奪還と狂犬(9)
「で、綾塔教授の娘はどこにいる?」
「私の部屋だ」
「その部屋はどこにある?」
「この廊下を進んで、突き当りを右に曲がってすぐだ」
たとえ末席小指でも(俺の勝手なイメージだが)、一応このタヌキ親父は五本の指に入るという組織の幹部。
ご立派なことに、個屋を持っているらしい。もしかしたら、専用秘書なんかも持っているのかもしれない。
あくまで想像でしかないが、なんともいいご身分である。
しかし、これで向かうべき場所は決まった。あとはそこへ行き、サクラたちと再会を果たすだけだ。
だが、開けたばかりの道は、未だ不穏な空気を醸し出していた。
銃を奪うことで、男たちの戦意はある程度喪失させた。しかしそれで大人しく引き下がってくれるような連中でもないだろう。
むしろそれで引き下がってくれるなら、こいつらに対し、高い給金を出して飼っている組織に同情してやりたくなってくる。いや、忠告してやるべきか。
もう少し、己の職務に責任感をもった人間を雇ったほうがいいぞ………………と。
ま、余計なお世話であることは、重々わかってはいるが………
しかし、ここにいる連中の戦闘能力と護衛能力はイマイチでも、組織への忠誠心と、己の職務に対する責任感についてはそれなりのようだった。
その証拠に、男たちが俺たちの足止めをするべく今度は拳で襲ってきた。
ほんと懲りもせずに。
だが、もちろんあっさりと黙らせた。というか、沈めた。
なんせこいつらの戦闘能力はイマイチだからだ。
そのため今度は大手を振って廊下を進む。
これはあくまでも俺の勘だが、このフロアで意識のある人間はここにいる俺たちと、サクラと上戸執事だけだろう。
なぜなら気がつけば外では夜の帳が下りており、時間もすでに二十時前だ。
つまり、こんな時間に重役出退勤をする幹部連中が、いつまでもここにいるはずもなければ、そもそも男たちが銃を持って待ち構えなければならないフロアに、大事な幹部連中を残しておくわけがない。それ以前に今の時間このオフィスビルに残っているのは、仕事熱心な残業社員ばかりだろう。
ならば、タヌキ親父の部屋まではなんの障害もなく辿り着けるはずだ。
そう、まだ今ならば――――――――
「とにかく急ぐぞ」
俺は風吹たちにそう声をかけると、タヌキ親父に銃を突きつけたままで腕を掴み、引き摺るようにして廊下を進んだ。
今日が終わるまで残り時間、四時間と十二分。
もうたったそれだけ?とも思うし、まだそれだけもあるのか……………とも思う。
なにしろ今日は、深夜一時すぎから叩き起こされ、ずっとフル活動中なのだ。それも前半は爆弾を持って。
それをちょっと思い出しただけで、心底うんざりしてしまう。
そして同時に思うことは、二十四時間フル活動だけは本当に勘弁願いたいということだ。
しかし、ゆっくり眠るためにもサクラの奪還だけは絶対に成し遂げなければならず――――――――
俺達はタヌキ親父の部屋の前に立っていた。
そして顎でしゃくってドアを開けるように促す。
タヌキ親父の自己申告によると、この部屋は会社より与えられた幹部用の私室。
もちろん入室許可を得るためのノックなど必要ない。
そのためタヌキ親父はそのままドアノブに手を開け、震える手でドアを開けた。
が―――――次の瞬間、叫ぶ。
「こいつらを始末しろッ!」
おそらく、中にいたサクラたちの見張りに向ってそう指示したに違いない。
しかし、とても残念なことにその指示に対し聞く耳を持つ味方は、この部屋にはいなかった。
いや、いたにはいたが、残念ながらその指示は聞こえていなかったに違いない。どうやら職務怠慢にも床で寝ているらしい。
「なっ………………」
タヌキ親父は、ドアを開け放ったままで呆然と自分の部屋にも入らず立ち竦んでいた。
俺と風吹、そして谷川は、タヌキ親父の肩越しに中の惨状を見て、ご愁傷様なことで…………と、顔を見合わせ思う。
それもそのはず、見た目にはなかなか屈強な男たちが三人、やたら姿勢のいい老紳士風の執事に見守られながら、黒のスーツ姿で安眠――――――もとい、完全に意識を飛ばしていた。
一人は大の字に、もう一人はうつ伏せに、最後の一人に至っては泡を吹いて白目まで剥いている。
これをご愁傷様と言わずして何と言ってやればいいのか、語彙力のない俺には見当もつかない。
しかしタヌキ親父は違ったらしい。俺とは違ってしっかり奴らに言うべき台詞を知っていた。
「お、お前ら、そこで何をしている!さっさと起きんか!」
なるほど。
職務怠慢に対しての激昂か。うん、確かにその台詞もありだ。
だがそれは、こいつらにしてみれば酷というものだろう。
とにかく相手が悪い。しかも今は人畜無害そうな老紳士風の執事に完全に化けているのだから、余計に質が悪い。
こいつらにしても、まさかこの執事の中身が、三十代後半のやたら戦闘能力が高い上戸などとは思いもしなかっただろう。
そしてタヌキ親父もまたこの執事がそこまで強いなどと思わずに、サクラの世話役兼通訳としてあまり警戒はしていなかったに違いない。
だからこそ、目の前の光景にただただ驚愕し、不甲斐ない部下たちに激怒した。
実際、タヌキ親父は奴らの前に立つ老紳士に化けた上戸執事が、こいつらを倒した真犯人だとはまだ思ってないようで………………
「一体、これはどうなっているだ!誰がこんなことを!」
と、怒鳴り散らしても一向に起きてこない部下に、今度は顔面蒼白となっている。
あわよくば、見張りの連中に俺たちを仕留めさせて、形勢逆転を狙っていたのだろうが、その望みの綱がぷっつりと断たれた上に、もしかしたら部下たちを沈めた強敵がどこに潜んでいるのかもしれないのだ。
そりゃ、恐怖だろう。
だが、ここで真犯人が自白した。
「部屋の外が妙に騒がしかったもので、そろそろお迎えがくるんじゃないかと思いまして、お世話になった部屋の掃除をしていたところなんですよ」
「部屋の…………掃除だと?」
「はい。大きなゴミが三つもございまして、うちのお嬢様の衛生上非常によろしくないと判断し、このようにお掃除を。おかげさまで随分と視界と空気がよくなりました」
「お、お前…………一体……何者……」
「もちろんしがない執事ですが?」
どこがだ!
しれっとそんなことを答える上戸執事に、頼もしいやら呆れるやら、俺の心情もなかなかに忙しい。
しかし、いつまでもドアを開けたまま、呑気に立ち話をさせているわけにもいかないので、タヌキ親父の背中をトンッと銃で押した。そしてそのまま俺たちも部屋の中へと入ると、ドアを閉めるだけでなく、しっかりと鍵をかけてから改めて上戸執事へと向き直った。
「サクラは?」
「キョウちゃんッ!」
おそらく俺の声が聞こえたからだろう。上戸執事からサクラの所在を聞くよりも前に、タヌキ親父の執務机の影からサクラが飛び出してきた。
それも白いワンピース姿の、奇抜なあの幽霊スタイルで。
その姿を初めて目にした風吹はギョッとしたようだが、俺と谷川は初見ではない。
だからそんなサクラの姿に、俺は驚きで目を見開くこともなく、安堵と苦笑で目を細めた。
「サクラッ!」
俺に向って駆け寄ってくる間に髪のベールはふわりと後ろへと流れ、サクラの愛らしくも美しい顔が露わになる。
そして、涙で潤んだ碧眼が俺を映し、体当たり気味に俺の腕の中に飛び込んできた。
俺の背中に手を回し、抱きついてくるサクラ。
そんなサクラの背中に俺も手を回して、ギュッと力を込めて抱きしめた。
鼻腔を擽るサクラの甘い香りと、柔らかな身体の感触。そして存在を示す温もり。
それがこの腕の中にある喜びに、一瞬我を忘れ、さらにはうっかり外野の存在まで忘れそうになる。が、どうやら俺の理性はいい仕事をしてくれたようで、すぐに腕を解き、今度はあやすようにポンポンとサクラの背中を叩いた。
「遅くなって悪かったな。サクラ」
「ううん、来てくれてありがう。キョウちゃん」
そのサクラの言葉に、今日という日だけでなく、ただサクラを求め続けた俺の十年もまた報われた気がした。




