追跡と狂犬(10)
いつの間にか雨は止んでいた。
暗雲の隙間から差し込む陽光。
雨によって一気に洗われた空気。
心が一気に弾んでもおかしくない状況だが、俺の心もそう単純ではなかったようだ。
むしろ、暑さに湿度が加わって不快指数が上がっただけじゃねぇか!と、好転した天気に誤魔化されることなく冷静に突っ込む俺がいる。
また、共闘すると申し出てきた、条件的には申し分ないあのおっさんも、とんだ食わせ者だから気をつけろと俺の中で警告音が鳴り響いている。
一見、天気同様、好転の兆しが見えなくもない現状。
だが、実際は蓋を開けてみなければわからないと、己を引き締める。
そして、風吹と粗大ごみ(谷川)と一緒に、俺は“喫茶 関山”と書かれた茶店のドアをカランコロンと鳴らしながら開けた。
綾塔教授が話していた俺たちのいる場所から目の鼻の先にあるという茶店は、道路を挟んで四井商事本社ビルのほぼ真正面にあった。
といっても、挟む道路は主要な国道でもあるため、四車線で中央分離帯が設けられている立派なものだ。
そのため、車の切れ間に手を挙げて渡り切るなどという無謀なこともできず、少々離れた横断歩道から反対側へと渡るという模範的な方法で茶店へと向かった。
ちなみに俺と風吹は、現在追剥ぎで手に入れたスーツ姿。
追剥ぎにあった可哀そうな奴らは、念入りに沈めてサクラたちが乗ってきた車の下に隠してある。こいつらが見つかるまでには、綾塔教授との作戦会議も終わっているだろう。というか、何度も言うが、今の俺たちにのんびりとしている暇は微塵もない。
だが、サクラが組織にとって金の卵である以上、手荒なことはしないだろうという想像は難くないため、まだ絶望的状況ではないと多少の精神的余裕もある。
そこで、タイムロスを承知で茶店へとやってきた俺たちだが、その店はこれで経営が成り立っているのかと心配になるほど、閑古鳥が鳴いていた。
つまり、客は綾塔教授ただ一人。
店の経営状態を思えば、眉を顰めるしかない寒々とした状況だが、今の俺たちにとっては非常に都合がよかったため、そのまま綾塔教授が座る奥の席へと向かう。
洒落たカフェというイメージは微塵もなく、あくまでも茶店と呼ぶのがふさわしいほどに、店内は非常に薄暗い。
それを落ちつける空間と表現する奴らもいるかも知れないが、俺に言わせりゃただただ陰気臭いだけだ。
店員は店主と思われる男が一人で、お世辞にもお愛想がいいとは言えない。
というか、「いらっしゃい」という声を聞いた記憶もないし、当然席の案内もない。
ま、そこに関してはまったく求めていないことなので、気にすることもなく、勝手に突き進んでいく。傍迷惑にも台車を押しながら。
しかし、この店には迷惑をかけることになる他の客が一人としていないため、これに関しても気にしない。
店主すら気にしていないようなので、気にするだけ馬鹿らしいというものだ。
そして俺たちは、電話で話していたコーヒーフロートを、今も尚ご賞味中の綾塔教授の前に立った。
大島飛雁と名乗っていたサードでの綾塔教授の印象は、年相応の皺とやや下がった目尻で、将来は間違いなく好々爺の道一直線だな……という温和な雰囲気を醸し出すひょろっとしたおっさんだった。
だがその反面、超優秀な科学者兼、数学者という肩書を持ち、皆から博士と呼ばれ認められてもいた。
確かに、その中身が綾塔教授ならば、その優秀さについても容易に納得ができてしまう。
しかし今、俺たちの目の前でコーヒーフロートのアイスをスプーンで浮き沈みさせている男の顔の印象は、大島博士の時のそれとはがらりと変わり、将来どんなに年を重ねても好々爺にはならない鋭さがその目にはあった。
そして、俺たちの到着に綾塔教授がようやく顔を上げ、目を丸くする。
「これはこれは二人揃ってスーツ姿なんて、雨でも降り出すのではないか?」
「いや、雨が降ったからスーツ姿なんだよ。追い剥ぎしてな」
「おやおや、追い剥ぎとは随分と楽しそうなことしているね。いつも本部に閉じこもってばかりいる私にしたら、現場の君たちが羨ましいよ。私もそんな楽しいことを、一度はしてみたいものだね。ただ、ちょっと腕っぷしの方がね……」
「追い剥ぎのどこに羨ましさを見出しのか知らねぇが、追い剥ぎはやめとけ。逆にあんたが身ぐるみ剥がれて終わりだ。しかし、そういうあんたもいつもと全然雰囲気が違うじゃねぇか。白衣を脱いでるせいか?」
「ん?そりゃ、お出かけとなれば白衣くらい脱ぐよ。それに、仮の姿と素の姿が一緒じゃ意味ないからね。ところでその台車の上の大きな袋は何かな?」
「粗大ゴミだよ」
そう言いながら、俺はチラリとカウンターの中にいる茶店の店主へと視線を向けた。
堂々と谷川を連れて歩くわけにも行かないため、『もう一度、大人しく粗大ごみとして袋に入ってろ!』と押し込み、台車に乗せてここまで連れてきたが、ここで袋を開けて谷川を出せば、俺と風吹は立派な拉致監禁の現行犯として通報されかねないからだ。
もちろん谷川には、暫くただのゴミに徹しろと言い包めてはいるが、さすがにずっと動きを止めておくことは困難らしく、先程から微妙に身じろいでいるのがわかる。
さて、どうするか………………と思いながら風吹と並んで、綾塔教授の対面に腰かけたところで、店主が水を二つ運んできた。
やはり愛想なくテーブルに置かれたガラスのコップ。
音を立てて置かない、という茶店の常識を覆す乱暴と言っても憚らない置き方だ。
だがここで俺は、エプロン姿の店主の顔を二度見することとなった。
もちろんコップの置き方について物申したいと思ったからではない。愛想の悪いおっさんである店主に、そんなことはもはや求めていない。
そう、俺が全力で二度見する羽目になったのは――――――――
「あ、あんた………………」
「俺のこと覚えていたか。よう、十年ぶりだな元気か?」
「いやいやいや、ちょっと待て!あんたは十年前に…………」
「残念ながら、まだこの世で生きてる。現在進行形でだ。ほら、足もあるぞ」
「ちょっと待て!頼むから少し待ってくれ!色々と整理するから!」
「キョウ、ちょっと大丈夫?幽霊でも見たみたいに顔が真っ青だよ」
いや、全然大丈夫ではない。
まさしく混乱中だ。
現に足の生えた幽霊を見てたせいで。
心配する風吹の横で、頭を抱え込んだ俺。
そんな俺に綾塔教授は再びアイスとの格闘を始めながら、楽し気に告げてきた。
「言っただろう。この世界は右も左も、裏切りと裏切りと裏切りでできているとね。さぁ、君たちは何を食べる?ここは私がご馳走するよ。もちろん袋の中の粗大ごみくんも一緒にね」
あの日のことは今でも鮮明に覚えている。
突然消えた上戸執事こと、本宮刑事の代わりに突然俺の病室にやって来たおっさん刑事。
最初はただただ胡散臭いだけのおっさんだったが、本宮刑事の信用できる人物の二人の内の一人であり、俺の警護というより洗濯係として、時折病室に顔を出すようになった。
しかしある日、熊が来て言ったのだ。
おっさん刑事が死んだと――――――――
『自殺に偽装されて殺された……が正確なところだがな。つまり扱いは自殺で処理される』
『………そ、それは、例の組織にか?それとも警察にか?』
『両方だ』
そして俺は熊によってサードに保護されることとなった。
名前以外のすべてを捨てて。
だが――――――――
おいこら!
これはどういうことだ?
死んで幽霊となって出てくるならまだしも、五体満足に茶店の親父となって出てくるとは一体どういう了見だ?
しかもこの茶店は、“テミス”の表の顔である四井商事のど真ん前。
見張るにはお誂え向きの立地条件だ。
それに雨宿りなどと抜かして、綾塔教授がこの店でコーヒーフロートを楽しんでいるのも、偶然じゃねぇだろ。
というか、これをただの偶然だと片づけられる奴がいるなら、そいつはそうとうおめでたい野郎だ。
とどのつもり。
あんの熊野郎が、一杯食わせやがった。
熊ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!
今すぐここに出てきやがれ!
俺がそう内心で叫んだ瞬間、カランコロンと音を立てて店のドアが開いた。
どうやら俺は、その熊を召喚できてしまったらしい。
これは神の思し召しか。
はたまた俺の中で新たな能力が開眼したか。
―――――って、そんな能力いらんわ!




