その9
「すると、厳戒態勢か?」
真面な思考を持っている者ならば、前線に物資を送り込む拠点をがら空きにする訳がない。態々ファーロス一門で重要拠点を囲っておきながら、無能を配置するとは思えない以上、かなりの厳重な警備が想像された。
余所者として街に入り込もうとしている側としては、入れないぐらい厳しいと流石に困った事になる。
「まあ、こないだまでのここいらよりは。何せ、川下りをすると“江の民”に襲撃されているからな」
アレウスの心配の種を見切っているのか、親爺は太守が陸よりも江側に対する警戒に重点を置いていると伝えてきた。
「“山の民”は海に近い丘陵地帯が生息域だから、流石に襲撃には来ないか。遠征してくるには距離があり過ぎる」
ソーンラントに恨みを持っているのは“江の民”だけではなく、アーロンジュ江北岸下流域の丘陵地帯に住む“山の民”と呼ばれる獣人族を中心とした亜人種も同じである。現在のソーンラントはアーロンジュ江の北岸に勢力を張っているとは言い難く、水運の都合でぶつかり合う“江の民”とは意味合いが違う。
「それに、ある意味で連中の傍に既にファーロス本軍がいる以上、こっちにちょっかいを出す余裕はあるまいよ。聞きたい事はこんな処かね?」
「大雑把には。又来るよ」
「気長に待っておるよ」
親爺は何気ない調子で然う言うと、洋杯を布で拭く作業に戻っていった。
知りたい情報を得たアレウスは組合の裏手にある厩に顔を出す。
奥の方まで歩いて行くと悠々と寝転けている巨大な馬が居た。
「黒影」
アレウスは静かな声で馬に語りかける。
巨大な馬は尻尾を軽く振るが起きる様子はなかった。
「又、お前と駆ける事になりそうだ。少し荷物が重いやもしれんが、耐えてくれ」
静かにしゃがみ込み、アレウスは馬の首を撫でる。
聞いているのか聞いていないのか、馬は高鼾で太平楽な様子を示した。
「後で会おう」
ふっとした笑みを浮かべ、アレウスはそのまま立ち去る。
馬は主が立ち去った後も尻尾を振りながら幸せそうに寝転けていた。
宿に戻るや、アレウスは真新しい鎧直垂に身を包み、今使う事が出来る最高の鎧を鎧櫃から取り出した。
鎧の状態を確認してから、手早く己の荷物を纏め、共用部屋の入り口近くに積み重ねる。
その儘、レイの部屋に入り、纏められている荷物を矢張り共用部屋に積み重ねた。
外を見ると宵の口と言った処で、眼前の目抜き通りは魔術の光やら油か何かで灯している光やらが氾濫し始めていた。まんじりともせずその光景を眺めてから、アレウスは愛刀を抜き放ち、手入れを始める。
(連中が仕掛けてくるとしたら、払暁か、それとも深更か……)
与えられた情報だけでは判断し難い処をアレウスは己の経験も踏まえて少しずつ考えを纏めていく。
アレウスの経験から基づくと奇襲で尤も効率が良いのは朝駆けである。深夜の内に敵の目から夜闇で隠た儘移動し、明るくなった処で大半が寝ぼけた敵軍を蹂躙する。一当てして逃げると言う戦法には余り向かないものの、その儘総攻撃を仕掛けるのならば相手に気が付かれていなければ最良の手段と言えた。
敵陣を攪乱するだけして逃げるのならば逆に同士討ちも期待出来る深夜に少数で攻め込むのも悪くはないが、土地勘と夜間であろうとも統制が取れる少人数で尚且つ敵陣に殴り込むだけの度胸を持った精鋭が必須となる。
少なくとも相手が本当にジャマー・ダッハールとその麾下の突騎ならば先ず土地勘はない。だが、夜襲を仕掛けて自らは同士討ちせず、目的を果たした後その儘逃げ果せるだけの力は間違いなくある。
(只まあ、城攻めという点だな。騎兵向きの仕事じゃない、本来ならば、だが)
アレウスは愛刀を光に翳して刃の状況を調べる。(“覇者”の密偵が入り込んでいるのは想定通り。それが俺達の入城に合わせて集結、何らかの相談事をした形跡あり……。味方の軍勢に合わせて城門を開けるぐらいの事はしてくるよなあ)
これが最前線の城邑ならばアレウスも悩まなかったであろう。
内応や敵の工作員による城門の開放に対する警戒は並大抵ではない筈だ。
しかしながら、ラヒルは違う。少なくともネカムが陥落するまでは所謂後方に位置していた為、門は平時の運用であった。その上、長らく戦乱の世が続く中、ラヒルは安全な街として中原一の繁栄を謳歌していたのだ。どう考えても戦時運用の統制は怪しいものとしか思えなかった。
(ファーロス一門が居れば別だったのだが、明らかにその留守を狙われている訳だからな)
丁寧に愛刀の手入れを続けながらもアレウスは思考を続ける。
問題はその一点に集約された。
“覇者”がソーンラント攻略に踏み切ったのは明らかにファーロス一門が中原王朝との国境から離れた位置にいる事と、ソーンラントの注意が“帝国”に向かっているというアレウスから見たら明らかに失策から始まっているのだ。
正直、“覇者”のことを少しでも理解しているのならば考えられない行動である。他の誰もが理解出来ていなかったとしても、ファーロス一門の長であるサムソンがそれを見逃しているとは思えなかった。
(考えられるのはファーロス一門が既にソーンラント中枢部を見切っているか、若しくは“覇者”に対する誘いの一手として打っているのか、あるいは両方か……)
内心の懊悩を表に出さず、アレウスは黙々と愛刀の手入れを続ける。
アレウスは生まれが生まれ故にファーロス一門の恐ろしさを骨の髄まで理解していた。
ハイランドは“帝国”とも接してはいるが、南に位置する大山脈が邪魔でお互いに手出しがし難い状況であり、アーロンジュ江沿いにハイランドに侵出出来るソーンラントの方が様々な意味合いで交流が深かった。最近もソーンラントの政争で敗れて亡命してきたソーンラント王族を中心とした勢力が更なる権力を求めて大規模反乱を引き起こすという大事件が起きていた。この件も元はと言えば、ソーンラント王宮での利権争いでファーロス一門に敗れた件の王族の派閥が一族郎党を引き連れてハイランドに亡命してきたのが原因である。古くから続く武の名門としてソーンラントでの権力基盤は確りとしたものであるし、権力の背景にある武力も衰えを見せる事はない。




