紫の繻子のリボン(虹色幻想12)
紫の繻子のリボンが翻る。
私が一番好きな色。
風に煽られてリボンが解けた。
あ、と思ったらリボンは飛ばされてしまった。目を向けると一人の男がリボンを拾ったところだった。
書生姿をした男は片手に大きな板を持っていた。視線が合うと男は近づいた。
男は何も言わずにリボンを手渡して背を向けた。お礼を言う暇もなく、男の姿は人混みに消えた。
思えばこの時にすべては始まっていたのだと思う。
外に出るといつもあの男の姿を探した。そして見つからないと落胆するのだ。
そんな日が何日も続いた。今日も懲りもせずあの姿を探す。そしてやっと見つけた。
「!」
思わず駆け出し、男の着物の袖をつかんだ。驚いた顔をして男が振り返る。今日は大きな板ではなくスケッチブックを持っていた。
「…何か?」
男が眉を潜めて問いかける。
少し低くていい声だと思った。
「用がないなら離してくれないか?」
男の言葉にハッとする。
そうだ言わないといけないことがあったのだ。
「あの、この前はリボンを拾ってくれてありがとうございました。お礼を言いたくて探していたのです」
ああ、と言うと男は考えている顔をした。
「…紫のリボン?」
「ええ!そうです」
男の言葉にホッとして微笑む。
「私は玲子といいます。お名前を伺ってもよろしいですか?」
「…上野慎太郎」
慎太郎様、と玲子は呟くとまた微笑んだ。
「…では、用は済んだな」
あ、と思う間もなく慎太郎は背を向けて歩き出した。玲子は慌てて追いかけた。今度は見失うことはなかった。
慎太郎は河原に座ると持っているスケッチブックを開いた。
そうして一心不乱になって鉛筆を動かしている。その器用な手先に玲子は見とれた。邪魔をするのは悪いと思ったので声はかけなかった。
そっと手元を覗き込むと綺麗な風景が広がっている。玲子は感動して言葉が出なかった。
その後も慎太郎は玲子を気にする風もなく絵を描き続けた。
玲子も飽きることなく見ていた。
「あら、懐かしいわ」
玲子は色あせた紫の繻子のリボンを手に取った。女学校時代に好きだったリボン。いつの間にか無くなっていた。慎太郎と出会うきっかけとなったリボンだ。
「あの人が持っていたのね」
玲子はくすくすと笑った。
口数は少なく、何を考えているのか分からないことも多かった。喧嘩になることも多かったけれど、あの人はいつも玲子のことを想ってくれていた。
不器用で優しい男。玲子はそんな慎太郎を好きになったのだ。
だから玲子は幸せだ。
大好きな人と一緒になれて今も幸せなのだ。
思い出は色あせずに心の中にある。あの人と出会った瞬間は今でも鮮明に覚えている。
忘れることなくあり続ける。
玲子はそっと繻子のリボンをしまった。
「そうだわ。今日はあの人に聞いてみましょう。いつから私のことを好きだったか」
きっと眉を潜めて黙ってしまうだろう。
その顔を思い浮かべて玲子は微笑んだ。話すまで問い詰めてやろう、と。
押しの一手で慎太郎を落とした玲子だ。きっと慎太郎は根を上げて話すだろう。
ふふ、楽しみ、と玲子は笑う。
その目は女学校時代の時と変わらず輝いていた。