その1
昨今ダリウスが王都に居る事は珍しい。王都で遊学していた頃は兎も角、当主である父親が一年の大半を出征か王都での公務で所領を不在にする事が常である以上、彼の兄か彼自身が所領での裁可を下す必要があった。その兄も婿養子として他家を継ぐ事がほぼ決まっていた為、跡取りとなったダリウスがここ暫く所領に籠もりきりになっていたのだ。
ところが、この所何故か珍しく父親が所領に引き籠もる事になったので、代わりにダリウスが王都での折衝に当たっていた。
流石に他家を継ぐ予定の兄に何時までも家の事をやらせておくのは外聞を憚るものがある。
実際の処は未だに長兄が家中の取り纏めを行っていたが、対外的な体面というものはどこにしろ無視出来ないものであった。
ダリウス自身も家中の信望が兄程無い事は一番よく知っている。元々、兄が家を継ぐ物と思い、王都に遊学し、人脈を作り、何れ来る独立の機を見計らっていたのだ。それが唐突に兄が家を継がずに他家に転がり込むという離れ業を行って見せた。兄なりに考えが合っての事と分かっていても、ダリウスとしては青天の霹靂、予期せぬ動きであった。
ダリウスとて兄の大望を察してはいたが、てっきり父親の後を継いで行うものと思っていたのだ。それが夢にあっさり手が届く家に悩む事無く入ってしまった。その思い切りの良さはダリウスが真似出来ないものであった。
只、ダリウスの様に割り切れているものばかりでは無い。彼の兄は間違いなく当世一と言って良い器量を有している。それだけの人物が他家に渡るのを嫌う臣下も多いのだ。ダリウスもその器量に負けず劣らずである事を皆が知っては居るが、それでも彼の兄に直接治められたいと希望する者が多かった。
ダリウス自体、その動きは仕方ないものと思っている。何せ、彼には大望がない。それなりの地位で大過なく嫁と過ごせればそれで良いと常々公言している様な男なのだ。より高みを望む臣下達から支持を得られないのも仕方が無い。
(元々俺が継ぐとは思っていなかったのだから、保身がてら本音で語ったのが仇と出るとはな)
心中で大きく溜息を付きながら、誰よりも先を読み切っている兄がそれを止めなかった理由を考える。最初から出るつもりだったのならば、それとなくダリウスに伝えるのが常道と言えるだろう。家中を取り纏められなかったのならば、実家からの支援を期待出来ない。だからと言って、兄が急遽家を出る事を考えついたのかと言えば疑問が残る。用心に用心を重ねて、問題ないと思ってから行動するのがダリウスの習い性だが、自分の兄はそれを上回る用心深い男だと知っていた。間違いなく問題が無いと自分で納得出来るまで状況を捏ねくり回し、自分にとっての最適な状況を作り上げる。それが彼の兄である。
そこまで理解しているからこそ、何故この状況を兄が作り上げたのか困惑しているのである。
(兄上の反応からして、この状況は望ましい筈。家が割れてはいないが混乱している、己の家への影響力は落ちていない、当主は替わらずに父上の儘。ここら辺が多分兄上の策の肝なのであろうが……。さてはて、何を狙っておられるのやら)
宛がわれた自分用の執務室で瞑目して考える。
既に籍の上では他家の跡取りではあるが、向こうも未だに当主の代替わりをしていない為、何故か家の仕事の大半は未だに兄が片付けていた。流れを知っておかないと困る仕事は廻してくるものの、誰が処理しても問題ない仕事は何も言わずに兄がさっさと片付ける為、ダリウスは暇を持て余しているのである。
彼の思索を妨害するかの様に扉からおとないを知らせる音が響いてきた。
「開いている」
ダリウスは端的に入室の許可を出し、目を開いた。
「失礼致します、殿」
ダリウスより一回り以上年嵩の男が完璧な所作で一礼し、入室してきた。
「これは先生。如何なさいましたか?」
ダリウスは慌てて椅子から立ち上がり、歓迎の意を示した。
「貴方は私の主なのですから、その振る舞いはお止しなさい」
「自分よりも優れたモノを持つ方に敬意を表するのは人として当たり前の行為です。主従の関係よりも俺は重いものと考えております」
アレウスは師弟の礼を以て男を歓待する。
「やれやれ。私は只の小役人ですぞ、殿」
いつも通りの反応で返され、男は思わず苦笑した。
「それでヒューイット先生、何があったのですか?」
丁寧な態度を崩さずにダリウスは目の前の男に尋ねる。
「早馬が参りましてな。ラヒルが陥落したとの事です」
「それは随分と早いですな」
流石のダリウスも顔を顰める。
「若君も殿も最初から想定なされていたのでは?」
「まあ、落ちるとは思っていましたが、ここまで早いとは考えてはいませんでした」
ヒューイットの問い掛けに、ダリウスは率直に答えた。
「ふむ……。殿はどちらにしろ落ちると読んだのですね?」
ダリウスの態度からヒューイットは二三の事を脳内で推測、その確認の為に大前提を問い糾した。
「そうですが、何か?」
「いえ、その根拠を知りたいものでしてね」
主の返しから隠し通す程の問題ではないと判断し、ヒューイットは確信に斬り込んだ。
「……先生にならば、話しても問題はありませんね」
暫し悩んでから、ダリウスは徐に口を開いた。
「おや、これは藪蛇でしたかな」
肩を竦めながらヒューイットは思わず笑う。
そして、主の反応からヒューイットは自分の推測の内、幾つかは間違いなく正解だと確信に至る。




