その5
「それを断る理由が無いのがな。喜んでとは云えないが、太守殿さえ良ければ御相伴仕る、とお伝え願えないだろうか? あと、茶を淹れ直したいので、湯を所望しても良いものかね?」
「承知仕りました。我が君にお伝えして参ります。湯の方は後程他の者に運ばせますれば、暫しお待ちを」
騎士は然う言うと、再び一礼してから退室していった。
アレウスは再び立ち上がると、今度はレイが寝室に使っている扉の前に立つ。一呼吸置いてから、扉を右手で徐に叩いた。
暫し反応を待つが、うんともすんとも反応が無い。
致し方なく、アレウスは再び扉を叩いた。
再び待つが、矢張り反応は無かった。
(……泥の様に眠っているか)
バラーに辿り着くまでの事を考えれば、それも当然であるとアレウスは思った。
ここが自宅なり宿屋ならばアレウスも放置したのだが、賓客と遇されているとは言え、太守の屋敷なのである。傭兵として振る舞うならば、多少無理でも起きていなければならない時もある。夕食に誘われた以上、余程の事でも無い限り断るのは難しいものと考えられた。
「レイ、入るぞ」
もう一度ノックしてから、アレウスは扉を開ける。
完全に遮光窓掛で遮られた室内は真っ暗闇であり、西日が一片たりとも入り込んでいなかった。
(ここまで見事な遮光ならば起きないのも仕方ないか)
これだけの寝室を作るのにいかほどの金と技術を掛けたのかアレウスは束の間考えてみたが、直ぐに考える事を止めた。ソーンラント程の大国が重要拠点に金を掛けない理由が無いのだ。その客間となれば、自国の威信を懸けた物を作り上げるのは当たり前と言えば当たり前であった。
(莫迦の考え休むに似たりとはよく云ったものだな)
己の心中の動きを自嘲しながら、アレウスは窓掛を開く。
直ぐに厳しい西日が部屋に入り込み、目がまだ闇に慣れきっていないアレウスですら一瞬たじろいだ。
しかし、この部屋を我が物として使っているたった一人の女は明るさを嫌って、顔を布団で覆い隠した。
「レイ、起きろ」
アレウスは流石にそれを引っ剥がす真似はせずに、先ずは言葉で起こそうとした。
「……眠い……」
寝言なのか本音なのか分からない呟きをレイは発し、そのまま布団へ更に潜り込んでいった。
「起きろ」
容赦の欠片一つ存在しない厳然とした態度でアレウスは直押しする。
但し、言葉だけで決して物理面で無理矢理何かを為そうとはしていなかった。問題は、その配慮を彼の目の前で寝ている人物が気が付いて居なさそうな処であった。
「今、何時?」
「日暮れ時だ。太守殿から夕食のお誘いがあったのでな。いい加減に起きないとお前は準備が間に合わないぞ」
それなりに真面な質問を返してきた事から、言葉が通じるものと判断し、アレウスは布団を引っ被っているレイに状況を手短に説明した。
「……休んでいたい」
「気持ちは分かるが、無理だな。事情聴取が遅れれば、出立出来る日取りも遅れる。最悪、籠城が確定してから自由の身にされた場合、動きが取れなくなる。出立するまでは仮眠程度で耐えるしかあるまい」
もぞもぞと寝床で蠢きながら、
「だったら、起きる……」
と、レイは呟いた。
「分かった。とりあえず、客間の方でで待っているから、客室の風呂に入る支度だけ先ずはしておけ。少なくとも、真面な応対が出来る程度には目を覚ましておけ」
アレウスは然う言うとさっさと寝室から外に出た。
あれだけ隙だらけなのに、どうして今迄自分の性別を隠し通せていると確信していたのか疑問を持たないでも無かったのだが、アレウスにとて訊かずに済ますという慈悲はあった。
何はともあれ、夕食までの中途半端に空いた時間をどうして過ごしたものか、アレウスの意識はそちらに飛んだ。
剣を振るって太刀筋を確認するには後始末をする時間が心許ない。身内だけならば、汗臭かろうと気にしないだろうが、流石にファーロスの流れを汲む者に対しその様な態度を示そうという気になれなかった。
(ま、湯浴みをする程度の時間が確保出来れば有りなのだが……向こうの都合に合わせねばならない以上、時間は最悪を想定して動くべきであろうしな)
致し方なく、何か時間を潰せそうな事柄は無いかと荷を漁りながら軽く探す。(流石にここで備忘録を付けたり、兄上に手紙を書く訳にもいかぬし、書は組合に預けたから迷宮都市までお預けか。小柄を手入れする程度かな? ……ああ、一応太刀の方も確認だけはしておくべきか)
机の上に展開させた崩した荷を再び纏め直しながら、アレウスはレイの気配を探っていた。流石に二度寝をしてはいないと信じていたが、あれだけ寝ぼけていると何か致命的な事をやらかさないかと言う不安は拭えなかったのである。
今の処は特に問題無さそうだったので放置しているが、時間に間に合いそうに無さそうだったり、明らかに怪しげな動きになったら急かしに行こうとは考えていた。故に、気を配っている訳である。
(まあ、我ながら過保護であるとは思うのだが、な)
ラヒルから逃亡する時に使った得物の確認を取る事に決め、アレウスは太刀を鞘から抜く。黒影と重藤弓は傭兵組合に預けている以上、この場で確認出来る得物は太刀だけで有る。そして、何かあった際一番頼りになるのも太刀である事から用心に用心を重ねる事にアレウスは躊躇しなかった。




