その1
「父上、兄上より定時連絡が」
「そうか」
部屋に入室してきた壮年の男が老境に入った厳めしい武人に書状を手渡す。
老将──サムスン・ファーロスはエクサからの報告書を丁寧に読み取る。
「……戦端が開かれて一ヶ月も経たないうちにラヒルが落ちるとはなあ」
流石のサムスンにしても、この展開は予測していなかったのか大きく溜息を付いた。
「“帝国”に注意を払いすぎていたのでしょうか?」
「そうではあるまい。仮に“覇者”に我らが注意を向けていても、この結果は覆るまい。要は、それ程の相手だと云う事じゃろう」
些か疲れ切った顔付きでサムスンは息子の問い掛けに答える。「どこぞの“軍神”と同じよ。然う云う者なのじゃろうて」
「では、軍を返しますか?」
「愚問じゃな。元々ソーンラントの発祥はここら一帯じゃよ。足場を固め直すのが先じゃろうて」
老人らしい笑い声を上げながら、サムスンは一刀のもとに息子の問いを斬り捨てた。
「では、あちらに居る王族は見捨てる方針で?」
「見捨てるとは聞き捨てならんの。こちらまで逃げてきたら助けようもあるが、今の儂らでは向こうまで手が届かんだけじゃよ」
「それは確かに……」
男は深々と頷き、同意してみせる。
今更この地を引き払い、王都の方に引き返した所で何も得るものは無い。これがラヒル陥落前ならば未だしも、既に落ちた後なのだ。“覇者”の主力が待ち構えるソーンラント西部に向かうよりも、足場を既に固めている東部に誘き寄せた方が勝ち目がある。現状ソーンラントで纏まった戦力を有しているのがオーグロ駐留中のファーロス一門のみである以上、慎重に動く必要があった。
「ま、こちらは勅命通り動いているのじゃから、さして問題はあるまいて。こちらは、の」
執務机の上に置いた書状に目を遣りながら、サムスンは呟く。
「兄上ならば、それこそ問題ないのでは?」
「……儂の所為でもあるのじゃが、家中に人間至上主義が蔓延しすぎておらなんだら、既に家督はエクサに譲れていたのじゃがの」
右の人差し指で机上を叩きながら、サムスンは考え込む。
父親の次の言を待ち、男は直立不動でサムスンに視線を向けた。
一つ大きく息を吐いてから、
「矢張り何ともならんの。こちらに居る者を向こうに送ったとて、エクサの云う事を聞きはすまい。向こうは向こうで何とかして貰う他あるまいて」
と、苦渋の決断を下した
「まあ、兄上ならばそれぐらい予測していそうですが」
「寧ろ、した上でのこれじゃろうな」
書状に目線をやりながら、「傭兵を雇う事の許可を求めてきおった。最初から儂らが援軍を送る事は無いと踏んでおる。その上で、ハイランドとの単独講和に関する自由裁量を黙認して欲しいとも、な」と、サムスンは言いながら軽く肩を竦めて見せた。
「それは又……思いきった事を……」
男は呆れた口調で首を横に振った。
「まあ、どちらも認めるしかあるまい。何も出さないのならば、せめて遣り方ぐらいは認めざるを得まいて。傭兵の方は兎も角、ハイランドとは如何にして手繰り寄せるのかは些か楽しみではある、かな」
「それに関してですが、手の者から“軍神”の倅がラヒルを脱してバラーに至り、江を下ったとの報告が入っております」
「泳がせておったあの若僧かね?」
その報告を聞いて、サムスンは興味深そうに尋ねた。
「その若僧です。調べに寄れば、囲まれる前のルガナを脱し、ネカムに向かう途中で急遽ミールへと足を向けたとか」
「流石は“軍神”の倅よな。戦に愛されておる。いや、彼奴の様に鼻が利く、のか」
「動きを見ればそのどちらとも取れそうですな」
父親の発言に対し、「ハイランドを出てから南での足取りを追いますと、常に戦乱の渦中へと身を投じています」と、集めた情報を披露をした。
「そうなると、彼奴目が息子の行き先を指示しているとも取れるが……あれが人に戦を譲る口かの?」
「無いでしょうね」
即座に男は答えた。
中原でも有数の武の名門であるファーロスと真っ向から遣り合える相手となると片手の指で事足りるぐらい少ない。
その数少ない一人がハイランドの“軍神”である。
知っての通り、ハイランドは人口が少なく、ソーンラントは中原でも有数の人口密集した都市を幾つも有する強国である。その違いは動員兵力にも如実に表れ、ソーンラントを相手にする大抵の国は兵力差による力負けを喫するのが世の習いと言っても過言では無い。
だが、“軍神”がソーンラント方面の戦に顔を出す様になってからは様相が変わった。
ソーンラントの量に対抗する為に徹底した質の向上と地の利を活かした戦術原則を編み出し、ハイランドに侵略しようとするソーンラントの軍勢に大量の出血を強いた。
ソーンラントはハイランドに連戦連敗、帝国方面の抑えだったサムスンをハイランドの抑えに回さざるを得なくなる程最終的には押し込まれた。
流石にサムスン相手には“軍神”も無双できず、両雄相打つと言った膠着を生む事となった。
そして、それがソーンラント陣営に於ける対“帝国”の戦略を変更せざるを得なくなる要因となり、東への回帰に繋がっていったのだ。




