日常
「ぷぅー」
唇をすぼめて息を吐きつつ肩まで湯に浸かる。浴槽の縁を枕代わりにし、指を浴槽の中で順序良く鳴らしていく。最近寒くなってきたので風呂が気持ちいい。
疲れた。心の中で溜息をつくと、風呂に充満している入浴剤の香りを楽しむ。硫黄の匂いを嗅いで心と体が緩んでくるのを感じる。心と体が温泉に入っていると錯覚し始めると頭を空っぽにし目を閉じて一日を思い出した。
今日の午前中のテストを無事終え、いつもの三人で購買部に向かった。
テストの回収にかなり手間取り出遅れていたため、購買部では何十人もの人だかりができている。同じ制服を着た人間がパンという一つの目標に向かって並んでいた。
どこが最後尾なのかわからない列に並び順番を待っていると
「今日のテスト最悪だったよ。次の物理、勉強してきた?」
ここぞとばかりに田中が聞いてきた。
「ぼちぼち」
どうとでも取れる回答をしつつ、前の女子のうなじをぼんやりと見る。周りの声がうるさい。
「マジ?俺やってないよ。昨日は”パネルの部屋”を見て寝ちゃった」
佐藤が”やってない”宣言を出す。
「おまえはセンターで物理とらないもんな。うらやましいよ」
「まあね。でさ、昨日の”パネルの部屋”なんだけど。秋元がさ……」
友人たちの声に耳を傾けて適当に返事をする。いつもなら率先して会話に参加するが今はそんな気分ではなかった。
このままでいいのだろうか?という疑問が最近頭を悩ませていた。
長い時間を掛けて本当に自分が欲しいものを手に入れることができるのだろうか?現状維持のまま待つことに意味はあるのか?という自問を繰り返してしまう。
ポケットの中の500円を握り締めた後、ぼんやりと観察を再開した。ばれないように自然体で鑑賞する。ふともものラインがいまいち。及第点だな。
「聞いてるのか?井上」
「ノリがわるいぞ?一人でボケてて淋しいだろ」
田中と佐藤が聞いてくる。田中は眉間を微妙に寄せ、佐藤は顔をゆるませて。
「あー悪い。前の子の太ももに夢中になってた」
「相変わらずの変態だな?ふとももを選ぶなんて。普通は尻だろ?」
佐藤が馬鹿なことを言ってきた。うなじと太ももに決まっているだろう。
「どっちも変態だ。それよりも次の物理が問題なんだよ」
田中が現実に引き戻した。うんざりだが、顔に出さないように努力し会話に参加する。
しばらくして、やっと順番が回ってきた。
「銀チョコとベーコンパンとラスク。あとコーヒー牛乳ください」
オバちゃんに注文すると
「ごめんね。あとメロンパンが4つとコッペパンしかないのよ。どうするぅ?」
「それじゃあ……。メロンパンを1つください」
今日に限ってメロンパンしかない。本当は2つ欲しかったが我慢する。コッペパンは眼中になかった。田中と佐藤もそれぞれ購入し、メロンパン1個を持ってクラスに帰った。
時間を掛けて得たが、満足できない結果。結局はこうなるのだろうか?
お昼の出来事を思い出し、購買部の前で考えていた自問に思考が行き着く。すると
『ぐー』
と腹がなった。
「腹減った……」
体育座りからもっと体を丸めて無意味な言葉を吐くと、腰をゆっくり伸ばしつつ風呂から上がる。火照った体を良く拭くと下着とジャージを着て脱衣所を出た。ドアが開く音を聞いてこっちを振り返えった母が声を掛ける。
「今日は上がるの早いね。あと少しだから待ってて」
カレーの香ばしく暖かい匂いに出迎えられつつ冷蔵庫を開けた。牛乳パックを冷蔵庫から取り出すと直接飲む。一口、二口と飲み、息をゆっくり吐きだす。
「ありえんやろー」
リビングからは姉の笑い声とテレビの呑気な音が流れてくる。ゆるい時間の中で、変わらない匂いと声を聞く。得るものは何もないが、在るということが大切な毎日。あせったてしょうがないかな。そう決着をつけると牛乳を一口飲んだ。
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