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狂犬と博識ドール  作者: 星澄


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奪還と狂犬(5)

 コンコン。


 ご丁寧にも為されたノック。

 おそらく扉の向こう側にいる奴は随分とお育ちがいいのだろう。ただ途中で、人としての道が逸れてしまっただけで。

 いやはや、残念なことだな………などと、心にもないことを考えている間に扉が開いた。こちらからの返事は元より待つ気はなかったらしい。

 そして開かれた扉を見やれば、五十代前半くらいの恰幅のいい男が、護衛のつもりだろうが、黒のスーツ姿の男を三人後ろに従えながら入ってきた。

 見るからに仕立てのいいグレーの高級スーツ。

 その胸元に光る金バッジからして、幹部であることは間違いなさそうだ。

 その容貌は一見、やや寂しいロマンスグレーになりつつある、穏やかそうな気のいいおっさん――――――といった感じだが、それはあくまでも表向きで、本来は一癖二癖あるタヌキなおっさんといったところなのだろう。

 でなければ、俺たちの前に出てくるはずがない。

 そして、状況的にはどう見ても完全に袋の中のネズミと化した俺たちを嘲笑うかのように(谷川はリアルに袋入りだが)、一つしかない扉は無情にもパタンと音を立てて閉められた。

 十畳のほどの部屋に、台車の上の谷川も含め計七人。しかも黒スーツ率は七人中五人。

 もはや、通夜か葬式に集まった親族同士のようでもある。もちろん遠い親戚どころか、縁もゆかりもない赤の他人なのだが。

 そのため、顔を合わせて早々に会話が弾むわけもなく、あからさまな腹の探り合いが始まった。当然、名乗りもなしだ。

「―――――さて、初めましてでいいのかな?私の決していいとは言えない記憶によれば、君たちのような部下を持った覚えはないのだが?」

「でしょうね。俺たちは末端の末端。あんたの部下の使い走りの使い走りですからね、ご存知なくて当然ですよ。そもそも正統な味方でもありませんしね」

 もちろん正統な味方どころか、正真正銘正統な敵である。

 だがここは、金次第で動く都合のいい人間であることをさり気なくアピールしておく。というか、これはあくまでも取引なのだということを暗に示した。

 とはいえ、相手も百戦錬磨のタヌキだ。

 化かし合いはお手の物らしい。

 すかさず俺の言葉に、穏やかにしか見えない微笑みを湛えた。

「なるほど。ざっと整理すると、君たちは私の部下の使い走りの使い走りでありながら、私の部下が得られなかった“綾塔教授”の情報を手にし、それを交渉材料として私の前に来たということだね」

 どう整理すれば、そこまで整然とした話ができ上るのか甚だ不思議だが、ここは取り敢えず「そうだ」と頷いておくことにする。

 話が早いことに越したことはない。

「で、俺たちは今すぐにでも“綾塔教授”を差し出せるが、どうする?」

 あくまでも単刀直入。今更勿体ぶっても仕方がないのと、時間の節約だ。

 すると、目の前の男は俺の言葉に目を細めた。

「なるほど。どうやら君たちは本当に“綾塔教授”の居場所を知っているらしい。そしてそれを信じさせる条件の一つとして、その台車の上の荷物をわざわざ連れてきたってことか」

「まぁ、そういうことだ」

 そう、このお荷物でしかない谷川をわざわざ連れて来たのはそれなりの理由がある。

 第一に、たとえ俺と風吹が追剥ぎのスーツを身に纏い、“綾塔教授”の名前を出したところで、あっさりとこの部屋まで辿り着くことはなかっただろう。

 谷川という一度は放り出したお荷物を後生大事に運んできたからこそ、奴らは酷く慌てたのだ。

 情報の取り零しがあったのかもしれないと。

 そして第二に、俺は使い走りの使い走りだと名乗ったが、実際そうでないことは一々言うまでもなく諸バレしているに違いない。

 つまり裏を返せば、得体も知れない連中に谷川だけでなく、よもや部下まで押さえられたかもしれないという、揺さぶり――――いや、ここまでくると立派な脅しだ。

 これを“穏便に”と言ってしまえる俺たちの常日頃のやり口については、この際考えないほうが賢明だろう。

 精神衛生上にも。

 さらに付け加えるとするならば、このサンタ袋には、実はわからない程度の小さな穴が開けてあり、そこからこっそりと谷川に確認させていたりする。その内容は、風吹がさり気なく台車から転げ落ちそうになる袋を直してやるフリでその都度仕入れており、おそらくこの男についても、後ほど谷川から情報を得られるに違いない。

 あと、ついでに言うと、この交渉が決裂に終わった際の強行突破の道案内人として、谷川は有効活用させてもらう腹づもりでもある。

 今のところどう転ぶかは相手の出方次第だが、それでも今の谷川は間違いなく資源ごみだと言えるだろう。

 骨の髄までしゃぶられるほどの……………

 

 俺たちに…………上戸執事に、捕まったのがこいつの運の尽きだな。

 それとも、むしろ運がよかったのか………………?

 

 なんてことをつらつらと考えながら、目の前の男の胡散臭い微笑みを真っすぐに見据える。

 俺より一歩後ろに控えている風吹は、さり気なくスーツに仕込んだ獲物に手をかけているようだ。

 なんせ、今の俺たちの状態は袋のねずみ。交渉決裂時の突破口は、風吹が買って出てくれるらしい。

 うん、よくできた相棒だ。

 そのため、袋への風穴は阿吽の呼吸で風吹に頼み、俺はただただ男との対峙に集中した。

 そして待つこと五秒ほど。

 男の口がようやく開く。

「わかった。一先ずは君たちの話を信じよう。で、君たちは我々にとっては涎ものの美味しい餌をぶら下げてまで、何がお望みかな?」

 ド定番の台詞に内心辟易しながらも、ご尤もらしいことを垂れてやる。

「もちろん金に決まっています。危ない橋を渡る覚悟はただではできませんからね」

「なるほど…………で、どれくらいお望みだ?」

「前金として十億、儲けの三割ってところですかね」

「………………なんだと?」

 ここで男の声のトーンが一気に地を這った。後ろの護衛もまた胸ポケットに手を突っ込んでいる。

 どうやら、一気に臨戦態勢へと切り替えたらしい。

 だが俺にしてみれば、ここからが事実上の本番だ。

「お安いだろ?あんたらは“綾塔教授”の娘を手に入れた。だが肝心な“綾塔教授”がいなければ、その娘も所詮宝の持ち腐れ。いくら綾塔教授の論文を文字として読めるようにできたところで、それがそのまま使える武器や兵器とはならない。つまりこのままじゃ、使えない論文の中身だけを後生大事に握り締めているだけで、武器商人としては商売あがったりってことだ。しかも、世界を滅ぼせるほどの新兵器となれば、ワンビジネスで時に国家予算並みの数千億、数兆の金が動くような取引だ。儲けはともかく、十億なんて金額は、もはやあんたらにとっちゃはした金だろ?」

 今までそれなりに丁寧な言葉遣いで対応していたが、ここでがらりとぞんざいな口調へと変えてやる。

 そうだ。俺たちは実のある交渉なんてものは端から望んでなどいない。

 ここで示すことは、どちらが優位に立っているか、という点だけだ。

 状況だけを見れば、俺たちの方が袋のネズミ。

 だが、それはあくまでも状況的にそう見えるだけであって、事実ではない。

 実際、主導権を握り、袋に追い込んでいっているのは、お前らではなく俺たちなのだと、徹底的に思い込ませる。

 そのためのはったりならいくらでも使うし、まだ誰一人沈めていない時点では、非常に“穏便に”事を進めているはずだ――――――と思う。

 俺の口調と言葉に、上辺だけの穏やかな微笑みを消し去り、ものの見事に顔を引き攣らせた男に対し、今度は俺が満面の笑みをみせてやる。

 そして、ここぞとばかりに追い打ちをかけることも忘れない。

 というか、これが本題だ。

「“綾塔教授”の価値を思えば、前金に十億、儲けの三割なんて良心的な金額設定だと思うがな。だいたい、“娘”と“綾塔教授”のどちらを握っている方がこの交渉の場で優位か、わからないはずもないよな?」

「それは………………」

 すっかり顔色をなくし、冷や汗すらかき始めた男に、俺は容赦なくこの交渉における最後通牒を突き付けてやる。


「これはビジネス上の契約だ。あんたらは俺たちへの誠意として、前金として十億をまず目の前に用意しろ。もし今すぐ揃えられねぇって言うんなら、綾塔教授の娘の能力が本物なのか、まずは俺たちに証明して見せろ。確か噂では、綾塔教授の娘は口が利けなかったはずだから、その場には娘の通訳も一緒に連れてくるんだ。もしこれを断れば、お前たち“テミス”が“綾塔教授”を手に入れることは二度と叶わない。いいか、永遠にだ」


 

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