その4
「あれの武がそれを楽に為せる領域まで達しているとは流石に考えてもおらんわ」
「と、云うと?」
「事態が急変しておるから時間を掛けるな、一撃を加えたら直ぐさま離脱せよ、と厳命したわ」
「それでこれですか……」
余りの事にベノブは絶句した。
これこそがベノブをしてジリオンに跡目を継がせたくない理由であった。
熱狂的な人間至上主義者なのだ。
父親がそうであった事も影響しているが、サムスンがベノブに付けた守り役が最悪であった。ファーロス一門の中でも一二を争う程の狂信的な人間至上主義者であった。これで博愛主義者に育ったとしたならば、偉大なる奇跡と言えよう。
(せめて、兄上の許で育てていれば、人間至上主義者になったとしても、今少し余裕のある性格になっただろうに……。その上で当主になったのならば、兄上を含め誰も不幸にはならない道だったのだ)
ベノブにすら分かる道理をサムスンが理解出来ていないとは考え難い。だとすれば、肉親の情で目が曇っているか、ベノブですら知る事の無い情報を許に先を読んだか、若しくは老いによる判断力低下のいずれかであろう。
いずれにしろ、情報担当のベノブとしては認めがたい事実ではあったが、それに拘ったところで事態が好転するわけでも無い。家門が崩壊しない様に出来得る限りの努力と根回しを怠らない様に動いていた。
それでも、今日の様な事があれば一瞬にして外交努力が無になるのだから、全てを投げ捨てたくもなる。
(ああ、クソッ。これでオーグロ周辺の慰撫を遣り直さねばならない。兄上にも連絡しないと。戦略眼を持った側近をジリオンに付ける事も考えないと拙いか? ああ、クソ、クソッ! 何よりも時間が無さ過ぎる!)
心中で一通り場言を吐いてから、「それで父上? 戦略の変更が必要だと思われるのですが、如何なされるつもりで?」と、気を取り直して意見の摺り合わせの為に切り込んだ。
「基本線は変えぬ。従う者にはソーンラントの民としての扱いを。従わぬ者は敵と見なす」
「明らかに好意的な交渉継続中だった部族を皆殺しにされた事に関しての当家の見解は?」
「……協定を破った者には死を」
「父上、今迄の慣例を無視する事になりますが?」
念を押すかの様にベノブは確認する。
人間至上主義に傾倒した後のソーンラントでも、嘗て先祖達が取り決めた“江の民”や“山の民”に対する扱いを基本軸に交渉を続けていた。
今回の様な生活圏の境界争いは新規の開拓地でも無い限り、先住者優先とする。その祖法があるが為ベノブは昔の記録を引っ張り出し、九割方は話を纏め上げ、後は細々とした取り決めを詰めるだけ迄持ち込んでいたのだ。
それを武で以て刈り取ってしまっては、以降の交渉ごとは相手方を油断させるための態度でしか無いと見なされても仕方ないと言えた。
そして、それは祖法を捨てた事を意味する。
基本線の維持とは正反対の動きであった。
「では、連中にジリオンの首でも差し出して許しを請うというのか?」
「それでこの辺り一帯全てを平定出来るならば安いものでしょうな」
怒りで顔を朱に染め始めた父親に対し、ベノブはしれっと言って退ける。「全ての問題がそれで解決出来たのならば、ですが」
「その価値が無い、と?」
「今回の問題のけじめ程度にしかなりませぬ。でしたら、若気の至りと云う事で当人には謹慎、教え導いた者の首を届け、後見人足る父上が指示が曖昧であったと直接詫びを入れれば向こうも多少の上乗せと境界線を自分達の主張通りにしてくれぐらいで済むでしょうな。後一月ぐらいあれば、全てこちらの云い分が通った事を考えれば惜しいですが、“覇者”のことを考えれば挽回出来る程度の誤差でありましょう?」
しれっと、さっさと始末しておきたい政敵に責任を押っ被せながら、今迄の感触から早急に妥結できる線をベノブは提示して見せた。
「……ぬぅ」
サムスンはそれを聞いて唸り込んだ。
本来ならば、ジリオンに命じた指令はベノブに話を通すか、ベノブの許可を取ってから動くべきものであった。
それを孫可愛さに常識を持って動けば簡単にこなせ、箔が付くであろうと軽い気持ちで命じてしまった事は否めない。
オーグロ周辺の総責任者であるベノブに話を通さない事による影響も考えずに、だ。
「今回の件、明らかに私の責任ではありませんよね? 命じられた父上か、実行したジリオンの何れかに帰するのは誰が見ても明らかです。これから来たるであろう“覇者”との戦いの際に後方を扼した状態にしたいのならば、“山の民”と“江の民”を殲滅するのも一つの手でしょうな」
皮肉気な口調で口の端を擡げ、ベノブは突き放す様に言い放った。
「……隠居で何とか負からんかの」
「私に云われても」
思わず苦笑しながら、「責任の所在をはっきりさせなければ向こうも引き下がりますまい。ジリオンが守役にある事無い事吹き込まれて暴走したという筋書きにするには分かり易い生贄が必要かと」と、ベノブは肩を竦めて見せた。
政敵を取り除きたいベノブの思惑は兎も角、“江の民”と“山の民”との折衝に当たっている身としては彼らのソーンラントに対する拭えぬ不信感をひしひしと感じていた。ここらで一つ相手の心証を大きく上げる何かをしたいと考えていた処にこの様である。本気で皆殺しを狙うか、誰が見ても大きく譲歩したと見える何かをなす必要があった。
(ま、最悪皆殺しでも良いのだが、兄上との連絡が絶望的になるのがなあ)
地理上、ラヒルまで“覇者”に制圧された以上、完全な陸路でのバラーへの連絡は不可能になったと考えるのが妥当であった。少なくとも、本気で連動する気があるのならば、“江の民”との協力関係を成立させるのが最低限必要と考えられた。
連絡が取れなくなって不利になるのが出征先にいる自分達だけで、無理に逆撃に転じなければバラーで籠城するであろうエクサは潤沢な物資を武器に長期戦で敵の一部を釘付けするだろう。その間に敵の本隊を打ち破ってラヒルを取り戻す事が理想的な展開である。
その為にも、オーグロには最低限の兵力を残し、ラヒル方面へ力を注げる状態に持ち込む必要がある。
「どちらにしろ、視野の広い補佐役をジリオンに付ける事が急務でしょう。当主にするにしろ、しないにしろ、ファーロスの一翼を担うならば遣れて当然の事柄が出来ないにも程がある。父上とてそれは御理解なさっておりましょう?」
「あれの貢献を考えれば……」
「生かすにしろ殺すにしろ、ジリオンの守役を外すのは最低条件ですな。最早、悪影響しか与えていない。どうぞ父上、ご決断を」
早い処兄に面倒な仕事は丸投げしたいと思いながら、ベノブは父親に決断を迫った。




