その6
程無くして、一行はミールに向けて出立した。
アレウスの読み通り、ミールまでは何事もなく到着し、虎豹騎がルガナ方面からネカムに向けて進軍したという情報は傭兵組合を始めとした情報を何よりも重んじる者達に高く売り捌けた。護衛料を無理矢理雇い主からせしめ取らなくても十二分に元を取れる額であった事もあり、誰一人としてアレウスを悪く言う者はいなかった。
「それで、相談とは何ですかな」
アレウスは宿の部屋までやって来た商人を冷たい目線で迎え入れる。
「ネカムの無事が分かり次第向かいたい──」
「何を以て無事というのかお聞きしたいところですがね? 俺としては止めた方が良いとしか云い様がありませんな。少なくとも俺はラヒルに帰りますよ。死地に向かう趣味はない」
商人の台詞を遮り、アレウスはきっぱりと断る。「どうにもあちらからは嫌な予感しかしない。然う云えば、貴殿、興味深いことを口走っていたな。虎豹騎が“覇者”の手元にいないとおかしい。我らがルガナを立った時は攻囲されていなかった。それ以前に、“覇者”殿が攻め込んでくるという噂一つなかった。仮に、“覇者”殿が直接ネカムを狙うとしたならば、あの街道を使う理由がない。ルガナが“覇者”殿の攻囲を受けているとなれば話は繋がるのだが。さてはて、誰か答えを知っている方はいないものかな?」
「それは、その……」
「まあ、ネカムやルガナに向かう気が無いから俺には関係の無い話であったな。レイ、お客様がお帰りの模様だ。送っていって差し上げろ。少なくとも俺達がこの街から出るまでは野垂れ死にされると外聞が悪いからな」
同室の相棒に指示を出すと、アレウスは再び机に向かい何やら書付らしきものを記し始めた。
レイはアレウスの指示通りまだ何やら言い募ろうとする商人を部屋から追い出し、その儘無理矢理商人が泊まる宿に送り届けようと外に出かける支度をする。
「それじゃ行ってくるね」
「気を付けてな。……どうやら知りすぎている様だからな、“覇者”殿の手の者がどう思っているか想像も付かん」
「やっぱり、ここにも入り込んでいるかな?」
ここに至ってはレイとて“覇者”が既にソーンラントを攻略する意思を固めていると考えざるを得なかった。誰しもが南のカペーを優先すると思っていたのだ。中原王朝の密偵が入り込んでいるにしても動向を探る程度と高を括っていたが、様々な調略を為すための腕利きの忍びの者が入り込んでいると想定して行動を取る状況であろう。問題は、“覇者”がどこに重点を置いているかが見えてこない処であった。
「俺が“覇者”殿の立場なら当然やる。ならば、俺より優秀な方がそれをしない理由を見出せない。まあ、思い切ったことをするにしても、もう少し泳がせてからかもしれんが……流石にこの時点で指示を求めずに思い切ったことはすまい。最初から指示が出ているのならば兎も角、な」
「成る可く態度に出ない様にするよ」
アレウスの言いたい処を察したレイは、「要は自然体でいつも通りの動きをしておけって事だよね。見張っているだろう密偵相手にこっちが居ると想定して動いていることを気取られずに用心して」と、言外の言葉を自分なりに翻訳して見せた。
アレウスはレイを一瞥し、一つ頷いて見せてから書付へと意識を向ける。
得物を腰に佩き、自然体の儘レイは部屋を出て行った。
開け広げられた窓から流れてくる風を感じながら、アレウスは書状を書き上げ、
「兄上の想定通りの流れかい?」
と、顔を上げながら問い掛けた。
「察知が遅れ申し訳ありませんでした」
いつの間にやら部屋に入り込んでいた男は丁寧に一礼した。
「構わないよ。どうせ兄上から聞いているんだろう? 命に関わる事ならば、誰よりも勘が働く、と」
アレウスは呵呵と笑い、「それで、調べは付いているのだろうね?」と、真顔で問い掛ける。
「“覇者”はルガナを包囲しております。只、その中にバジリカの精兵が居りませぬ」
「……ルガナを本気で攻めているのに中核になる軍がいないだって? どこに居るかは分かっているのか?」
アレウスはその報告を聞いて思わず考え込んだ。
“覇者”が中原王朝で実権を握るに至るまではそれ相応の権力闘争があった。中には当然武力で以て追い落とした者も居り、その時に尤も頼りになった兵が騎馬は虎豹騎、徒はバジリカ兵であったとされる。
中原の東端にあるバジリカ州はバジリカ大漢と呼ばれるぐらい発育の良い大男が有名である。そのバジリカ州で起きた大規模反乱を隣州の刺史であった“覇者”が見事に治め、その時に勇戦していた反乱兵を私兵に組み入れたのが天下に名だたるバジリカ兵の発端と言われている。
以降、“覇者”が赴く戦場には虎豹騎とバジリカ兵が付き従っていた。
「残念ながら」
主の弟に対し、男は恭しく応対する。
「余り宜しくない兆候だな。主立った将はルガナにいるのか?」
「虎豹騎を率いているのがルシュア・ベルラインである事を除けば」
「独眼竜か?」
アレウスは今耳にしたことが本当なのか冷静に二つ名の方を口にして確認を取る。
「盲ベルラインの方です」
男も又、ルシュア・ベルラインの天下に知れたもう一つの二つ名を答えた。
「成程。後詰めに何処からかバジリカ兵が来たら本気でソーンラント西部を制圧する気だと確定するな。ソーンラントは東方にある旧都オーグロとの連絡線を回復させるためにファーロス一門を投入したことが仇となっているか」
「“江の民”を長年無視し続けてきたツケでしょうな」
男は静かに首を横に振った。
中原北部のアーロンジュ江は南のジニョール河と違い上流からの土砂が少なく、下流域に多くの湿地帯を生じさせる要因となっていた。この湿地帯に鱗人を始めとする水棲系の人類種や亜人種が住み着き“江の民”と称される様になった。
「良くも悪くもソーンラントは中原の風習を受け入れすぎた。人間至上主義が何の役に立つやら」
アレウスはつまらなそうに首を横に振る。
本来中原と呼ばれていたのはジニョール河下流域の大平原地帯であり、古くから人間だけが住まう地域であった。その為、他の地域で他の人類種や亜人種に出会うまで世界は人間のためにあると考える文化文明を育んできた。他の種との交流の末、中原にも人間以外の人類種が入植してきたのだが、ある時とある宗教家が人間以外は人類種にあらず、蛮族なりと打ち出した。これに大衆が迎合し、中原で人間以外の人類種を虐殺するという妄挙が吹き荒れた。この動乱が収まるのに相当な年月が掛かり、中原に住まう人間と近隣の人類種や亜人種との溝が大いに深まった。
今でもこの種の諍いは収まったとは言い切れず、法の下による融和路線を邁進する西の“帝国”の勢力が弥増しているのも無関係とは言い切れない。
「本来ならば、ソーンラントは人類種の寄り合い世帯と言うべき政体でしたからな」
ジニョール河と違い、アーロンジュ江は“江の民”を始めとした人間以外の人類種や亜人種が流域全体に居住しており、ソーンラントの成り立ちにも関わっている。しかし、ソーンラントが拡充しジニョール河を祖とする国と境を接した時、交流が始まり入ってこなくて良い文化も流れ込んできた。その一つが人間至上主義である。それに被れたソーンラントの王族や人間の貴族が他種族を排斥し始め、国体に瑕疵を残すこととなった。
「“覇者”殿は南を無視してソーンラント併合を先に選んだのかな、こうなると」
「急ぎ情報を集めますれば、暫しお待ちを」
「それを兄上がどう判断なさるか、か。やれやれ、次も間一髪になりそうだな」
「誠に申し訳なく……」
恐縮する男に、
「これが今回の報告書だ。兄上に宜しく頼む」
と、書状を手渡した。
「承知仕りました、アレウス様。必ずや若様にお渡し致します」
男は然う言うと、現れた時と同じ様に一陣の風だけ残しその場から消える。
アレウスは暫し窓際に佇み、
「やれやれ、何で俺は争乱に巻き込まれるかね」
と、苦笑しながら窓を閉じた。