(2)
一夜明けて、今日から秋休み。
平日なのに学校がないって、なんてすばらしいことだろう!
お腹の上でドスドスと暴れるカワウソを払いのけて、目覚まし時計を見た。
……五時半。
「シュート、シュート、朝ですよ!」
「嬉しいのは分かるけど……。ちょっと早すぎませんか、ソウくん」
「お出かけは早い方が楽しいじゃないですか。さあ、出かけましょう」
張り切り過ぎだぞ、ソウ。
でも仕方ないかも。
昨日あんな話を聞いてしまったから、今日はソウの生まれた場所を探しに行く予定なんだ。里帰りのようなものだよね。しかも自由気ままに放浪生活をしていたので、生まれた山に帰るのは二百年とかそれくらいぶりらしい。
そわそわと落ち着かないソウに追い立てられながら、大急ぎで昨日買っておいたパンを食べる。もっちもちチョコパン、おいしいよ!
そして制服じゃなくてジーンズに足を通す。
うん。休日っていいね!
リュックの中にペットボトルを三本、じいちゃんが作ってくれた弁当、タオルと財布を入れて。そうそう、スマホも忘れないように。
荷物を入れたリュックの中に自分から潜り込んで、ソウは頭だけひょこっと外に出した。
「私も準備おっけーです」
「じゃあ行くぞ」
「きゅいーっ」
畑で野菜の手入れをしているじいちゃんに、行ってきますと声をかけて自転車のペダルを力いっぱい踏み込んだ。
よく晴れて空も高い。初秋の気持ちいい朝だ。
制服やスーツで歩く人たちの横を、自転車で追い抜く。
「きゅいっきゅい―っ」
「しっかり掴まってろよ、ソウ」
「もちろん分かってますよー。シュートの運転にはとっくに慣れましたからねー」
リュックから身を乗り出して、片手で自転車のかごの縁をつかみもう片方の手を振り回す。時々すれ違う人がびっくりして振り返ると、ソウはご機嫌で手を振った。
人が多いところでは喋らなくて、その代わりにきゅいきゅいと歌っている。
楽しそうだ。
美野川の上流へはほとんどずっと、考えずに川沿いの道を進めばいい。時々休憩してスマホで場所を確認しながら、ただただペダルを漕いでいく。道は徐々に細くなり、風景は住宅街から田畑の多い田舎へと移っていった。
上流に行くにしたがって、川も細くなり、谷のように深くなった底の方を流れている。道の上から川をのぞくと、あっちこっちにゴツゴツとした岩が転がっていた。
やがて歩道もなくなり、車がようやく一台通れるような細い道を気を付けて通る。その道は蛇行して、時々川から離れては、また近づく。美野川の上流では、いくつかの細い川から水が流れ込んでいた。
「ここまでは川沿いにずっと来れたけど、さて、どっちにいこうかな」
いよいよ本流と支流の区別がつきにくくなってきた。
道はその両方に向かって伸びている。
自転車を停めると、ソウが左を指さした。
「こっちの方が濃い匂いがします」
「じゃあそっちに行こう」
分かれ道でスマホを開き、地図を確認する。進むのは支流の方だ。
曲がりくねった道が時々川と交差しながら山へ向かっていた。
坂が急な所は、自転車を押して進む。かろうじて舗装されていた道も、途中から土の道になった。
草も少しは生えているが歩きやすいのは、こんな山奥の道でも人が通るからだろう。道幅もどうにか車が通れるくらいはある。
「こんな山の奥にも、人が住んでるのかな?」
「私が子供の頃は、このあたりで人間と出会ったことはありません。でも道はありました。もっと細くて、人間が踏みしめて作った道です」
子供の頃といえば、ソウの話を信じるならばおよそ三百年前。
えっと、江戸時代だな。
「罠にかかった獣を何度か見たことがあります。きっと狩猟のために山に入っていたのでしょう。罠とは恐ろしいものです」
「そっか」
「もちろん私は、罠にかかるような間抜けではありません。一度母がかかりそうになりましたが、私の華麗な道案内で事なきを得ました」
「よかったな」
もしソウが罠にかかっていたら今頃……いやいや。縁起の悪い想像はやめよう。
「だけどさ、そんな怖い思いをしたのにどうして人里に降りたの?山の方が安全な気がするけど」
「それは一言では言いにくいですねえ。一つは食料の問題です。単純に食料が多く取れるところには人がいますから。もう一つは敵を知るため……とでも言いましょうか。当時の私にとって人間は間違いなく敵でした。それがどこに住んで、どんなものを使って、どんな考え方をするのか。知らないよりも知っていた方がきっと戦いやすいと思うのです。シュートもそう思いませんか?」
敵を知り己を知れば百戦殆うからず、か。
なんにでも興味を持って、調べるのも考えるのも大好きなソウ。その性格は小さい頃から変わってないんだろう。
「シュート、ここです。ここらへんです」
ソウが草の生い茂った藪を指し示す。そこは急な下り斜面になっていて、降りていくには危険そうだった。
「ここは俺には無理だな。もう少し先を見てみよう。どこか降りやすいところを探してみる」
「分かりました。ええ、先に進みましょう。当時もかなり広い行動範囲でしたから、ここまでくればどこからでもたどり着けるでしょう」
曲がりくねった山道は狭いけれど所々に平らで道幅が広くなっている場所がある。多分車がすれ違うためのスペースかな。まだ車には出会ってないけど。そんな平地の隅に自転車を置く。ここから先は歩いて進むことにした。
ここまで来るのに、途中何度か休憩しながら三時間以上かかった。秋とは名ばかりの暑い日が続いているが、日は高くなったのに山の中はひんやりして涼しい。リュックを背負おうとすると、中からするりとソウが抜け出して俺の隣に立つ。
「行きましょう、シュート」
「おう」
俺たちの遠足はまだまだ続く。




