奪還と狂犬(7)
キツネとタヌキの化かし合い。
気分はまさにそんな感じだった。
綾塔教授は蜂の巣を目一杯突いて来いと言っていたが、ここまで育った蜂の巣を突けば、正直こちらが無傷で終わることはまずないだろう。むしろ命の危険さえある。
だから、ある程度の犠牲は覚悟している。
最終的に、守りたい者―――――サクラが無事でいてくれさえすればそれでいいと。
もちろん、はじめから喜んで犠牲を払うつもりは更々ないが。
そもそも、今のこれは本来の任務を軽く逸脱してしまっている状況だ。
元を正せば、この事件の発端は、爆破予告を受けた銀行からの依頼であり、それはすでに俺の手から離れてしまっている。
はっきり言って、犠牲を出すだけサードとしては損失しかない。なんせ、ここに依頼に基づいた金銭のやり取りは、一切存在していないのだから。
にもかかわらず、俺と風吹はともかくとして、うちの機動捜査班班長までが出張ってきている。
サードのトップ、久利生功己――――――――ボスとも、社長とも、総隊長とも呼ばれている女子に人気のニヒルなおっさんにしてもまた、傍観の構えだ。
ほんと、一体何を考えているんだか………
ま、基本、会議には出席はすれども、いつもただそこにいてるだけだし、おそらく熊は放し飼いにすべし、とでも思っているのだろう。
正直俺としては、熊こそ頑丈な檻の中にいれておいて欲しいところなのだが……………
しかし、事態がここまで動いた以上、もう止まれないし、たとえウチのトップから止められようが、止まる気もない。
そこにサクラと、上戸執事の命がかかっているなら尚更のことだ。
俺は、重苦しくなる気分をすべてため息に変えて吐き出すと、お待ちかねの気配に「ようやくタヌキが戻ってきたな……」と独り言ちた。
こちらが綾塔教授と引き換えに要求したものは、前金としての十億。そして新兵器の売買によって生じた儲けの三割。
要求した身ではあるが、完全にぼったくりだ。しかも桁違いの。
しかし、強気に無理難題を突き付けられるだけのモノをこちらは持っているのだと、敢えて示すことで軽く蜂の巣を突いてやった。
しかし残念なことに、交渉相手であるタヌキ親父は手ぶらでの再登場だ。
うん、これは化かし合いどころか、完全に喧嘩を売っていると判断してもいいだろう、と風吹を見やれば、目だけで必死に『頼むから、もう少し様子を見てからにして!』と訴えてきた。
俺としては、前に立ち塞がるのがこのタヌキこと、“テミス”のそれなりの幹部のおっさんと、その護衛らしき男三人くらいなら、何とでもなるのだが、風吹に言わせれば手ぶらの言い訳ぐらいは聞いてやれということらしい。
おそらくだが、幹部といってもピンキリで、最高幹部と呼ばれる面々にお伺いを立てたところ、手ぶらでここにやって来る羽目になってしまったのだろう。
その証拠に空調が行き届いたビル内で、全身から冷や汗が滲み出ており、汗を拭う青地のハンカチも、濃く色を変えるほどぐっしょりとなっている。
言うなれば、この憐れなタヌキ親父もまた、最高幹部からの伝言を言付かったちょっとした使い走りだ。
ならば、ここで暴れるにしろ、強行突破するにしろ、一先ずその“テミス”の答えを聞いてからにするかと、口を開いた。
「椅子も、茶もなく、こんなところで待たせた挙句、手ぶらで戻ってきたようだが、もしかして十億なんてかさばる荷物の持ち運びを考えて、わざわざ小切手にしてくれたのか?お気遣いには感謝するが、こちらには準備万端なことに台車があるからな。気遣いなら一切不要だ」
嫌味でしかないが、台車があるのは嘘ではない。
といっても、この台車はむしろ“テミス”の私物だが、今は谷川付きで俺が使用中だ。ここは、しっかりと利用させてもらうことにする。
だが、この俺の発言に目の前のタヌキは冷汗を倍加させ、元々悪かった顔色がさらに蒼白となった。
どうやらこのタヌキはかなりの小心者であるらしい。
それでも自分の仕事は理解しているようで、虚勢を張るように顎を突き上げ、高圧的な口調で言い放った。
「お前らにはびた一文渡さないというのがこちらの答えだ。つまりお前たちは、宝の持ち腐れで終わるということになる」
「だから?」
「下っ端は下っ端らしく、綾塔教授の居場所を吐けばいい。そうすれば、ちょっとしたお礼くらいは貰えるかもしれないぞ」
数十秒間に『びた一文渡さない』といったその口で、『ちょっとしたしたお礼くらいは貰えるかもしれない』と宣っている。
舌の根の乾かぬ内というのはまさにこのことで、ケチなのか、気前がいいのかさっぱりわかない。
というより、この“お礼”というモノが、金銭とは限らねぇんだろうなと、内心で白々しく思う。
だが、そちらの態度がわかれば、こちらの出方もそれ相応にするまでの話だ。
正直な話、一応俺はサードの人間で、十億なんて金を貰ったところで邪魔な荷物でしかない。
そのため、この交渉決裂はある意味予定通りでもあったのだが、それでも気に喰わないことが一つ。
「なるほどな…………それがそちらさんの答えじゃ、仕方ねぇな。だが、綾塔教授の娘はどうした?それもお披露目なしってことか?」
わかり切っていることだが、一応は尋ねておく。
するとタヌキ親父は、顔面蒼白のままでフンと鼻を鳴らした。
「お前たちが綾塔教授を連れてきたら、会わせてやってもいい。交渉とは、それに見合う取引材料が目の前にあってこそだ。覚えておくんだな」
確かに、仰る通り――――――と、言いたいところだが、こちらとしては正しい取引をするつもりなんて端からない。
それどころか、蜂の巣を突きにきた迷惑千万な闖入者にすぎない。ここは、至極ご尤も…………なんて返してやる気もなく、しれっとほざいてやった。
「そりゃ、ご忠告どうも。だが、後悔してもしらねぇぞ」
「ど、どういう意味だ」
「俺たちのビジネス相手は、何もおたくらだけじゃないってことだよ。新兵器なんてものは、大国であればあるほど、喉から手が出るほど欲しいものだ。つまり、その気になれば世界中が取引相手となる」
「お前………………」
「一応なけなしの愛国心で、ここにまず最初に来てやったが、交渉決裂ならば仕方がない。十億をケチったばっかりに逃がした魚は大きかったと、好きなだけ後悔すればいいさ。じゃ、俺たちはこのまま帰らせてもらう」
そう俺が告げた瞬間、タヌキ親父の後ろに控えていた護衛三人が、これまた息もピッタリに銃を取り出し、俺と風吹、そして谷川入りのサンタ袋に狙いを定めた。
途端、タヌキ親父のくせに、虎の威を借りる狐の如く、一層高圧的な態度となる。
「ここからあっさり帰ることができるとでも思っているのかね?しっかりと綾塔教授の居場所を吐いてから、ご退場願おうか」
やっぱこうなるよなぁ………と、絵に書いたようなお約束な展開に、俺は心底うんざりとしていた。そして、タヌキ親父にではなく、後ろに控える風吹に声をかける。
「なぁ、この場合のご退場って、この世からのご退場ってことだろうなぁ?」
「おそらくね。ま、ご退場する気は更々ないけどさ」
「同感だ」
そう俺が答えるや否や、風吹は力任せに台車を押した。もちろん谷川入りサンタ袋を乗せたままでだ。
そしてその台車は、タヌキ親父へと向かって勢いよく一直線に転がり、丁度台車の台の部分がタヌキ親父の両足首にヒットした。その衝撃と痛みに、タヌキ親父は呻きながら膝を折る。
また台車は、タヌキ親父とぶつかったことで向きを変え、後ろの護衛三人組の陣形を崩した。
と同時に、俺たちから銃口が逸れる。
その刹那、俺はまず真ん中いた護衛の男の顔面に拳を喰らわせ、さらに左端にいた男の銃を左手で上から鷲掴みにした。それを強引に外側へ捻って、トリガーにかかる男の人差し指をへし折ってやる。
その間に、風吹が右端の男の鳩尾に蹴りを入れ、風吹よりもデカい男をドアまで吹っ飛ばした。それを視界の隅に入れながら、鼻を押さえる男の首に手刀を入れて床に沈めると、あらぬ方向に指が曲がった男の襟元を掴んで、そのまま壁に顔面を打ちつけてやる。
そして、男が落とした拳銃を拾って、足の痛みに未だ悶絶しているタヌキ親父の頭にサイレンサー付きの銃口を押しつけた。
そこまでほんの三十秒ほど。
意識を飛ばして床に転がる護衛三人組の出来上がりだ。
形成逆転ってほど、ピンチでもなかったが、これで俺たちのこの世からの退場はなくなった。
ちなみに谷川もまた、覗き見用として小さく開けていた穴を指を突き入れることで広げると、そこから強引にサンタ袋を引き裂いて、袋から出てきている。
もはや俺たちが台車で運んでやる必要もない。
そんな谷川も加えて、タヌキ親父を三人で取り囲む。
タヌキ親父にしてみれば、今の状況は完全に四面楚歌。孤立無援。万事休すといったところだろう。
先程よりも益々顔色を失くし、がたがたと震えているタヌキ親父に銃を突きつけながら、これじゃ弱い者イジメみたいだな…………と、内心で自嘲する。
だが、ここで可哀そうだからといって解放してやる気は微塵もない。
悪いが、タヌキの皮は剥いでこそ価値が出てくるわけで―――――――――
「悪いが、このまま俺たちに付き合ってもらおうか」
「こ、こんなことしてタダで済むと思っているのか、それにこの部屋には――――――」
スンッ!
タヌキ親父の頭に突き付けていた銃を天井へと向け、一発で監視カメラを仕留めると、再びタヌキ親父の頭に銃口を当てがった。
「この部屋には何だって?」
「……………………」
タヌキ親父の歯がカタカタと鳴っている。
まるでカスタネットようだ。
しかし今は呑気にカスタネットを楽しんでいる時間はない。
「ここに新たなお客さんが押し寄せてくるまで、ざっと四十秒ほどかな」
仕事をさぼることなく監視カメラの映像をしっかりと視ていたとすれば、ここに助っ人と称して新たな兵隊鉢たちがやって来るまでの所要時間は、おそらくそれくらいが妥当な線だろう。
服部さんの構内図と、実際使ったエレベーターの速度等を計算に入れての風吹の推測だ。
そしてその計算は俺とほぼ同じ。
「だったら、そいつらが来る前にとっとここから出ることにしようか」
俺はそう告げると、ガタガタと震えるタヌキ親父をこの部屋から引き摺り出した。




