完璧な密室(クローズンルーム)
「ところで・・・・あんたも覚えていないの?」
「ああ・・・・」
ジョーイは平子の家で、先程隼人によって受けた傷の手当てを受けていた。
「痛てて、その消毒やめてくれよ」
「これしないとばい菌入るわよ」
平子は消毒液をガーゼに浸すと、ジョーイの体に優しく当てた。
「ところで、そこの坊主に言いたいことがあるんだが・・・・」
ジョーイは部屋の奥で本を読んでいる隼人を一瞥した。
「僕に何か?」
「さっきの学校での勝負はまぐれだからな。俺だって操れていなけりゃ、お前程度に負けなかったぜ」
隼人は溜息を吐くと、本をパタッと閉じた。そして冷ややかな眼で、ジョーイを見た。
「弱い犬ほど良く吠えるとは、昔の人は良いこと言うなー」
「んだとこら・・・・」
ジョーイは隼人に掴みかかろうと身を乗り出した。
「やめなよ。それよりさ、あんたは何で日本に・・・・?」
「ああ、それがな。元々は大学の留学で来てたんだよ。それがお前達の言う通り、頭の中で、平子を殺せって声が聞こえるようになって、気付いたらあんたを学校に呼び出していたんだ」
「結局、二人は利用されていただけなのよね。私に文句があるなら、直接来れば良いのに。卑怯な奴がいたものね」
「安心しな。洗脳を解いてくれたお礼に、俺が君を護るナイトになってやるよ」
ジョーイは平子の右手を優しく持ち上げると、手の甲に軽く唇を付けた。
「ちょ、何してんのよ」
ポカ、平子は赤面しながらジョーイの頭を叩いた。
「ところであんた。泊まるところはあるの?」
「いや、実はカプセルホテルを転々としてるんだ。日本に着た地点で、意識が飛んでたからな。ホームステイ先には行ってない。今頃アメリカの大学じゃ、騒ぎになってるな」
ジョーイは苦笑していた。しばらく日本で住むにしても寝床は絶対に必要だ。平子は何か思いついたのか、部屋を出て、何処かに行ってしまった。
「なんだ・・・・?」
部屋の外から声が聞こえてくる。
「おじ様。友達が宿泊先がなくて困ってるの。近くのホテルに話し付けて部屋を確保してあげて」
「おい、何だかすごい会話だな。どんだけの金持ちなんだ。彼女は」
ジョーイは呆然としていた。それを見て隼人はニヤリと笑った。
「僕の見たところ。家の敷地、黒いスーツの男達、そしてあの主と思わしき男の雰囲気と言動から、恐らく極道の類だと思う」
「極道?」
「そうか、君は知らないのか。まあ、勝手に想像してくれ」
隼人は面倒臭そうに片づけると、本を開いて読書を再開した。
「一体どうなってやがるんだ・・・・?」
それから約1時間後、ジョーイはホテルのフロントで、部屋の説明を受けていた。平子の一言で、こんな高そうなホテルに泊まれるなんて、思ってもみなかった。一体彼女の家はどれほどのコネを持っているのか、こんな昼過ぎの、多くの宿泊客がチェックインを済ませるであろう時間帯に、事前の予約なしで部屋が取れるなんて、普通ならあり得ないことだ。
「説明ありがとよ。もう良いぜ。後は勝手にやるから。チェックアウトは明日の午前10時で頼む?」
「はて、チェックアウトですか?」
フロントの男が首を傾げる。別段変わったことは言っていないつもりだが、日本では違うのか。ジョーイは急に不安になった。
「いえ、実は伊能様より、1年分の予約を仰せ付かったものですから。てっきり長居するものと思っていました」
「何、1年だと・・・・?」
ジョーイは思わず甲高い声で叫んだ。同時に周りの客が一斉に彼に注目する。だが彼はそれ以上に、フロントの男の言葉が衝撃的すぎて、そんな視線など気にならないどころか、存在にすら気付いていなかった。
「1年かハハ。何か申し訳ねえな」
ジョーイはカードキーを受け取ると、エレベーターで3階に上がった。
「俺の部屋は303号室だよな」
ジョーイはカードキーでロックを解除し、303と書かれた部屋の中に入って行った。中はブラウン管のテレビと、その正面には大きなシングルベッドがあり、部屋の奥には街並みが一望できるベランダがあった。部屋の入口付近にはクローゼット、そしてトイレと風呂が一緒になったバスルームがある。アメリカ出身のジョーイにとっては、トイレと風呂場が融合しているという構造には、特に違和感を感じることはないが、日本人の何人かは、このアメリカ式の設計に抵抗を覚える者も多かった。
「さて、定番のやつをやるか」
ジョーイは荷物をベッドの上に置くと、壁にかかっている、バスケットの中にオレンジやらリンゴやら書かれた絵画を取り外した。
「良し」
絵画の裏には何もなかった。稀にいわく付きの部屋には、絵画の裏などにお札が張り付けてあることが見受けられるのだが、今回は何もなかったらしい。
「良い部屋だぜ。早速シャワーでも浴びっかな」
ジョーイはバスルームに行くと、手早く服を脱ぎ、シャワーのスイッチを押した。ジャーっというお馴染みの音と共に、勢い良くお湯が出てくる。彼はそれでまず体全体を流すように洗った。
「ちょっと熱いな」
ジョーイは蛇口を捻り、シャワーの温度を下げようとした。しかしいくら下げても温度は下がらず、寧ろ熱くなってきた。
「壊れてやがる」
ジョーイは、「高級ホテルも案外適当だな」というような眼で、シャワーを睨むと、ボタンを押してシャワーを止めようとした。
「ん?」
シャワーをいくら押しても、お湯の流れが止まらない。さらに温度と同様に、お湯の勢いがどんどん強くなってきた。
「なんだよ」
ジョーイはシャワーを思わず手放した。シャワーのホースは床の上に倒れるが、お湯の出る口がジョーイの方を向いているので、熱湯が彼の顔面に直撃した。
「あ、熱ちいいいいい」
あまりの熱さに、ジョーイは床の上をゴロゴロと転がった。そして再びボタンを押して止めようとする。しかし彼がもう一度シャワーのボタンを押すことはなかった。何故なら、彼の床に落としたシャワーのホースが、まるで生きているように、蛇のように彼に襲いかかってきたからだ。
「うおおおお」
ホースはウネウネと波打つと、熱湯をジョーイの顔に向けて発射した。同時に鏡の前に置いてあるシャンプーの容器が、突然爆発した。
「うぐおお」
シャンプーの泡がジョーイの両目に入った。
「くそ、どうなってやがる」
ジョーイは風呂から出ると、さっさと服に着替えて外に出た。
「なっ・・・・」
ジョーイは思わず閉口した。部屋の様子が風呂に入る前と後とでは、まるで別の場所のように、変貌していたからである。部屋のカーペットの上には幾つもの画鋲とダンベルが、ベッドの上には大きな鋸が設置されている。おまけに窓から覗く景色も、空は真っ赤で、建物も瓦礫で造られた、まるで廃墟の集まりに見えた。
「きひひひひ、驚いたかい?」
室内に甲高い不気味な声が響いた。
「な、誰だ?」
ジョーイはふと、天井を見上げた。オシャレなシャンデリアがグラグラと揺れている。そして金具の外れる音と共に、彼の頭上目掛けて落ちてきた。
「危ない」
ジョーイは後ろに飛んで避けた。
「痛・・・・」
足の裏に痺れるような痛みを感じた。慌てて見ると、何と土踏まずに画鋲が刺さっていた。
「くっそ、パンドラか」
「その通り。これが俺のパンドラさ。名付けて完璧な密室」
「ライオネル」
ジョーイは自身のパンドラである、槍の形状をしたライオネルを呼び出した。そしてそれを槍投げのように、ベランダの窓に向かって投げた。
「うおりゃああ」
バリンッと窓が割れ、同時にベランダに向かってジョーイは走った。
「逃げるが勝ちだぜ」
「そうは行くか」
後、ベランダまで1メートルというところで、ジョーイの体が大きく傾いた。足元に置かれたダンベルに躓いたからである。
「危な・・・・」
ジョーイは咄嗟にライオネルを床に突き刺して、杖のように支えとした。もし数秒遅れていたら、ガラスの破片と画鋲によって、顔がズタズタになっていただろう。
「ふん、悪運の強い奴だ」
「悪運じゃないさ。俺の咄嗟の判断の賜物よ」
「ならば、これはどうだ」
ベッドの上の鋸が急にガタガタと揺れ始めた。そしてゆっくりと宙に浮いた。
「おい、冗談だろ」
鋸は空中でグルグルと回転すると、まるで意思を持っているかのようにジョーイ目掛けて飛んできた。
「くそ、やっぱりか」
ジョーイはライオネルの先端を鋸に向けた。
「ブランチスピア」
ライオネルの柄が真っ直ぐに伸びた。そして鋸を床に叩き落とした。
「お前は墓穴を掘ったぜ。能力の正体がイマイチ掴めんが、俺をベランダに行かせたくないということは、ベランダに何かあるんだな」
ジョーイはベランダに出た。空は真っ赤で、街の様子もまるで違っている。
「何処にいやがる?」
ジョーイの疑問に甲高い声が答える。
「何処かなぁ。ひょっとして街の中かな」
「そうか、分かったぞ」
ジョーイはベランダの天井を見た。何とそこには猿のような顔をした男が、天井にぶら下がっていた。
「何故分かった?」
男はさっきまでの余裕は何処へやら、素っ頓狂な声で震えていた。それに対してジョーイは、ライオネルの先を男に向けて言った。
「唾が飛んでんだよ。お前の汚い唾がよお」
ジョーイのライオネルが男の舌に突き刺さった。
「うげええええ」
男は口から血を流しながら、ベランダの上で転がった。それをサッカーボールを止めるように、ジョーイが男の頭を踏んだ。
「お前の能力の正体と、俺を襲った目的を教えろ」
「言うから、足を退けてくれ」
「うるさい答えろ」
「分かったよ。俺の能力はこの部屋そのものさ。部屋に入った人間を閉じ込めて、部屋の中にある物を自由に動かすことができる能力。さっきの画鋲や鋸は、お前が部屋に入る前にあらかじめ隠しておいたんだ。後、お前を襲ったのは、金で雇われたのさ、九条とそれに連なる者を一人殺すたびに、日本円で1億も手に入るんだぜ」
男は床を這いずりながら、部屋に入って行った。
「待て、雇い主は誰だ?」
「確か、白髪の老人だった。自分のことをキングと呼んでいた。それ以外は知らん」
男はベッドを支えに立ち上がった。
「これで全部話したぜ。俺は助けてくれるよな?」
「その件なんだが、やっぱりお前はぶっ殺すことにした」
「な、何故・・・・?」
男の声が震えている。ジョーイは男の前にライオネルを向けた。
「ムカつくからだよ」
「うげあああああああ」
ホテル中に響く断末魔。ジョーイは思った。修理代を請求される前にホテルから逃げようと。




