく爆専、須藤です』

 それから初対面の私と川上を安心させるためか、人懐こそうな笑みをそれぞれにくれ、手早く足元にあった気化爆弾入りのバックを背負うと、赤松さんの指示を仰ぐように顔を見た。

 もちろん、私たちが果たすべきミッションは即時脱出だ。

 しかし、ゾロゾロと正面玄関から出ていくわけにはいかない。

 おそらくここに見張りはいないと思うけれど、それを確認するために窓へ寄るのはリスクが高い。

 つまり、他に脱出口があるなら無理して玄関から出ていく必要はないということだ。

 そこで迷うことなく提案する。

『この二階に、脱出口があります。そこを使いましょう』

『二階だぁ?』

 赤松さんの素っ頓狂な声に私は思わず苦笑した。

 確かに、ここは高級住宅街の一軒家。その一軒家の二階に脱出口があるなんて、常識では考えられないだろう。隣近所へと移るための渡り廊下的なものや、緊急避難用のスロープが付いているならまだしも、本来地面より遠くなればなるほど脱出は難しくなるのが基本だからだ。

 しかし、その脱出口を作ったものは、天才科学者であるが故に、どこか浮世離れしている非常識人な私の父――――綾塔教授。

 そのため、そもそもが常識の枠外と考えるほうが無難であり、一々固定観念に縛られていてはこちらの身が持たない。

 したがって、父なら天に昇る階段を二階に取り付けていたとしても、なんら不思議でもなんでもないと思いつつ、私はただ『えぇ、二階です』とだけ口にし、頷いた。

 その間にも、須藤さんが谷川さんの両手首に拘束具をはめ、腰にロープをかける。ここからは爆弾とともに、サードへの連行となるからだ。

 そしてそのロープを赤松さんが持ち、まるでちょっとしたダンジョンを探検するパーティのような列を作り、二階を目指すことになる。

 その隊列の順番は、谷川さんを先頭に置いて、赤松さん、私、川上、須藤さん、朽木さんと決まる。その順番を決めたのはあくまでも爆専リーダーの赤松さんだけれど、そこに川上の巧みな誘導があったことは否めない。

 もちろんそれは赤松さん自身が一番わかっているようで―――――――

『執事さんあんた一体何者だよ?』

 と、聞いていたけれど、川上はすっかり若作りした顔に笑みを浮かべただけで、何も答えなかった。

 しかし、すぐに川上の顔から笑みが消える。

 いきなりその場にしゃがみ込んだかと思うと、台所の床の耳を押し当て、指を一本唇の前に立てた。

 そう、これは黙れの合図だ。

 僅か十秒にも満たない時間。

 しかし皆して固唾を呑み、できる限り無音に努めようと息まで止めた時間は、酷く長く感じられた。

 そして、皆が川上の一挙手一投足を見つめている。

 それらの視線を一身に浴びながらも、川上はまったく動じることなく、むしろ冷静に告げた。

『来ます。数は二人』

 その言葉に僅かな揺らぎも迷いもなく、追手は二人だと川上は断言し、敏捷な動きで立ち上がった。

 それから『距離はおそらく約五十メートル、駆け足程度の速さなので、彼らの到着まで残り十二秒といったところです。皆さん、とにかく急いで二階へ!』と、早口ながらも的確に指示し、谷川さんと赤松さんを同時に二階へと促してから、私の肩を掴んだ。

『お嬢様は、先程決まった順番通りに私の前へ』

 柔らかい微笑みさえ浮かべ、私の背中をそっと押す川上に、私もまた全幅の信頼を寄せながら力強く頷いた。


 

 それは一瞬の出来事だった。

 地下通路を辿りやってきた追手は、慎重に――――という言葉をどこかに放り投げてきたのか、床下収納の扉を吹き飛ばす勢いで押し上げた。

 その衝撃音に、階段を昇っていた私たちは振り返ることなく、一気に足を速める。

 けれど、直ぐに私たちに追いついた彼らは、丁度階段を昇り切る直前だった朽木さんの気化爆弾入り鞄に手をかけた。それを反射的に振り払うも、鞄を掴んだ手とは反対側の手に握られていたナイフが、容赦なく朽木さんの腕を切りつける。

『ぐっ……』

 短く漏れる呻き声。しかし歯を食いしばることでそれを呑み込んで、朽木さんは雪崩れ落ちるようにして、私たちがいち早く辿りついていた部屋へと入り、バタン!とドアを閉めた。そして、そのドアを死守するべく、身体全体で押さえ込みながら叫ぶ。

『俺が押さえている間に、早く脱出を‼』

 けれど、朽木さんを犠牲にして、ここから逃げ出す気など毛頭ない。

 そしてそれは私が口にするまでもなく、川上も同じ意見だったようで――――――

『置き去りは、お嬢様の情操教育上よろしくないので、ここで彼らをしっかり沈めておきます!』

 などと、しっかり沈める行為は情操教育上どうなんだ?という疑問はそのままに、ドアに張り付く朽木さんを笑顔を一つで退かせた。

 正確に言うならば、有無を言わさぬ威圧感たっぷりの怖すぎる笑顔で怯えさせ、ドアから引き下がらせた。

 うん、これを無言の圧力というのだろうと、ここでまた一つ学ぶ。

 そして、まず蹴破る勢いで入ってきた“テミス”の追手の一人の首元に重い一撃を喰らわせて昏倒させると、仲間が瞬きの間にやられてしまったことに驚き、一瞬足を止めた残り一人の腕を掴んで部屋へと引きずり込む。それから、首に腕を回し締め上げ、難なく落とした。

『つ……強ぇ…………』

『おいおい、熊班長に匹敵するんじゃないか』

『いや、川上さんは人間で、あっちは熊だ。一緒にするんじゃねぇ』

 なんて会話がサードの面々で行われているようだけれど、川上はどこまでも涼し気な顔だ。

 それどころか、未だ目の前の状況に追いつかず、呆けるように立ち竦む私たちを他所に、テキパキと自分の持ち物から用意周到にもロープを取り出し、意識のない追手二人を手際良く縛り上げる。

 そして、これまた用意周到にも消毒液とガーゼと包帯を取り出し、負傷した朽木さんの腕の手当てを始めた。

『ちょっと滲みますよ。我慢してくださいね』

『だ、大丈夫だ…………いっ!』

 朽木さんの身体が跳ね、それを須藤さんが反対側の肩に手を乗せることで押さえる。もちろんその間も赤松さんは谷川さんの見張りだ。

『これはあくまでも応急処置ですので、できるだけ早く、ちゃんとした手当を受けて下さいね。止血のために少し強く巻きますよ』

 的確な助言まで添えて、慣れた手つきで川上が包帯を巻き上げる。

 そして、包帯に緩みはないか、きつすぎないかを確かめてから、大丈夫そうだと判断すると、やれやれとばかりに一つ息を吐き、ようやく私に視線を向けた。

 

『それでお嬢様、これから先、どう動かれるおつもりですか?』


 本来この場で尋ねるべき相手は、私ではなくサードの赤松さんのはずだ。

 しかし、私の執事である川上の優先すべき相手は如何なる場合であっても私であるため、当然のようにそんなことを聞いてくる。

 でもそれは、川上が私に絶対的信頼を置いてくれているということの証明。

 ならば、それに応えなえれば主人とはいえない。

 そこで私は顎に手を当て、暫し思考を高速で巡らせた。

 追手はまだ来るのか。

 それともキョウちゃんたちの方がそれよりも早く追いついてくるのか。

 そしてこの先に待ち構えているだろう予想され得る事態。

 しかしそれは、ある程度不測の事態を考慮に入れての予想でなければ意味がない。

 

 えぇ、そうね。

 キョウちゃんたちは私たちを追って必ずここまで来る。

 そしてそれはきっと、屋敷内にいる敵を全員片づけてから来るはずだ。

 だとしたら、私たちが取るべき行動は――――――――――

 

『川上、追手は来ないでしょうが、万が一を考えて私たちは前に進みます。でもその前に、キョウちゃんたちが無事に追ってこられるように少しばかりメッセージを残しておきましょう』

 

 そう告げて、私は帽子の下でニッコリと笑った。


 

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