奪還と狂犬(6)
吉と出るか凶と出るか――――――
今日一日だけで、どれほど博打を打ったかわからない。
まるでずっとジェットコースターに乗せられているか、綱渡りをさせらているか、そんな感じだ。
しかし、振った賽の目がどちらに出るかはまだわからない。
なんせ今は奴らの返答待ちだからだ。
気持ち的には谷川の袋の紐を緩めて、新鮮な空気を吸わせてやりたいところだが、この部屋に唯一設けられている監視カメラの前ではそれもできない。
なのでここは、袋を雑に扱うフリをして「もう少しだから堪えろ」とだけ告げておく。
袋が軽く上下に揺れたのはおそらく了承の意を示したのだろう。
そして、風吹へとチラリと視線を向ければ、いつもはヘラリとしている顔にも、さすがに疲労の色が見て取れた。
だよな…………俺もまじで疲れた。
任務中に何言ってんだという話だが、もし今日一日分の日記を書いて見せてやれば、そりゃもう溢れんばかりの同情を買うことができるに違いない。
まぁ、人生で書いた日記と言えば、夏休みの絵日記くらいなもので、それも三日坊主ならぬ、夏休み最終日における追い込み総決算報告書のようなものだったが……………
それにしても、奴らは一体どう出るのか――――――――
疲れた頭でとにかく考える。
あくまでも俺の勘と、奴らと接触した時に受けた手応えから言うと、俺たちの勝算は六割といったところだ。
そう、“綾塔教授”という手札は、俺たちにとってかなり有効的に働いた。
裏を返せば、綾塔教授ご本人自ら、自分の名前は使えると、それはもう自信満々に言い切っていたのだ。それで使えなきゃ、俺たちは完全なる自殺志願者だ。
巨大な象の足元に、のこのこ餌を求めてやってきた蟻同然の所業とも言える。
だが今の状況は、相手の出方待ち。
つまり、巨大な象は一旦逃げ帰り、ちょっとした作戦会議なり、俺たちの素性をどうにか突き止めようと、躍起となっているに違いない。
それに、計算高い下っ端の下っ端を演じてやったが、おそらく奴らの印象としては、俺たちの後ろには別の大きな組織の影が存分にチラついたことだろう。
悪党に常識もクソもないが、ちょとした小銭稼ぎなどではなく、堂々と交渉という名の脅迫をしに乗り込んできた男たちが、ただの下っ端だと判断する方が難しいというものだ。
だが、こちらとしては好きなだけ勘ぐってくれればいいとさえ思っている。というか、そうでなくては困る。
そう、俺たちの目的はあくまで敵陣に入り込み、奴らを攪乱することでもあるのだから。
『一番の理想は、この十二階にある機密文書保管室とやらに、嬢ちゃんと本宮がいれば話は早いが、まぁ、こちらの思い通りに話は運ばんだろう。もちろん本宮一人なら自分でどうにかするだろうが、嬢ちゃんがいるとなるとそうもいかねぇはずだ。いくら嬢ちゃんの頭が良くてもだ。だからここまでは“穏便に”事を運ぶ。嬢ちゃんたちが奴らの手中にある以上、それは立派な人質に違いないからな』
熊の言葉に、何故か谷川が誰よりの真剣に首を縦に振っていた。
元はと言えば、お前が原因だろうが!と突っ込みそうになるが、ここは敢えて呑み込んでおく。理由はもちろん、体力温存だ。
ちなみに、俺の粗大ごみ有効活用計画が採用となってから、奥の部屋で待機となっていた谷川もまたこの作戦会議に参加している。
もちろん、袋詰めという状態ではなく、俺と風吹の間に腰かけながら、この茶店の唯一のメニューであるコーヒーフロートを前に置いてだ。
そして、この場で下手のことは言わないし、しない――――と、心に決めたらしい谷川は従順にも熊の話にブンブンと首を振りまくっている。
正直、隣の座る俺としてはかなり鬱陶しい。
しかしそんなことを一々気にしている場合でもないため、さっさと話を前に進めることにする。
『で、お前は、どこでサクラたちと別れたんだ?』
『まさにその部屋だ。地下駐車場から入って、警備員室でいつもの合図をした。“テミス”の手飼いの者だと証明する合図だ。そして二人を連れ、俺たちは役員室直通エレベーターに乗った。そう……この構内図のまさにこのエレベーターだ』
谷川は身体を前のめりにし、服部さんが用意した構内図を指で指し示した。そして続ける。
『それから、俺たちはこの機密文書保管室で少し待たされてから、お嬢さんと執事だけがどこかに連れていかれちまった』
『その時に二人は、エレベーターに乗っていったのか?それとも、乗らずに部屋を出ていったのか?』
俺からの問いに、間髪入れず答えた。
『エレベーターには乗らなかった。ただ部屋を出たかどうかはわからねぇ』
への字に眉を下げ、ただただ情けない顔となった谷川に、『どういうことだ?』と熊が尋ねる。
俺からすれば、あくまでも熊の平常モードだったが、初見の谷川にとっては、狂暴な熊に凄まれたくらいの恐怖があったらしい。
それはもう笑える………………もとい、可哀そうに思えるほど、その身体をカタカタと震わせて、どこぞの新兵よろしく『腹に一発喰らい、気絶させられたからです!』と、答えた。
『…………………………』
隣の座る谷川を見やると同時に、その奥の風吹と目が合う。
そして無言のやり取りの中で思うことは――――――
こいつ、今日一日だけでどれだけ気絶してんだ…………と、いうことで。
おそらく谷川にとっても今日という日は、天国と地獄の大感謝祭なのだろう。
助かったと思えば、捕まり、そして気絶し、新たな爆弾を前にまた意識を飛ばしつつ、どうにかこうにか他力本願とはいえ生還を果たして逃げ出してみれば、要らぬ欲をかいてまた気絶している。
言うまでもなく、同情の予知なしの自業自得なのだが、それでも気絶しすぎだ。
そんな谷川に対して、頭痛がすると謂わんばかりにこめかみへと手をやった服部さんが、念押しとばかりに確認を入れる。
『ってことは、ここから先のことはよくわからないということだな?』
『まぁ……正直そうなる。意識を取り戻した時には袋の中だったしな』
『つまり、この機密文書保管室から先は、サクラちゃんと川上…………いや、本宮さんがどこへ連れて行かれたまではわからないと』
風吹の言葉に、またもや谷川はブンブンと音がする勢いで首を縦に振った。
まじで、使えない。
だが、一つだけ明らかなのは、サクラたちがそこにいる可能性が少しでもあるのなら、俺たちはそこを目指すしかないということだ。そしてそこからは、機動力と頭脳戦の勝負となる。
とはいえ、無計画で突っ込んで行くわけにもいかない。
なんせ俺は破壊が専門の熊ではないからだ。
しかしその計画こそ問題で――――――
『これはね、ある程度自信を持って言えることなんだけど、私の名前を出せば、この部屋までは小仏班長の仰るところの“穏便に”という形で辿り着くことができると思うよ。そしておそらく“テミス”は、私の居場所を知るために、交渉役を差し向けてくるだろうね。その時に、こちらがどれ程優位に立っているかを示すことで、咲良の人質としての価値は下がるはずだ。といっても、さすがにごみとまではならないだろうけどね』
そう言いながら綾塔教授の目は、コーヒーフロートを啜る谷川へと向いた。が、コーヒーフロートまで目に入ってしまったらしく、胃から逆流してくるものを抑えるべく咄嗟に胸へと手をやると、そのまま横を向いた。
どうやら二杯ものコーヒーフロートを食した後では、暫く見たくもないらしい。
うん、わからなくもない。
そして、コーヒーフロートを視界に入れないように気をつけながら、綾塔教授は再び口を開いた。
『ここで間違ってはいけないのは、あくまでも我々の最終目的は“テミス”の壊滅であって、咲良の救出ではない。そう、救出はその過程であって、そこが任務終了とはならないってことだ。だいたい救出だけなら、何も正々堂々と真正面から乗り込む必要はないだろう?狂犬くん』
何故ここで俺に話を振って来るのかわからないが、一先ず『あぁ……』とだけ、そっけなく答えておく。
そんな俺の態度にサードで慣れている綾塔教授は、目を細めながら先に進めた。
『だからこその作戦だ。人はね、価値あるものほど大事にしまっておきたいと考えるものなんだよ。言い換えるなら、価値がそれほどないなら、最大限の価値を引き出した上で利用しようと考える。特に、彼らが焦れば焦るほどその思考は強くなるものだ。そのためにも、我々と“テミス”の間で咲良の価値の齟齬を生じさせようと思う。今までは、咲良には価値があると存分に情報を流してきた。だが今度は、決してそれほどではないと思い込ませる。そうすれば、奴らは情報の洗い出しに走るだろう。さらに言えば、咲良の能力についても疑い始めるかもしれない。そうなれば、私の現存する論文の価値はまたもや急上昇だ。例えば、銀行の貸金庫にある論文なんかもね』
そういえば、今まさにその論文を狙って、銀行に立て籠もっている馬鹿がいたはずだ。そしてそれをウチの副班長が対応中だとも聞いている。
もし、綾塔教授の推察通りとなれば、銀行の件はすぐに解決へと向かうことになるだろう。
『それにだ。人質である咲良を交渉の場に連れ出しやすくもなる。然程価値がないなら、大事に仕舞っておく必要もないからね』
確かにその通りかもしれない。
だが、そのせいでサクラの命の危険が一気に高まる可能性もある。
そんな俺の心の裡を読んだかのように、熊ががなり立ててくる。いや、熊にしてみれば、これもまた平常モードなのだが………
『おい、狂犬。なんて顔をしてんだ。お前はなんのために敵陣に乗り込むつもりだ。嬢ちゃんを無事に救い出し、さらには“テミス”に引導を渡すためだろうが。今の嬢ちゃんは奴らにとったら最高の人質だ。だからこそ“穏便に”事を進めなきゃならねぇ。だが、お前は敵陣のど真ん中でずっと大人しくしているつもりか?んなこと、お前にできるわけねぇだろうが』
『なんて言い草ですか!だいたいあんたがらしくもなく“穏便に”とか言い出したんでしょうが!』
『だからそれは、俺たちが主導権を握るまでの話だ!その後は、好きにしろ!それが作戦だ!』
いやいや、それは作戦とは呼ばない。
世間では、行き当たりばったりと言われるものだ。
しかし、そんな熊の台詞に綾塔教授が乗っかった。
『そうだよ。そこからは相手の出方次第で、臨機応変ってやつだね。つまり、君たちの役目は、咲良の価値の齟齬で、彼らの動揺を最大限引き出すことだ。言うなれば、蜂の巣をつついて最終的に“テミス”の女王蜂を引っ張り出す。これが大きくなりすぎた組織の正しい駆除方法だよ』
そしてにっこりと笑った綾塔教授は、俺と風吹、そして谷川に向って意気揚々と告げた。
『では早速、“綾塔教授”という棒を使って、しっかりと蜂の巣をつついてきてもらうか。くれぐれも油断して刺されないようにね』




