その8
「余り考えたくはないのですが、若しくは、最初からアレウス様の素性を知った上で泳がせていたというものも考えられます」
豹を含めたアレウスの兄が使っている密偵の仕事の一つに情報の制御がある。知られたくない情報を他の噂で上書きしたり、相手が知っておいた方が後々楽になる情報ならば敢えて漏洩する等自分達にとって都合の良い様に世評を動かすのだ。その為に自ら情報屋の真似事をしたり、各種組合と取引したり、各地の群雄や商人に取り入ったり何でもする。
豹の担当はアレウス周りの情報であり、アレウスの不用意な発言や行動から望まぬ相手から彼の正体を手繰られない様に欺瞞情報を流したり、探っている者をあらゆる手段で妨害する事を任せられている。弟を溺愛する彼の人物からその仕事を与えられているだけあり、彼の人物が有する密偵の中でも実力は指折りのものである。
そして、“覇者”に対してアレウスの情報を流れない様にする事は豹に与えられた任務の中でも特に重要視されているものであった。豹としてもこの件に関しては絶対の自信を持っているものの、ダッハールというアレウスを付け狙っている男が“覇者”に与した以上、そこから真実に辿り着かれた可能性は否めずにいた。
「まあ、確かにそれは考えたくもないな」
苦い顔を隠そうともせず、アレウスは天を仰いでから溜息を付いた。
アレウスとて自分の正体が知られても良い相手と悪い相手ぐらいは考えて動いているが、どこをどう巡って自分の正体が知られてしまうか等までは想定出来る筈も無い。廻国修行の旅を始めてそれなりの時間が経っている以上、己の正体に至る欠片は考えている以上にばらまいてしまっているだろう。
「ま、いずれにしろ潮時ではないか、と」
豹は暗にアレウスの正体に関する情報の制御が限界に来ていると伝えてきた。
「気が付かれているものとして動くさ」
「左様で御座いますか。それはそれとして、どちらにしろお早い御出立をお勧め致しますが?」
明らかに出来ないだろうと思っている態度を隠そうともせず、豹はアレウスに助言した。
「いっそお前のその態度は清々しいと思えるよ」
主筋に対する敬意を一切感じさせない物言いにアレウスは思わず笑ってしまう。「ま、俺一人なら何とかしたんだがな」
「でしょうな。宿の荷は傭兵組合を通して次の目的地に運ばせます。他に御入り用のものは?」
最初から答えが分かっていた様に豹はアレウスに必要な措置の確認を取る。
「黒影と俺の弓を事が起きる前までに用意しておけるか?」
「やれと云われるのならば用意しておきましょう。それでは、又後程」
然う言い残すと豹は湯船から立ち去っていった。
それをまんじりともせず見送った後、
「束の間の休息すら楽しめないのか」
とだけ呟き、アレウスは湯船を出た。
公衆浴場を立ち去った後、アレウスは予定通り傭兵組合に立ち寄った。
情報を仕入れている以上、急ぎの用件はなかったのだが、何となく直ぐに宿屋に帰る気にはなれなかったのである。
付け加えるとするならば、自分を見張っている何かがいるのならば、普段通りに動く事で相手の存在に気が付いていないという振りをする必要もあった。
「親爺さん、今のバラーってどんな様子よ?」
とりあえず、知っておいて損はしない情報を得る為に組合本部に併設された酒場に顔を出す。
「アレウスか。人にモノ聞く前に遣る事あるだろうが」
「では、適当なものを」
親爺の文句を至当な発言と受け止め、金貨一枚を勘定台の上に置く。
「……帝国金貨か」
渋い表情を浮かべて、親爺は酒棚から適当な瓶を取り出して陶器杯に中身を注ぐ。
「ま、帝国金貨ならこんなものか」
親爺の反応とある意味で見覚えのある瓶からアレウスは正確に己の支払った代価の価値を理解した。
「今の皇帝になって漸く立て直しって処だからな。ランバガンがやらかした改鋳貨幣の悪夢未だに、って処だ」
アレウスが分かりきった事を聞いてきていると知りながらも親爺は真面目に答え、洋杯の様子を一つ一つ確認する。
「一番価値があるのは山小人の作っている山岳金貨かい?」
安酒でも高級な酒でもない中途半端な飲み慣れた酒を舌の上で楽しみながら、アレウスが知る一般常識が変わっていないのか尋ねてみる。
「山岳貨幣は軒並みどれも価値があるな。一般流通していないモノで云やあ、迷宮産出の古代貨幣だがね」
明らかに持っているんだろうという問い掛けに対し、
「欲しいのか?」
と、アレウスは確認を取った。
「……今は要らん。後で誰かが貰う事になるだろうさ」
アレウスの問いに親爺は静かに答える。「さて、バラーの件であったな。ファーロスの城下町に何か興味があるのか?」
「ん? 今、あそこファーロス一門のものなのか?」
アレウスからしてみると意外な答えが返ってきた為、思わず鸚鵡返しに問い返した。
「アーロンジュ江に面していて、尚且つ軍需物資の集積地だからな。東征するならば根拠地としてこれ以上の場所はない。現当主の長子が太守を務めているよ」
親爺の返しにアレウスは心中で大いに納得する。
バラーの街はソーンラントの中でも指折りの交通の要所に位置し、都であるラヒルの後背を守る重要な城郭である。その為、ソーンラント各地より集められた物資の集積地としても活用されており、ラヒルを経済政治の中心とするならば、バラーは軍事の中心と言うべき街に成長した。
それ故に、ソーンラントの王族はこの街の支配権を臣下の者に譲る事はなく、時の王にとって信用出来る者が太守の任に付いていた。
その街が武門の家であるファーロスに任されている時点で、ソーンラントがこの度の東征にどれだけ力を入れているか想像出来ようものである。




