脱出と博識ドール(6)
なるほど…………確かにこれはおどろおどろしいな……
一応私語厳禁中の俺は、内心だけでそう呟いた。
絶賛意識を飛ばしている組織の男が使っていた大きめのライトもそのままにして、手持ちのペンライトも点ける。
そして細部までを照らし、俺は先程の台詞を内心で零した。
三階にあるこの部屋はサクラの親父さんの研究室。
俺の研究室のイメージは、学校の理科室か(小学校の)、サードの化学分析室なのだが、この部屋はそのどちらにも該当しておらず、サクラの親父さんの性格が如実に表れた部屋となっていた。
研究以外のことはかなり大雑把そうだ――――――という性格が。
石造りの壁、戸棚、机の上、床にと、平たい隙間をすべて埋めるかのように書かれた数式――――――というか、落書き。触れても消えないところから、おそらく油性マジックなのだろう。しかも走り書きすぎて俺にはさっぱり解読不能なミミズ文字。
さらには戸棚に入りきらなかった本が所狭しと机の上やら、椅子の上、さらに直に床から積み上げられ、目的の本を探すだけでも一苦労しそうな惨状だ。
そして、絨毯代わりか!と、これまた突っ込みたくなるような走り書き入りの紙の束が床の上に散乱し、規則性一つ見えないままに、適当に並べられた研究機器はすっかり埃を被り、恐怖の館の定番アイテムの一つである蜘蛛の巣までしっかりこさえられている。
谷川ではないが、確かにここに長居したいとは思わない。
ついでに言えば、一度はサクラを誘拐してまで手に入れようとしていた綾塔博士の論文や資料を、なぜ今度は消去しようとしているのかは知れないが、この現場を見れば組織でなくても爆弾を使いたくなる。
なんせ、壁やら床やらに書かれた文字を消すのは、如何なる方法の中でも爆破が一番手っ取り早い。
まぁ、この走り書きに世界を揺るがす程の研究内容が書かれているかどうかはさっぱりだが…………
そんなこんなで、俺はこんなところからはさっさとおさらばしようと決めると、一旦組織の男を部屋の隅に転がし、床にあるという脱出用の扉を探すことにした。
何故そんなものを探すかというと、上戸執事からそこに組織の男を隠せるスペースがあると事前に教えられていたからだ。
そこで、ペンライトで照らしつつ、改めてその床を見る。
サクラの親父さんが床にまで残した落書きと散乱した紙はさておくとして、この床は石と木で作られていることに気づく。部屋の中心は重さの軽減を図ってか、木のみで作られており、部屋の外側に向かっては細かい木枠に四角く切った石をはめ込み、ちょっとした趣きある石畳風情となっている。
もはやその趣きは、落書きと紙のせいでないに等しいが、この床の構造からいって、脱出口は木だけで作られた部屋の中心付近にあると簡単に見て取れた。
俺はざざっと紙を掻き分け、扉を開けるための取っ手となるべきものを探した。そして――――――――
これか……………………
成人男性の指で約一本分、それも指の第一関節までしか入らない程度の穴を見つけ、俺は迷いなくそこへ指を入れ持ち上げてみる。約七十センチほど木の扉は思いの外あっさりと口を開き、黒い空間をそこに晒した。
俺はその中を念入りにペンライトで照らし、ようやくこの塔にしかけられた脱出口と隠れ場所について芯から理解する。
そうか…………この床下収納は脱出口と同時に身を潜めておく場所でもあったんだな。だからこそ、この空間なのか…………
深さ目測で八十センチ弱、奥行き二メートル近くはある床下収納。その床下収納の底にも扉が設けられており、その第二の扉こそ、下の部屋へと下りる脱出口となるらしい。そしてこの無駄に広い収納部分は、身を隠すために用意された空間であり、侵入者が下の部屋にいた場合、ここで身を潜めながら時を待ち、危険をやり過ごしてからこっそりと下りるという寸法なのだろう。
そしてこの穴は、あくまでも脱出用であり、侵入用としては考えられていないため、扉は常に自分に向かって持ち上げる形となっている。さらに、この空間の高さや大きさも、脱出を図るために身を潜めておくには最適かもしれないが、侵入するにはあまりにも不向きなものだった。
何故ならこの空間に忍び込んだとして、その深さは八十センチにも満たない以上、子供でもない限り蹲るのは土台無理な話。ならば、完全にその中で身体を横にするしかない。だが考えてもみてほしい。普通、下の部屋に脱出を図るならば、その空間にうつ伏せで寝転ぶことになる。まぁ、中には仰向けがいい…………といういう奴もいるかもしれないが、それはそいつの身体が軟体動物並みに自在に動かせる場合のみだ。
つまり進行方向へとはじめから向いていなければ、その中で方向転換をし、扉を開け、脱出することは難しい。
その理論からすると、上に向かって侵入する場合は、この空間に仰向けで寝転ぶ必要がある。しかしだ。下の部屋から這い上ってきたとして、この浅くて低い空間で仰向けになるのは、やはり軟体動物でもない限り無理な芸当となる。となれば、うつ伏せで待機。しかし上の様子を探るにはやはり不向きな体勢であり、そして扉の作りからいっても、床の上に何を置かれていた時点で侵入不可能。扉を開けることがたとえできたとしても、その扉が持ち上がった時点で、中に人がいれば侵入はバレバレとなる。
やはりこのルートでの侵入は、サクラの言う通り無理だったな………………
俺は改めてそう結論を出すと、サクラが用意してくれた拘束具入りのピンクの水玉の巾着袋から、縄と、さるぐつわ用のタオル、そして結束バンドを二本取り出した。そして今更ながらに、こいつ……このクソ暑い日にスーツかよ――――なんてことを思いつつ、両手両足をそれぞれ結束バンドで固定した後、タオルでさるぐつわをし、尚且つロープでぐるぐる巻きにしてから、その空間に落とし込んでやった。
それから改めて扉を閉め、一度は退かした紙をその上に撒いておく。
これでたとえ他の組織の連中が戻ってきたとしても怪しまれることはないだろう。
うん、上出来!
自画自賛をしてから、俺はその部屋をとっとと後にした。
次に向かうは四階の倉庫代わりとなっている部屋だ。
先程の三階の様相からいって、四階の部屋もまた、それはおどろおどろしいことになっているのだろう。
倉庫というだけに、さすがに落書きはないだろうが………………
もちろん今度は外壁を登ったりなどしない。正当なルートとなる螺旋階段を使って上がる。
たとえここで俺の足音が多少響いても然程問題はない。
四階いる奴からすれば、三階にいる仲間が登ってきたとそう思うだけの話だ。そしてたとえ四階の奴が螺旋階段を下りて来たところで、そこで仕留めればいいだけのこと。
つまり、一人片づけたことによって、鉢合わせすることすら大歓迎という状況となった。
しかし、この螺旋階段の幅は息苦しさを覚えるほどに狭かった。各階を作るために増設された内壁からの圧が半端ないのだ。
この塔は高所恐怖症だけでなく、閉所恐怖症にも厄介だぞ――――――そう内心でぼやきつつ、俺は四階の部屋の前に立った。
さて、次はどうするか…………やっぱ、さっきと同じ手でいくか………………
考えること、僅か一秒。
ほんの一瞬、仲間のフリでもして入ってやろうかとも思ったが、突然“山”、“川”などと、事前に決めた合言葉を要求されても答えようない。十中八九、求めてはこないとは思うが、念には念をだ。
そこで俺は、先程と同じ手を使うという結論を出すと、扉のノブに手をかけた。
所謂、幽霊屋敷ならではの恐怖体験、突然閉まっていた扉が開く――――――ってヤツだ。
さぁ、目一杯怖がれ!と、底意地の悪いことを内心で宣いながら、俺はノブをゆるりと回した。
ギィィィ………………
先程のよりも、扉の蝶番の軋む音が長く空気を震わせた。
「ひぃッ!」
どうやら三階にいた奴よりも小心者のようで、男の悲鳴が微かに漏れ聞こえてくる。
だが、一向に扉の方へと近づいてくる気配がない。それどころか…………
「驚かしっこはなしだ!ったく、うっかり落としそうになっただろうが!それより三階の捜索は終わったのか?だったらこっちを手伝ってくれ。倉庫かなんだか知らんが、もう部屋が雑然としすぎていて、どこから手を付けていいかもわからん!」
などと、文句と注文を垂れてくる。
なるほど……俺を仲間だと思い込んでいるらしいな。だったら、手伝ってやらないこともない。
これまたあっさりと方向転換することにし、「ゲホッ……ゴホゴホ……りょ、了か…ゲホゲホゲホッ…………」と、思いっきり咳き込むフリをしながら部屋へと入った。そして、「おいおい大丈夫かぁ?」などと心配してくれる優しい組織の男の声に向かって歩を進める。
っていうか、ここもかよ…………
思い立ったら吉日なのか、それとも単なる趣味なのか、倉庫であるはずの部屋の壁にもサクラの親父さんの残した落書きがされており、ここに血痕でも付いていようものなら、長い長いダイイングメッセージようだ。
さすがにこのミミズ文字を解読できる名探偵は、この世にはいないとは思うが………………
俺はそれらをペンライトで照らしつつ、男のもとへと向かう。そして見つけたそれらしき人影。
「ここだ、ここ。まったく棚が迷路みたいに置かれてる上に、物も散乱してるからな。足元に気をつけろよ」
どこまでも気のいい男の言葉に有難く従いながら、俺は棚と棚の間をすり抜け、男のいる棚まで進む。
そしてそこでペンライトを消し、そのままずんずんと男まで近づいた。
「ど、どうした?驚かしっこはなしだと言っただろ!灯りを点けろ!」
男は自分に近づいてくる人影へ向かって、手にしていたライトを向けた。
そしてようやく気付く。近づいてきた者が自分の仲間ではなかったことに。
「だ、誰だッ!」
親切な気のいい男から一転、忽ち牙を剥き、戦闘態勢に入るスーツ姿の男。
ライトの光が一瞬目に入るが、相手の位置はすでに把握済。
たとえこのまま目を潰されたとしても、もう俺の射程圏内だ。
俺は一気に距離を詰めながら、両サイドの棚を掴み、そのまま身体を腕の力で振り上げた。ちょっとした振り子状態。その振り子の反動を使い、男の胸元に蹴りを見舞う。
その衝撃で勢いよく吹っ飛ぶ男の身体。
そして棚の奥の壁に背中から激突し、そのまま前のめりに倒れ込んだ。
しかし、まだ意識は辛うじてあるようで……………
呻き声を上げる男の頭を持ち上げ、「大丈夫か?」と空々しい言葉を口をしてから、そこに質問を重ねる。
「お前ら“テミス”の者だな?ここで何をしていた?一体何が目的だ?」
俺たちの中ではもう“爆弾を探しに来た”という答えは出ている。しかし、その答え合わせは必須だ。
とはいえ、そこは組織の人間。いくら仲間内では親切な男でも、敵相手には親切であるはずもない。
だがその男は、ある意味とても正直者だったらしい。
ほんの一瞬だが、その男の目は棚へと動いた。そしてそのまま意識を飛ばす。
俺は先程のように巾着袋の中の道具を使い、まずはちゃっちゃと男を縛り上げる。それから、この男が最後に向けた視線の意味について考えた。
しかし、百聞は一見に如かず。
ペンライトを再点灯させて、男が見たと思われるその棚へと近づく。
整理整頓という言葉が無縁の棚の上には、埃塗れの研究器具と本と資料。
だがそこに、唯一埃が被っていない物が一つ。
この棚に馴染みもせず、違和感だけを醸し出している。
そう、それは明らかについ今しがた置かれた物。
ここに元々あった物ではなく、組織の男の手によって運び込まれた物だ。
それを目に映しながら、俺の脳裏では男の台詞が蘇る。
“驚かしっこはなしだ!ったく、うっかり落としそうになっただろうが!”
…………………………まじか?
俺はもはやこの部屋の異物にしか見えない眼前の黒いリュックに、思わず天を仰いだ。




