【挿話】奪われたドールと捨てられた犬(3)
結果から言おう。
俺はサクラから何も預かっていないし、ヒントとなる言葉も聞いていない。
思い出してもみてほしい。
あの時の俺はサクラから散々馬鹿呼ばわりされただけだ。まぁ、辛うじて“優しい”という言葉が前にはくっ付いてはいたが、正直あまりフォローにはなっていなかったと思う。
優しかろうが、凶悪だろうが、最終的には“お馬鹿さん”であることに変わりはないのだから。
ぶっちゃけ、性格がいいお馬鹿さんだと言われたに過ぎない。
確かに性格が悪い馬鹿より、性格がいい馬鹿の方がまだ人として救いようが……………などと、考えてみるものの、どんな馬鹿も馬鹿である以上、救いようはねぇよな――――という結論に行きつき、俺はベッドの上で遠い目となった。
しかしだ。サクラがいうほど俺は馬鹿ではない。いや、そこまで馬鹿ではないはずだ。たぶん。
体育以外の成績は常に中の下ではあったが、どの教科も毎回三十点以上はあった。0点という点数も取ったことはない。そこは俺の自慢でもある。
算数も解き方がわからないのではなく、単純な計算ミスが多いと小学校の担任の先生に言われたことがある。つまり、落ち着いて解けばそれなりの点数になったはずだとも。
言い換えれば、落ち着きがないという話なのだが、落ち着きがないことは馬鹿とはなんら関係がないため、ここでは問題にしなくてもいいだろう。
国語は、教科書を読むと眠くなるだけで、これまた馬鹿とは関係がない。
それ以外の教科も似たり寄ったりで、理解がまったくできないのではなく、はっきり言って興味が持てないだけの話。
体育は、そもそも馬鹿とは関係がないため今はどうでもいいが、運動神経だけは誰にも負けないことだけは一応言っておく。
音楽は普通。図画工作は人並み。だから俺は、決して馬鹿ではないはずだ!――――――――と、力説してベッドの横を見やれば、本宮刑事は腹を抱えていた。
もちろん俺のように誰かに腹を刺されたわけではない。爆笑しているのだ。
ベッドの上からじとりとした視線を向けると、それに気づいた本宮刑事が『ごめんごめん………でもおかしくて…………』と、再び笑いの波に吞み込まれていった。
どうやらこの人は相当な笑い上戸らしい。
俺はベッドに拘束されたまま、本宮刑事が笑いの波から抜け出し、再び俺の警護する刑事として復活するのを暫し待つことになった。
『いやいや、本当にごめん。まさか、咲良ちゃんとどんな話をしたのかってところから、じ……自分のば、馬鹿談議にと……と……突入してしまう……とは…………さすがに……思わなく……て…………』
どうやら未だ笑いの波は満潮らしく、ようやく抜け出し戻って来たと思ったのも束の間、口に出しただけですぐさまその波に浚われそうになっている。
ようするにこの本宮刑事の笑いは、本来の話から馬鹿談議へと脱線させた俺のせいであり、決して馬鹿ではないと証明するはずが、むしろお馬鹿であることを証明したのも同然で、俺はその事実に気づき赤面で固まった。
現在、負傷し絶賛入院中の身で、この顔面への血液の上昇はいかがなものかと思うが、こればかりは仕方がない。ここは活性化されてよかったな…………ぐらいに思うしかないだろう。
しかし居たたまれないことこの上ない。こんな状況でなければ、『うるせぇ!』と一喝し、この場から逃亡を図っていたに違いない。
だがそれもできず、赤面を無防備に晒し、多少涙目になっている自覚まである。まじ最悪だ。
そんな俺の様子に気づいた本宮刑事は、生まれたての小鹿のように全身を震わせながらも『ごめんごめん…………』と、こちらも涙目でもう一度告げてきた。それからフォローらしき言葉を口にする。
『うん………君は馬鹿じゃないよ。そこまで自分のことを正確に論じられれば、大したものだ………うん、馬鹿じゃない…………』
そこまで確信を持って、馬鹿じゃないと二度も言ってくれたことに感謝すべきなのか、それともそこまで念押しされると、逆に馬鹿だと言われているような気分になると文句を言うべきなのか………………そう羞恥の中で思考を巡らせて、俺はある一つの結論に達した。
サクラからの馬鹿呼ばわりよりも、こっちの方がよっぽど傷つくわ!
視線だけでそれを本宮刑事に告げると、目は口程に物を言うらしい。
本宮刑事は呆気なくもあっさりと再び笑いの波に浚われていった。
もういっそのこと、そのまま溺れ死んでくれ…………
『そうか…………君は何も受け取っていないし、それらしき言葉も聞いていないんだね』
『受け取っていないし、聞いてもいない。俺はサクラに名前すら名乗っていない』
あれから十分後、ようやく笑いの波から無事生還を果たした本宮刑事は『なるほどね…………』と呟きつつ、考えるようにして顎に手を当て、目を伏せた。
僅かな沈黙の後、本宮刑事を顔を上げ、もう一度俺をその視線に捉える。
『隠していても仕方がないから話すけど、先程君には“犯人たちが君を狙っている可能性がある”と伝えたが、実際には可能性でなく狙われている。親御さんのもとに、君が搬送された病院を問い合わせる電話もあったそうだ。新聞記者を名乗った男からね。そして、都内近辺の病院にも同様の問い合わせが入っている。つまり、君のことを躍起になって探している者がいるということだ。そのことに対して、何か心当たりはないかな?』
『そんなことを言われても…………』
俺は真っ白な天井を見上げながら考えた。
どんなに思い出してみてもサクラとの会話はあれだけだ。
サクラからは何も受け取ってないし、むしろ俺が桜の枝を取って渡してやったぐらいだ。
だから断言できる。俺は何もサクラからは受け取ってもいないし、何も聞いてもいない。
しかし、犯人たちが誤解するだけの何かがそこにあったのだとしたら――――――――
『――――――そうか。あの時サクラは……俺に“お兄ちゃん、逃げて!”と……言った。普通ならそこは“助けて!”だろう…………って、朦朧としながらも……そう思ったから間違いない。もし……それを犯人たちが覚えていて…………サクラ自身が何も……持っていないことに気がついたら…………』
腹が痛むため、テキパキとは話せないが、どうやら俺の謂わんとしていることはちゃんと伝わったらしい。本宮刑事は俺を見つめたまま頷いた。
『犯人たちは、咲良ちゃんが君に何かを預けたと勘違いするかもしれないね。咲良ちゃんにとっては純粋に、自分の欲しかったものをくれた優しいお兄ちゃんを助けようとして、咄嗟に叫んだ台詞だったとしても…………ね』
もし、そうだとしたらサクラも十分に馬鹿だと思う。
連れ去られようとしているのは自分なのに、折れている桜の枝を取ってやっただけの俺の身を案じて、そんなことを叫ぶなんて、やっぱり馬鹿だ。
そこは俺でなくてもいいから、誰かに全力で助けを求めるべきだったんだよ。
“助けて!”と必死に――――――――――
だけど――――――――そのサクラの一言のおかげで、俺が本当に狙わているのだとしたら、それを使わない手はない。
『刑事さん……お願いが……あるんだけど………………』
そう切り出した俺の表情に、何か不穏なものを感じ取ったらしい本宮刑事は、忽ち眉を寄せた。




