爆弾と博識ドール(9)
「今から約十年前の春の日、ある六歳の少女が誘拐されました」
サクラはまるで、別の少女の話をするかのような口調でそう切り出した。
どこか感情が抜け落ちてしまっているサクラの声音に、俺は妙な違和感を覚えつつも耳を傾ける。
実際あの後――――――俺が公園で捨て置かれた後に、サクラの身に何が起こったのか、その事実を知るために俺はサクラの話の続きを待った。しかし何故かサクラは、小さく首を横に振った。
「そこで実際どんなことがあったのか。少女はどのように誘拐されて、どんなところに監禁されていたのか、何一つ覚えていません」
「お、覚えてない⁉」
思わず噛みつくようにそう聞き返した俺に、サクラはコクンと頷いた。
「はい。少女は何も覚えていません。しかし、おそらく少女自身がそうすべきだと判断し、自ら記憶を消したのでしょう。ある種の自己防衛本能を働かせて…………」
「…………そ、そんなこと自らの意思だけでできちゃうものなの?」
風吹からの問いかけに、サクラはへにょりと眉を下げた。困惑というよりも、戸惑いに近い表情。
サクラ自身、実際にそれができてしまったのだから、それ以上答えようがないといった感じだ。しかし、その明確な答えの代わりにサクラは続けた。
「少女は必死だったんだと思います。そうすることで、自分の身を、自分の父親を、そしてこの世界を守ろうと…………」
“世界”という単語に少々大袈裟なものを感じるかもしれないが、サクラの親父さんである綾塔教授の論文にはそれだけの価値あり、そしてその内容は世界の崩壊をも可能にするものなのだろう。
だがしかしだ。確かに綾塔教授の娘だけあって、サクラの頭脳はずば抜けて優秀だ。とはいえ、事件当時はまだ六歳。いや、その六歳に馬鹿呼ばわりされた俺が言うのもなんだが、それでも所詮六歳だ。
その六歳の少女がどれほど自分の父親の論文の価値を理解し、世界を守るために自分の記憶まで消し去ろうと思えるものなのか、ましてや、それを自分の意思一つで実行できるものなのか、風吹ではないが疑問しかない。
そして何より――――――――サクラにはもう、俺と会ったあの日の記憶はない―――――――という事実が、今の俺を打ちのめしていた。
あぁ………もしかしたらこれが失恋の痛みってヤツなのか………………なんてことが脳裏を過り――――――――
いやいや失恋ってなんだ!
俺は確かにサクラを特別に想ってはいるが、この気持ちはそんなふわふわしたもんじゃねぇ!
――――――と、己の思考をぶった切る。
それでもやはり払拭できないショックを漠然と抱えながら、俺はサクラの話を取り敢えず聞くことにした。
しかしサクラの話は、その抱えていたショックでさえも、思わず放り出してしまうほどの、新たな衝撃を俺に与える。
「きっと、こんな話をしても信じてもらえないかもしれませんが、誘拐犯たちは自分たちの誘拐したその少女自身が、その科学者の論文と同等の価値があることを知りませんでした。ただ、少女が論文の保管場所を知っている…………もしくはその保管場所の鍵の在処を知っていると思い込んでいたのです。でも、そうではありませんでした。少女そのものが論文そのものだったのです」
「「………………………はい?」」
風吹と見事にハモる。
いや、気にするところはそこではなく……えぇっと…………これは、一体どう理解すればいいのだろうか?
婉曲的なものだろうか?
それとも、素直に受け止めればいいのだろうか?
俺は判断しかねて、サクラの背後の控えるように立っている上戸執事へと視線を上げた。
その視線の意味を正確に察した上戸執事は、微笑みまで添えてしっかりと頷き返してきた。つまり、サクラの話は決して婉曲ではなく、そのまま受け入れればいいということなのだろう。
だがそれは裏を返せば……………………
「サクラの話によると、その少女は綾塔教授の論文である――――――そして誘拐犯たちは自分たちが綾塔教授の論文そのものを手にしているにもかかわらず、その事実に気がついていなかった…………と、言っているように聞こえるが、その解釈であっているのか?」
「あっています」
サクラはそう断言してから、さらに重ねた。
「その少女にはある能力ありました。といっても、ファンタジー小説に出てくるような特殊能力ではありません。ちょっとした才能です」
「それはどんな?」
風吹の食いつきように、サクラはふふっと笑って、その答えを口にした。
「少女は一度読めば…………いえ、一度目にさえすれば、どんな内容の本であっても一字一句覚えてしまえるのです」
「「…………………………はい?」」
バディというやつは、間合いも返す言葉も、とことん同じになるんだな…………などと、風吹と一緒に阿保面をぶら下げながらふと思う。が、それよりもなによりもだ。
どこが、ファンタジー小説じゃないって?どこが特殊能力じゃないって?ごくごく一般の頭脳しか持ち合わせていない俺からしてみれば(多少馬鹿よりだが)、それは立派なファンタジーだ!
一度見ただけで本の一字一句をすべて覚えてしまえるって…………それって生き字引なんてレベルじゃねぇぞ!完全に歩く図書館じゃねぇか!
――――――――と、やはり上戸執事へと視線を投げかけてみれば、「咲良お嬢様の言葉に、何一つ偽りはございません」と、直球ど真ん中の球が返ってきた。
あぁ……なるほど……………だから、あれほどまでに爆弾に詳しかったのか……
ようやくその真相についても同時に答えを得る。
早い話、爆弾関連の本を目にすることで、爆弾に関するありとあらゆる知識を得ていたに外ならず、未実地だったのは、本物の爆弾がそうコロコロと転がっているわけもなく、実際に爆弾を目にしたことがなかったからだ。
そして、サクラ自身が論文そのものだったというのも………………
「少女の父親は、幼い少女の傍でよく論文を書いていました。彼女の母親が病弱だったこともあり、父親が少女の面倒を見ていたからです。そのため少女は、父親の論文を常に目にできる環境にありました。父親もまさか自分の娘にそんな能力があるとは思ってもいませんでしたから、少女がそれを目にしようと気にもしていなかったのです。ただし、途中からはそのことに気づき、逆に利用していましたが…………」
「…………利用って?」
「もちろん、自分が知りたい項目が、どの本のどのページの何行目に書かれているのか?といった作業効率を図るための利用です」
「「なるほど………………」」
「そう、つまり少女は父親の論文を一字一句余すことなく覚えていました。ただ、所詮は六歳の少女です。覚えてはいても、まだ理解はできていませんでした。しかし、誘拐犯たちの話からこの能力を知られてしまえば、自分は父親の元に帰れなくなる。そして父親に迷惑をかけ、父親の書いた論文がこの世界を壊すことになってしまう…………と考えたのでしょう。そして記憶を消すことにしたのです。といっても、特別何かをしたわけではありません。頭を強く打ち付けたわけでも、薬を飲んだわけでもありません。もちろん少女にその辺りの記憶がない以上、おそらく……という言葉が付きますが、でも少女は強く願っただけだったと思います。自分が助かるために、父親のために、世界のために…………そしてもう一つ、今はもう面影すらも残っていない“サクラの君”にもう一度会うために………………」
「ブッ、ブホッ!」
吹いた。いや、噎せた。ただ救いはアイスレモンティーを口に含んでいなかったことだ。もし含んでいたら、間違いなく俺は対面で相変わらず魂を口から半分出している爆弾犯谷川にぶちまけていた。
本当にあぶないところだった。不幸中の幸いだった。上戸執事は上戸の奈落へと落ちて行ったが、そこは上戸執事にとって第二の故郷ともいえる場所だ。放っておけばいい。
風吹は…………うん、隣を見ずともバディとしての直感からにやけ顔となっているのがわかる。見れば確実に沈めたくなるため、ここはお互いのためにも、隣は絶対に見ない一択だ。
だが、ちょっと待って!サクラの言う“サクラの君”なる者が俺と決まったわけでない。というか、“サクラの君”ってなんだ!そもそも、もはや俺と会った記憶すらないサクラに、この俺が“サクラの君”などというこっ恥ずかしい名称を付けられるわけがない!
俺は、それはそれで残念のような、心の平穏のためにはそれでよかったような複雑な心境となりながら、この話はスルーすることに決めた。しかし世の中、そうは問屋が卸さない。
「サクラちゃん、参考までに聞くけど……どうして面影も覚えていないような人を“サクラの君”とまで呼んで、その少女はもう一度会いたいのかな?」
「風吹ッ!」
やはりこいつは沈めとけばよかったと思うが、後悔先に立たずだ。
サクラは風吹の問いに律儀にも答えようと、顎に手を添え少し考える。そして躊躇いながらも口を開いた。
「誘拐される前の記憶だと思いますが、少女の中にはどうして一つだけ消えなかった記憶がありました。満開の桜の下で、少女が欲しくても手が届かなかった桜の折れた枝を取ってくれた人がいたのです。それが誰だったのか、すべては光の中に溶けてしまいましたが、あの時感じた幸せな気持ちだけは少女の中から消えませんでした、そしていつかその人に会いたいという想いも。たぶん…………私にもよくわかりませんが…………どんな本を見てもその答えらしきものがなくて本当に困っているのですが…………少女の気持ちを端的に表す言葉があるのだとしたら、それは………………」
「それは?」
一段と前のめりとなった風吹に、今からでも遅くねぇ……やっぱ沈めるか?と思った時、それはとてつもない破壊力を伴ってやって来た。
「それは……その少女にとっての初恋だったんだと思います」
そう告げて、乙女全開モードで恥ずかしそうに頬を染めるサクラ。
上戸執事は上戸の奈落で再起不能中。
風吹はほぼ反射で喰らわせてしまった俺の手刀でやはり活動停止中。
爆弾犯は元から魂放出中。
そして俺はというと、これっていつ謎解きからサクラの恋バナになったんだっけ?と、完全にお祭り騒ぎとなっている己の脳内やら内心やらを鎮めるため、暫し現実逃避を決め込んだ。




