第八話 非常事態時には理性の箍が外れやすい
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「配給を始めます!」
そんな声が体育館中に響いたのは、昼12時になろうかという時だった。足の速い子供が真っ先に列をなしていく。
「さて、飯貰いに行くか」
「さっき食べたよね」
「まあ貰うだけタダだしな。波瑠はどうするんだ?」
「じゃあ、わたしも貰おうかな」
二人は食料はいくらあっても困らない、と配給の食料を貰おうと席を立つ。
「竜胆鎖貴だ」
「神喰波瑠です」
それぞれ名乗り、名簿と照会をされてからクラッカーとミネラルウォーターを受け取った。その後所定の位置に戻り、二人して水だけ口にした。
「クラッカー、あんまり好きじゃないんだけどなぁ」
「確かにこのままじゃ、余計にな」
波瑠はクラッカーは苦手なようだ。文字もない銀色の包装に包まれたクラッカーは、しょっぱいだけで確かに美味くはないだろう。本来であれば、チーズやオイル漬けなどの食品の器替わりに供されるのが一般的なのだから。
依然として、避難所指定されている六中の体育館は雑然としていた。日本の災害時のモラルの良さは世界一、なんて言う者もいるが実際はそんなことはない。
子供がうるさいからどうにかしろ、金を盗んだ盗んでない、そのクラッカーと水は自分が取ろうと思っていたものだ、お前たちだけお菓子を食べているなんてズルい。などなどなど、挙げれば切りがない程諍いの種は転がっている。
また、
「ほらみろよ、『焔』!」
そう言って手を炎に包む中学生。彼の右手首には鎖貴たちと揃いの黒いブレスレット。固有を使えることを自慢したい年頃なのだろう。
「どうやったんだよ」「熱くないのか」「俺もやりたい」などと、取り巻き達も含めて大騒ぎであった。
「これが全然熱くないんだ! ……朝起きたらこのブレスレットが着いててな、選ばれし者、ってやつ?」
「あ、僕も着いてたよ。どうやるのか教えてくれ!」
「これから俺の舎弟になるなら構わないぜ」
などと、気が大きくなって中学生時代特有の病が末期状態になる者もいた。
いくら体育館内とは言え、声は響く。その声に釣られて来たのだろうゴブリン。
「ゲギャギャ!」
「「「キャアーーーーーー!」」」
「や、やめて! 放してください!」
ゴブリンは一匹だけだったが、手近な所にいた中年ほどの女性を押し倒し服を破き始めた。
すぐに何人かの男がゴブリンを取り押さえようとするが、そのあまりの体臭に迂闊に近づけないようだ。ゴブリンの体臭は、ワキガ、糞尿、精液、血液など色々な汚臭を発酵させたようなものだ。近付きたくなくて当然だろう。
だが、一人の男が決死の覚悟でゴブリンを取り押さえた。その時暴れたゴブリンに何人が引っ掻かれただろうか。今すぐに病院で治療を受けないとまず助からないだろう。
しかし、彼らはゴブリンを拘束するのに必死で、傷があることすら気付いていないだろう。
「よっしゃぁ! 後は俺に……任せろ!」
突然飛び出してきた中学生。彼は手に炎を纏わせて喜んでいた少年だ。中学生は大人たちの制止も振り切って、その炎をゴブリンの顔に押し当てた。
「オラァ!」
「ギャァァァ!」
暫くしてゴブリンは、気絶したのか絶叫をやめた。
「暴行事件よ!」
「会話もせずにいきなり集団暴行なんて野蛮!」
「け、警察だ! それと救急車も回して貰え!」
しかし逃げ回っていただけのくせに、文句だけは一丁前な連中というのはどこにでもいるものだ。とくに、こんな法も無意味になりつつある世界では、人間の理性の箍は外れやすい。
誰かを貶すのを生き甲斐にしているような連中は、ここぞとばかりに、必要以上に彼ら勇気ある者たちに罵声を浴びせた。
「はははは、あいつら状況見えなさすぎでしょ」
「さっきの山田ってオバサンもいるみたいだよ。むしろ率先して叩いてるかも」
鎖貴は面白そうに笑っているが、波瑠は呆れている。同じ女性として、レイプされそうなところを助けたのに叩かれている、そんなちぐはぐな状況に言いたいことがあるのだろう。
そこまで考えて、自分も六中に来る前に鎖貴に助けられなかっただろうか、と波瑠の思考は没頭していった。
あの時は、鎖貴が咄嗟に見えないようにしていたので確証はないが、自分を見たゴブリンが股間を膨らませて襲ってきたのではないか。止めを刺した後の萎えつつあるソレを思い出し、中途半端ではあったものの出来るだけ配慮してくれた、紳士的一面のある彼に胸がときめく。
あまり大きくない声を聞き漏らすまい、と耳を寄せ、自然に距離が近くなるその動作も波瑠が顔を真っ赤にしてしまう一因だろう。まだ出会って何時間と経っていないのに、自分は尻軽なのではないか、と考えてしまうくらいには波瑠の頭の中は鎖貴でいっぱいになっていた。
「顔紅くしてどうした?」
「う、ううん。ちょっと蒸し暑いだけだから」
「そうか、てっきり俺に惚れたのかと」
「にゃ、にゃにを言ってるの!」
「違ったのか」
「そんなことより! ……えっと、鎖貴くんの左目が紅いのはなんで?」
内心を言い当てられた波瑠は分が悪い、と適当に目についた鎖貴の紅い左目について質問する。会って早々なら出来なかった質問も、いくらか親しくなった今なら聞いていいのではないかとの考えからだ。
「あー、これな。よく分からないんだよ」
「というと?」
「そのままの意味。今朝起きたら紅くなってたんだよ」
「そうだったんだ。で、でも、かっこいいかもね」
言ってて失敗した、と波瑠は思った。頬が熱を持つ。
鎖貴がニヤリと笑った。
「ちょっと中二臭いけどな」
波瑠は、からかわれなくてほっとしたのだった。