肉体派聖女、何でも拳で解決します! えっ、今殴ったの王子!? 国家反逆罪で追放!?
「ちくしょう! やっちまった!」
王国の牢屋でマーガレットは黒く長い髪を振り乱した。
マーガレットは聖女である。
こんな口調だが教会から認可を受けた立派な聖女である。
人々の悪霊を祓って生活をしている。
今日も今日とて悪霊祓いに勤しんでいた彼女はいつものように、悪霊に取り憑かれ暴れ苦しむ貴族風の金髪男をぶん殴った。
殴った。殴り倒した。タコ殴りにした。
マーガレットの聖なる拳は殴ることで悪霊を祓うことが出来るのだ。
正直言って殴りすぎではあった。
日頃のストレスを拳に乗せていた節はあった。
しかし、悪霊は祓えるのだ。多少の犠牲は見逃されていた。
しかし今度ばかりは相手が悪かった。
なんとマーガレットが殴った相手はこの国の第一王子ウォーレン殿下だったのだ。
悪霊祓いが終わった瞬間、マーガレットは王国騎士団にその身柄を拘束され、牢屋に放り込まれていた。
「だいたい何だって王子様がこんなド田舎に……そもそも、危険な区域に近付くか呪われるかでもしなければ悪霊になんて取り憑かれたりしないのに……」
マーガレットの管轄の街には金の採掘現場がある。
そこには過去の事故で死んだ人々の霊が溜まっていて、悪霊に憑かれるのは大抵、金を掘る屈強な男達だ。
そのため、マーガレットが思いっきり殴っても翌日にはピンピンした顔で仕事に復帰していく。
「ちんけな貴族ならともかく、王子が金の採掘現場にこっそり忍び込むわけもないし……さては呪術師に呪われたな、あの王子」
呪術師は悪霊を呼び寄せ、他人に取り憑かせることが出来るのだ。
自身の身に悪霊を取り憑かせても自我を保つことのできる特殊な体質をしていて、呪術用の悪霊をストックしている。
「というわけで私を拘束するよりその呪術師を探した方が良いと思うぜ! おい! 聞いてんのか牢番!」
「……聞いてるけど、自分、ただの街の牢番なんでそんなこと言われても……」
牢番は困った顔でそう言った。
牢番は地元の青年である。
マーガレットのことはよく知っていた。
親父が悪霊に憑かれた時に祓ってもらった恩もある。
しかし今回は相手が相手である。
王子をタコ殴りにした聖女を逃がすなど、自分だけではなく親戚一同も危険にさらす行為だった。
「……まあ、なんです、悪霊祓いということでどうにか減刑をしてもらえるよう祈るしかないのでは?」
「聖女らしく祈れってな! はん!」
そう言ってマーガレットは冷たく硬い床に寝転がった。
「……祈って何かが解決するなら私は聖女になんかなってねえっての」
マーガレットは目を閉じた。
硬い床でも彼女は難なく眠ることができた。
幼い頃に顔も覚えていない親に捨てられ、路上で生活してきた彼女にとって、牢屋の硬い床も屋根付なだけマシだった。
夕日の差し込む牢屋で眠るマーガレットを見ながら、牢番は一つため息をついた。
「……きろ……起きろ、聖女マーガレット……起きろ! 起きろ!! 起きろー!!!」
「んあー」
マーガレットはヨダレをこすりながら、目を覚ました。
「おはよー、誰?」
マーガレットを必死で起こしていたのは四十くらいの男であった。
騎士の制服を着ていて、年齢のわりに体にはたるんだところがない。
自分が殴り合っても勝てるだろうか、マーガレットは少し悩んだ。
「私はウォーレン王子殿下の筆頭騎士だ。おぬしに沙汰を言い渡しに来た」
「おー、上等じゃねえか。打ち首獄門なんでも来やがれってんだ。受けて立ってやらあ」
「……おぬし、本当に聖女なのか? 私の知っている聖女はなんというかもっとこう……たおやかだったぞ」
「王都みたいな軟弱なところの聖女なんざ知らねえよ」
実際、マーガレットは王都になど行ったことはなかった。
ただ何となく華やかなところなのだろうという想像だけしていた。
「……貴様の王子暴行への罰、それは国外追放だ」
「……追放?」
「国家反逆罪の中では一番軽い刑だ。悪霊祓いの功績と秤にかけてやった。温情に感謝するがいい」
「…………」
マーガレットは腕を組んで何やら思案し始めた。
「お、お待ちください!」
裏返った声がした。
牢番の青年が声を上げていた。
「……なんだ」
筆頭騎士は意外にも牢番の青年に視線をやり、その発言を許可した。
「マ、マーガレット様は偉大な聖女です。昨日は確かに少々やり過ぎたかもしれませんが……彼女は我が街になくてはならぬ存在です! 我が街の金鉱には日々悪霊が湧きます! 私の父もそれに取り憑かれましたが、聖女マーガレット様の拳で救われました! どうか我が街のためにも聖女マーガレット様に慈悲ある沙汰を……!」
「ふむ……分かった」
「え、いいの?」
マーガレットは顔を上げた。
「聖女マーガレットに負けず劣らぬ聖女を一刻も早くこの街に手配させよう」
「そっちか!」
思わずマーガレットは突っ込む。
「……あ、ありがとうございます……」
牢番の青年は礼を言うと、引き下がってしまった。
「国外追放かーまあ、しょうがねえか……砂漠の旅も悪くねえな」
この街から一番近い国境の先は砂漠であった。
マーガレットは気持ちをその土地での旅へ切り替えた。
「ラクダとか乗ってみたいなあ」
「……のんきだな、おぬし」
筆頭騎士は珍獣を見る目でマーガレットを眺めた。
「国家追放……ワクワクするじゃん? 私は生まれ育ったのはこの国でその外なんて見たこともねえ……だから、国の外に国家のお墨付きで出れるなんて願ってもない!」
「……前向きだな」
呆れと関心の混じった顔で筆頭騎士はマーガレットを眺めた。
「大変です!」
牢屋に騎士の制服を着た青年が駆け込んできた。
「どうした!?」
「で、殿下が……!」
「殿下!? 殴られた衝撃で今なおお目覚めにならない殿下がどうした!?」
王子ウォーレンはそんなに重症だったのか。鍛え方が足りないな。マーガレットはのんきにそう思った。
「殿下が、悪霊に憑かれて暴れ出しました!」
「何ぃ!? 聖女マーガレット! どういうことだ!?」
「どうもこうもない。二発目だろう」
マーガレットは冷静に答えた。
「筆頭騎士殿、王子はおかしな所に行ったことは?」
「い、いや、殿下にはいつだって我々がついている。悪霊が湧くような場所にはお入れしない」
「なら、王子様についている悪霊は呪術師が放ったものだ。一匹目が祓われたから二匹目を放ってきた。そういうことだろう」
「ど、どうすればいい!?」
「決まっているだろう?」
マーガレットは右の拳を左の手の平にぶつけた。
「私に殴らせな!」
聖女マーガレットは一時的に牢屋から出された。
逃げ出さないように腰には長い縄がついていたが、それ以外は自由だった。
王子は宿の近くの街の中心地にいた。
王子は首元辺りを抑えて上を向いてた。
苦しげなうめき声がする。
そして王子が足を一歩前に踏み出せば、石畳の道路がひび割れた。
「逃げろ、逃げろ! 聖女マーガレット様の悪霊退治のお時間だ!」
マーガレットが大声を上げると、街の人々が一目散に逃げ出す。
昔、マーガレットの傍にいた逃げ遅れの金鉱夫が巻き込まれてぶん殴られた事件は住民たちの記憶に新しかった。
「王子様! 一度ならず二度までもあんたを殴った人間なんて後にも先にもいないだろうよ! 拳とともに刻み込め! 私の名前はマーガレット! この街の聖女様だ!」
「がんばれー! マーガレット!」
「やってくれー!」
「あの時はありがとうよー!」
遠巻きに見守る街の人々から応援が飛ぶ。
これがこの街での自分の最後の仕事になるだろう。
マーガレットはそれを覚悟しながら、拳を固め、王子に走り寄った。
「ヨ、ヨルナア……!」
地の底から蠢くような声がマーガレットを迎える。
マーガレットは気にも留めない。
王子は喉元を抑えていた手を離すとマーガレットに向かって振るった。
その距離はまだ腕の間合いではない。
しかし、王子の腕からは鋭い風が巻き起こった。
風の刃はマーガレットめがけて一目散に飛んでくる。
「はんっ!」
マーガレットは横っ飛び。風の刃を避けた。
「オ、オノレェ……聖女メェ……」
「おとなしく、ねんねしな! 王子様!」
王子がマーガレットに向かって足を踏み込む。
石畳が割れる。その割れ目はマーガレットのいる位置まで続く。
「だ、大丈夫か!?」
縄の先を握っている筆頭騎士が思わず隣の牢番に訊ねる。
「大丈夫です! マーガレット様にとってあんな攻撃……攻撃の内に入りません!」
マーガレットは高く跳躍した。
助走を付けたそのジャンプは王子に向かって一直線。
王子は腕を振るって風の刃を飛ばしたが、マーガレットは構わず拳を固めた。
マーガレットの右手に風の刃が当たる。
血が噴き出す。しかしマーガレットは一切怯むことなくその右手を振るった。
「おらぁ!!」
「グアアアアアア!!!」
王子が、いや、悪霊が悲鳴を上げる。
マーガレットの聖なる拳は王子の顔面を殴り抜いた。
王子の体が地に伏せる。
決着であった。
「ふー……いつもならもう二発三発いっとくとこだぜ、王子様」
右手の血を頬で拭いながら、マーガレットはそう言って仁王立ちした。
「やったー!」
「いいぞ! マーガレット!」
「さすがは俺たちの聖女だ!」
住民たちの喝采。
「ああ……ありがとう。いつもありがとう皆……これでお別れ、か」
マーガレットはそう呟き、王子に背を向けた。
筆頭騎士が縄を持ったまま、走り寄ってくる。
おとなしく牢に戻ろう。そして国から追放されよう。
そうマーガレットが歩み出したところを、引き留める者があった。
「ま、待ってくれ……お嬢さん……」
「ん?」
振り向くと、フラフラと立ち上がる王子ウォーレンがいた。
「あー、王子様。一発だけとはいえ、私の拳を受けたんだ。痛いだろう。重いだろう。おとなしく転がってな」
「い、いや……待ってほしい……待ってほしいんだ……」
「んー?」
わずらわしいと思いながらもマーガレットは足を止めた。
王子ウォーレンはマーガレットに歩み寄った。
「名前も知らぬ聖女よ……礼を言おう。俺を助けてくれてありがとう」
「礼は要らない。私は聖女として当然のことをしたまでだ」
「そして……聖女よ、俺の妻になってくれ」
「……は?」
「君に二度以上殴られて分かった……俺は殴られるのが好きだ」
「……え?」
「なんとも言えぬ興奮が体の芯から湧き上がった。こんな思いは生まれて初めてだ。両親にも殴られたことはないからな……」
「お、おう」
王子ならまあそうなのだろう。
そう思いながら、マーガレットはじりじりと後退していた。
思わず体が動いていた。
逃げ出したい。初めての感情がマーガレットの心の中で渦巻く。
「お願いだ! 私と婚姻し、毎日私を殴ってくれ!」
「変態だー!」
マーガレットは心の底から叫び声を上げた。
その後、聖女マーガレットの国外追放の罰は取り消された。
王子ウォーレンの口利きもあったが、それだけではなかった。
王子ウォーレンが、その後、何度も悪霊に取り憑かれたのだ。
もしやマーガレットに殴られたいがために悪霊に取り憑かれたフリでもしているのかとマーガレットと筆頭騎士は疑ったが、王子の見せる超常的な力は悪霊に憑かれた者のそれだった。
慌てて筆頭騎士は王都に早馬を飛ばし、王子を呪った呪術師を探させたが、手がかりは一向に掴めなかった。
「……いい加減にしろー! 私は砂漠でラクダに乗るんだー!」
ウォーレンを殴りながら、マーガレットは叫んだ。
「……目的がめちゃくちゃになっている……」
マーガレットの腰につながる縄を持ちながら、牢番の青年は苦笑した。
筆頭騎士は王都との連絡に追われ、最近は顔を見せなくなった。
「はあ……はあ……」
「いつもすまないマーガレット……今日も気持ちよかったよ、君の拳は……」
「黙れ、変態。黙ってくれ……」
マーガレットは頭を抱えた。
「ほらほら、マーガレット様、牢に戻りましょうね」
牢番の青年が助け船を出すようにマーガレットに声をかけた。
「うん……」
こんなにしおらしくなっているマーガレットも珍しかった。
「ああ、マーガレット、すまないな。俺の権力が足りないばかりに君を未だに牢に留めてしまっている……」
「いいよ、気にすんなよ……」
フラフラとマーガレットは牢に戻った。
さらに数日後、筆頭騎士によって、王子、マーガレットが集められた。
「結論から申し上げます、ウォーレン殿下、聖女マーガレット様」
「ああ」
「何……?」
ウォーレンはキリッとした顔で、マーガレットは疲労の見える顔で応えた。
「殿下を呪った呪術師はもうこの国にはおりません。いくつかの目撃証言を加味すると恐らく国外に逃亡したものと思われます」
「ようし!」
マーガレットは腕まくりをして力こぶを作った。
「どこだ! どっち方面だ! この際もう砂漠じゃなくてもいい! 私が見つけてぶん殴って呪術師の飼っている悪霊全部祓ってやる!」
ウォーレンはマーガレットとの離別の予感にがっくりとうなだれた。
「ええ、そうお願いしたいと思っています……そして厄介なことなのですが……」
筆頭騎士がとても困った顔をした。
彼はここ一ヶ月ほどのマーガレットの活躍をよく知っていた。
彼女の王子への献身は筆頭騎士に彼女を好ましい人物だと思わせるに足るものだった。
故にこれから告げる言葉のことを思うと、彼女に申し訳なかった。
「……殿下の悪霊を祓える聖女はマーガレット様以外におりません」
「……は?」
マーガレットはぽかんと口を開けた。
「殿下に憑く悪霊は日に日に力を増しております。それを祓えるほどの聖女はもはやこの国では指折り、その多くが忙しい任に着いております。そこを動かすことは出来ません。唯一動かせるのは、あなただけなのです、聖女マーガレット」
「それは本当か!」
ウォーレンが目を光らせ立ち上がった。
「……はい」
筆頭騎士はうなずいた。
「ええっと、つまり……どういうことだ?」
「……聖女マーガレット様、あなたには呪術師を探す旅に出てもらいます。そして、その旅には殿下にも同行していただきます」
「……クソがー!」
聖女マーガレットは悲鳴にも似た罵声を上げた。
その隣で王子ウォーレンは至福の笑顔を浮かべていた。