その2
「力尽くで奪ったものは力で奪えると万人に知らしめることとなる。国を奪うのならば正当なる理由と誰もが真似できぬ手で奪わねば同じ手に怯え続ける事となる。それは俺の好みの処ではないな」
くつくつと笑い、男は用意された茶に手を付ける。「ああ、実に良い茶だ」
「おや、兄上はこれが好みで?」
自分たち兄弟が飲むには質の悪い茶葉から入れられた茶を絶賛する兄に対し、ダリウスは首を傾げた。
「何、アレウスからの贈り物でな。フフフ、我が弟ながら俺の好みを良く理解している……」
些か勝ち誇った上から目線で男はもう一人の弟に自慢する。
「ほぅ、それは何より……」
それを聞いた瞬間、辺りの雰囲気が一気に冷え込む。
周りのお付きの者達は緊張を走らせながらも、内心では又かとげんなりとしていた。
家督相続や所領の分け前などで兄弟仲の悪い家が多々ある中、この家中は奇跡的と言って良いほど兄弟仲が良かった。長兄は弟二人を溺愛し、次兄は末弟を可愛がり、長兄を敬愛して已まなかった。
同腹異腹の姉妹相手にも同じであり、嫁入りで他家に嫁いだ姉妹相手にも化粧料として毎年それなりの額を手当てしていた。
要するに、この二人が本気で他家の兄弟の如く相争うなどあり得ないのだ。可愛がっている末弟がどちらの兄をより慕っているか、それを自慢し合っているに過ぎないのである。
御家騒動に比べたら大したことのない問題ではあるが、この二人に限って言えばこの兄弟喧嘩を本気でしているのだからある意味で質が悪い。二人の間で勝敗がはっきりした日には負けた方の機嫌が悪く、兄弟何れかが担当している家中の仕事が滞り悪影響を出すことも珍しくないのだ。家臣からしてみれば、成る可く穏当なところで引き分けて欲しい、もしくは二人とも相手に勝ったと思っていて欲しいと切に願うところなのである。
「それでダリウスよ。お前の方の茶菓子は何かな?」
長兄はその茶菓子がどこから生じたものか分かっていながら敢えて問い糾した。
「いえ、何。兄上ほど大したものをご用意できなくて残念ですが、アレウスが我ら兄弟で楽しんで欲しいと送られてきたもので御座います」
ダリウスは指を鳴らし、控えていた側近に茶菓子を持ってこさせた。
「ほう、これか……。む、これは何とこの茶に合うことか……」
「ええ、ですから、『兄弟で楽しく時を過ごして欲しい』というアレウスの心づくしでありましょうな」
にやりと笑いながら、「いや、実に兄上の出して下さった茶と合いますなあ、この菓子は」と、弟の真意を一番理解しているのは自分だとばかりにドヤ顔で主張した。
「……流石は我が弟よ。中々やるではないか……」
長兄はそれでも余裕の姿勢を崩さずに、不敵に笑ってみせる。
「ええ、正に正に。アレウスこそ自慢の弟でありますな」
精神的余裕を手に入れたダリウスは畳み込むかの様にどちらの弟に向けていったか分からない台詞に対して末弟を持ち上げる相槌を打って見せた。それにより、自分の方がより弟を理解し可愛がっているのかを更に主張して見せたのだ。
「ふむ、そう来るか……」
楽しげに長兄は笑って見せ、「ところでこの書状なのだがな」と、届いたばかりのアレウスの報告書をダリウスに差し出す。
「拝見させて頂きましょう」
兄の態度に何やら不穏なものを感じながらも、弟の書状を読む機会を逸する真似はダリウスには出来なかった。
「まあ、宛先が俺になっていたのは当然だが、最後まで読み上げるが良い」
これから起こることが全て予測できているのか、長兄は楽しくて楽しくて堪らないといった表情でダリウスの様子を眺めていた。
「なんと云う事だ……」
ダリウスは天を仰ぎ、「アレウスに要らぬ気を使わせてしまった。私とした事が、私とした事が!」と、世界の終わりを迎えたかの様な大層な嘆きを発した。
「ハハハハハ、近況を知らせておかなかったお前の迂闊さを呪うのだな」
完全に勝ち誇った顔付きで長兄は弟を睥睨した。
「次からは気を付けるとしましょう。それで、兄上。本日の本題はやはりこの?」
「うむ。アレウスが護衛依頼を受けた雇い主よの。種々の情報を勘案した結果、どうも“覇者”が虎豹騎を動かした理由がその商人が運んでいた何かである方がしっくり来るものでな。お前と相談したかったのだよ」
気分転換がてら茶に口を付け、長兄は弟の反応を待つ。
「残念ながら私はその情報を知らないものでしてね。如何なる情報を仕入れたのですか、兄上?」
己の兄が中原全土に諜報網を張り巡らせている事を熟知しているダリウスは素直に降参の意を表した。
「先ず大前提だが、件の商人はルガナの人間ではない。どちらかと言えば、中原王朝の王都ヴォーガに属すると云った方が良かろうな。次に“覇者”殿がルガナ攻めに動いたのは件の商人がルガナに到着して直ぐだ。時期的に、商人がヴォーガを出発した時には何らかの動きを始めていたと見るべきであろう。若しくは、その前から何らかの内偵を進めており、被疑者を件の商人と定めた時には既にヴォーガを離れていたから慌てて追撃を計ったと云った処か」
「兄上はどちらだとお思いなので?」
「んー、常識的に考えれば高々連尺商人如きにそこまで大仰な探索をしないと考える処だが……この一件に“帝国”の息が掛かっているとしたらどうであろうか?」
「……推測や憶測ではなく、何か証拠を捕まれたので?」
ダリウスは己の兄を畏れている。
自分が無能であるとは思っていないが、兄より有能であるとは考えていない。一を聞いて十を知り、十を知れば今起きている全ての事を見通す事に掛けては異能と言っても良い領域に足を踏み込んでいるのだ。正しく、謀を帷幕の中に巡らし、勝ちを千里の外に決するを体現した人物であると認識していた。
その上、家中を掌握して最初に行った事が毎年の様に出征して火の車だった台所周りを所領の安定と産業の促進で黒字化に成功し、そこから産まれた余剰金で諜報網の整備を行い、天下の情勢を執務室に居ながらにして全てを知ると言った具合である。
兄弟仲が悪かったとしても、家中の者がこの兄以外を担ぎ上げようとしなかったであろう、それがダリウスの結論である。