【挿話】博識ドールと執事と狂犬(2)
私には、能力というには憚られるけれど、それなりに役に立つ特技がある。
一度見たモノを一瞬で覚えられるという記憶力のよさだ。
それは文字から絵、さらには地図や景色に至るまで有効で、私のその特技に気づいた父は、幼い私をちょっとしたメモ帳代わりとして使っていた。
たとえば、自分の調べたい項目がどの本のどのページに載っていたかや、そもそもそこに何と書いてあったかを知る時などに。
だから私は、父の論文をただ目にしただけで、余すことなくその内容を覚えていた。といっても、私は学者でもなく、それらの専門知識を持っているわけでもないので、あくまでも文字と記号と図形として覚えていたにすぎない。
言い換えるなら、その内容を問われてもさっぱりだったし、読めない漢字や記号、何語かもわからない横文字もあって、それを言葉にすることはできなかったけれど、改めて見ずともそれらを紙に書くことはできた。
一言一句違わず、ある意味人間コピー機として。
そして幼いなりにこの特技は、非常に危険なものであることも認識していた。だからこそ誘拐された時に、私はその特技で得た情報や、誘拐当時の詳細などを自分の記憶から消し去ってしまったのだと思う。
凶悪な犯罪者から、父や我が身を守るために。
けれど、記憶はたとえ消えても、この特技は当然のことながら私の武器として手元に残っていた。
そのおかげで私は、川上の尽力もあって、ありとあらゆる情報をかき集め、それを文字として残すのではなく、記憶としてすべて頭の中に残していった。
もちろんその情報の中には、自身を守るための護身術や危険物の取扱いなども含まれている。
最初の頃は、ただ形として覚えているに過ぎなかった。けれど、何冊も読んでいけば、次第におぼろげながらも理解できるようになってくる。
こうなれば、実践してみたくなるのが世の常で――――――――
『お嬢様のお気持ちはわかりますが、はっきり申し上げて、それは無理な注文でしょう。まず前提として、お嬢様がそのような状況下になるか、そのような危険物が向こうからご丁寧にやって来ない限り、おいそれと実践できるようなものではございません。いいえ、それ以前に、それな状況にこの私がお嬢様をさせるわけがございません。とりあえず今は知識だけで我慢していただき、くれぐれも手を出そうなんて思わないでくださいね。いいですか。絶対ですよ』
――――――――と、川上にそれはもうしっかりと何本もの釘を刺され続けてきた。呪いの藁人形も真っ青になるくらいに。
しかし、その状況は川上の釘も虚しく、鴨が葱を背負って来るかのように、突然やって来た。
父の関連施設――――――というより、隠れ家を転々としながら、私は父の論文を集める、のではなく、片っ端から目を通し続けていた。
当時の父が何の研究をし、組織は何をどこまで手に入れ、今現在どのような状況にあるのを知るために。
そして、二日前に越してきたばかりの通称、幽霊屋敷――――実際の名前は、坂の上の時計の館(旧フレデリック邸)で、私はある出会いを果たす。
最初にやって来たのは葱を背負った鴨―――――ではなく、爆弾を持った見知らぬ男性だった。
どうやら彼は組織に雇われ、この屋敷の敷地内にある時計塔に爆弾を仕掛ける気だったらしい。
しかしそこへ忍び込む前に私と川上に見つかり、そのまま屋敷の中へご招待される運びとなった。
もちろん手土産である爆弾は、丁重にお預かりした上で。
そして私はその爆弾をまじまじと眺めた。
普通ならここで、恐怖を覚え、警察に連絡し、そそくさと爆弾から距離を取るようにこの屋敷から逃げ出すのだろうけれど、私は好奇心と興奮で、むしろ鼻息を荒くしてしまっていた。
言うなれば、ワクワクして堪らないといった感じだ。
けれど、背負ってこられた葱は本物の爆弾。
さすがに私だってまだ十六歳の身空で死にたくはない。
それも木っ端微塵の爆死で。
そのため、時間的余裕があるならば、もちろんここで爆弾に手を出したりなどしない。
うん、しないったらしない。川上が睨んでくるからだとか、この後の説教が長くなるからだとか、そんなことは一切関係なく、しないったらしない。たぶん………………
でも、今回ばかりは、そうは言っていられない状況だった。
爆弾の起爆スイッチである送信機を、爆弾という名の葱を背負ってやって来た鴨さんが、驚いた拍子にうっかり落としてしまったからだ。
どうやら川上ではなく、私の姿を見て。
確かにここは、ご近所では通称、幽霊屋敷と呼ばれている屋敷。
しかも無人だと思っていた所に突如として現れた少女と執事。
確かに、驚くかもしれない。
けれど、私の姿を見て『まじで出た!』はさすがにないと思う。
ま、その分、川上がしっかり拳で、教育的指導してくれたみたいだから、まぁいいけれど。
しかし、うっかりだろうが、ちゃっかりだろうが起動してしまった爆弾。
ある意味時限式だったために、その場で吹っ飛ぶことはなかったけれど、このまま放置すれば45分後には確実に吹っ飛ぶことになる。
なんせ、ご親切設計で付けられたデジタル表示が、それをしっかり教えてくれている。
そこで浮上する選択肢二つ。
善良なる市民の義務として警察に連絡するか、この場で私と川上が解体するか。
世間一般の常識から言って、ここは迷うことなく警察に連絡となるのはわかっている。
そもそも、それ以外の選択肢を持つほうがおかしい。けれど、今の私と川上はその世間一般の括りの中で生きてはいない。
それに川上曰く――――――――
『例の組織は警察と繋がっています。ですからここは、私たちで処理するしかないでしょう。本来ならこんな危険な橋を、お嬢様に渡らせたくはないのですが…………』
――――――ということらしい。
つまり、大手を振って私は危険な橋――――実践に挑めるというわけで、私にとっては願ったり叶ったりとなった。
但し、『お嬢様はあくまでも私に指示を与えるだけ。解体は私がしますからね。いいですね』と、新たな五寸釘をグサグサと刺されてしまったけれど。
しかし、ここからは時間との勝負。
時限式爆弾に待ったは通用しない。
そこで爆弾の構造を見てみれば、これまた超小型気化爆弾という、なんともレアな代物だった。
もう、胸が高鳴りすぎて本当に辛い。
けれどここは、川上の手前、敢えて真顔で思案する。
決して、目を輝かせたりなんかしない。声も弾ませたりなんかしない。小躍りなんて以ての外だ。
ふふふ、こういう時にはこの髪型は本当に役に立つわね。
と、口許だけに笑みを留めておく。
そして、私は父の残した論文やら文献やら書物やらの記憶を引っ張り出し、爆弾解体の算段を頭の中でつけていった。
その際に、窓際に立ったのは今から思えば、本当になんとなくだった。
僅かに窓を開け、風を引き入れる。
その風に白いレースのカーテンが揺れ、私はそのカーテンに隠れるようにして立ちながら、外へと目を向けた。
いつもなら、窓際に立つなどというこんな無防備なことは決してしないけれど、ちょっと興奮状態の頭を冷やすのに、風に当たりたかった。
でもそこで見つけた。
この屋敷を見上げる人影を。
自分たちが置かれている状況を思えば、不審者として警戒する場面。けれど、私の直感が敵ではないと告げていた。と同時に、鴨…………もとい、このご招待中の男性が持つ送信機は、落としてしまったものを含め二つある。
もしかしたら…………という、野生の勘的なものまで働き、私は川上を呼んだ。
今でも忘れない。
私に促され、チラリと窓の外を覗いた時の川上の横顔を。
懐かしそうな、それでいてどこか困ったような、なのに何故か嬉しそうにも見える、酷く複雑な表情。
『川上……?』
『…………いえ、私の目に狂いはなかったな…………と』
川上の言葉を理解するには、爆弾の構造を理解するよりも難解だった。
でも、こういうものは頭で理解するものではなく、心でするべきものだと、漠然と感じていた。
そして、それを改めて実感させられるのは、それから約8分後のこと―――――――
響 剣也。
彼を瞳に捉えた瞬間、私の中でふわりと風が吹き、心がざわついた。
知らない人。
記憶にない人。
でも、どうしようなく心が揺さぶられる、不思議な人。
そして脳裏にチラつく桜の花片。
川上に連れられやって来たその人は、ここに新たなレア爆弾を持って来ただけでなく、泣きたくなるような懷かしさと切なさまでも運んできた。




