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少女の手には呪いの本  作者: 七海 司
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物語が始まる

 カナカナと寂しげにヒグラシが鳴いています。お日様はまだ沈んではいませんが、北校舎にある図書室にはあまり光は届いておらず、人を不安にさせるうす暗さができあがっています。

 放課後の図書室はお昼休みのくる時とはまた違った表情を見せます。差し込んだ夕陽が影を作り赤い陰影が現世と隔離世の境界線を作っているようです。


 私は何を思い立ってしまったのか、小説に出てきた裏図書室への行き方を試したくなってしまったのです。現実と空想の区別がつかなくなってしまった訳ではありません。男の子が傘でヒーローの必殺技を真似するように、女の子もまた同じように憧れの存在と同じことをどうしてもしたくなるのです。私の憧れが小説の中のヒロインだったというだけの話です。


 冷気がゆっくりと流れて私を包みました。思わず身震いしてしまいます。私はいつの間にが赤い陰影の境界線を超えていました。なぜか図書室の入口横には大きな、大きな年代ものの時計が置かれています。古時計の長針が限りなく9に近い位置をさしています。


 4時44分です。


「4時44分に図書室の扉を4回ノックして後ろ向きに入る」

 何度も何度も読み込んだ物語ですので、手順は完璧です。


 いざ。


 コン、コン、コン、こんっ


「え?」

 同じ調子でノックしたはずですが、最後だけ音が違って聞こえたような気がします。背筋を冷たいものが流れていきます。


 空気が変わりました。理屈はわかりませんが、急に下がった気温に私の肌がひりついているようです。


 どくどくと鼓動がいつもよりも早くなっています。

 喉が渇いて、舌が上顎に張り付き不快です。

 いいえぬ怖さが、濡れた衣類のように全身に張り付き纏まりつくようです。

 手先が震え自分では止めることができません。

 カタカタと震える右手を左手で支えて無理やり、図書室の扉にかけます。


 ここで逃げ出すともっと怖いことが起こるような気がしました。


 立て付けの悪い引き戸がガタガタと音を立てて開いていきます。目の前にはいつもの図書室がありました。


「——」

 ほっと一息つき、私は図書室に背を向けて後ろ向きに入室しました。

 これでおしまい。何もなかった。私がただビビりなだけ。

 

 ——違和感。


 その正体はすぐに分かりました。


 いつもの図書室はカビ臭さもありますが、微かに紙とインクの匂いが私を迎え入れてくれていました。

 それなのに今はその匂いがしません。


「ひっ」

 視界のはしを影が通り過ぎていきました。

 誰もいないはずの図書室に無数の影が動いています。

 そのどれもが本を探すように動き、書籍に手を伸ばし本を物色します。

 いえ、本をとる素振りはありますが、どの影も本に触れていません。取るふりをした後、読むふりをしているのです。


 本当に裏図書室に来れてしまいました。ちょっとした、ごっこ遊びのつもりでしたのに。


 私は興奮しながら恐怖心をどこかに投げ捨てました。


 空想が現実になるなんて、なんて素晴らしいことなのでしょう。


 入室前とは違った原因で私の脈は速くなります。大きな声で笑ってしまいたい、嬉しさのあまり叫んでしまいたい衝動を押しとどめます。

 あくまでここは図書室。大声をだすのはルール違反です。


 興奮の最中、私は一冊の本を手に取りました。


 生あたたかい。


 その本は、人の体温のような妙に気持ち悪い熱を持っていました。それは満員電車で無理やり触れ合った他人の汗ばんだ肌のような生理的嫌悪を呼び起こすものでした。そっと本を棚に戻し隣の本を手に取ります。


 冷たい。


 ハードカバーのはずですが、本は冷たく、そしてグニグニとした生肉のような触り心地がしました。この本も棚に戻します。


 いくつか本を手に取っては戻す作業を繰り返し、ついに私は触り心地がよい本を見つけました。

 それはすべすべした友人の手のような触り心地をした白い本でした。私には手を取り合う友人がおりませんので、あくまでそのような印象というお話です。


 この本にしましょう。

 私が本の触り心地を厳選していたのには理由があります。裏図書室にはいくつかのルールが存在しているのです。

 

 入ったら最低1冊、本を借りなければならない。借りずに出ると不幸が訪れる。

 返却期限までに読み終わらなければならない。物語を止めると心臓が止まる。

 返却期限を守らなければならない。過ぎた分は寿命で調整される。

 物語は現実になる。

 

 死につながる4つのルール。

 あくまで物語に書いてあったルールです。これが適用されるかは分かりません。けれども、物語通りの所作で入れてしまったのです。守った方が賢明でしょう。


 私は白い本をもちカウンターへ向かいます。たった数メートルの歩行を影たちがねっとりと絡みつくような視線で観察してきます。男性から投げかけられる不躾な視線の方が100倍マシだと思えるほどの呪いの視線です。


「か、貸し出しを、お、お願いします」

 震える声でカウンターに文字通り張り付いていた影に声をかけます。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 突如、影に黄ばんだ歯が生えて聞き取れない言語で受け答えをしてくれました。


 不思議なことに何を言ったのかは全く聞き取れなかったのに、何を伝えようとしたのかは、はっきりと分かりました。


「か、貸し出しカード……」


 私が戸惑っていると影が本の背表紙を指さします。それに従い背表紙を開いてみると小さな紙製のポケットの中に長方形のカードが入っていました。


 ■■と書かれていた欄のところにきっと名前を書くのだと思います。少しときめいてしまいました。私はバーコード処理された図書室でした本を借りたことがありません。それが古い恋愛小説のキーアイテムである貸し出しカードを実際に手に取って使う日がくるとは夢にも思いませんでした。


 私が感動していると影が早くしろと無言で水をさしてきます。

 影に催促され、渡されたペンを手に取ります。


 そしていざ、名前を書こうとしましたが、インクが無いのか掠れて書くことができませんでした。助けを求めるために影を見ると、ペンを指先に刺すジェスチャーをしています。


「■■■■■■■■■■■」


 やはり、何と発音しているのかは分かりませんが、意味は伝わってきます。


 指示された通り、ペン先を左手の小指に刺しました。思ったよりも痛みはありませんでしたが、ぷっくりと赤い血がでてペン先に吸い込まれていきました。

 なるほど、血がインクの代わりなのですね。妙に納得してしまいました。おそらく、ここにある本も血で綴られているのでしょう。


 貸し出し処理を終えた私は出口までのほんの少しの距離をフラフラ歩きます。

 この体験は白昼夢だったのではないかしら。

 そう、何度も何度も思いましたが手の中にある白い本の重さと手触りが否定してきます。


 さっきまでは夕日で真っ赤な境界線ができていたのに、まだまだお日さまは高い位置にあり、傾く気配はありませんでした。


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