真実は過去から来る
平子は頬を腫らして気絶している隼人の肩に手を回し、自宅に向かっていた。周りから好奇な目線で見られようと、彼女はひたすらに歩いていた。
(何か私が変な女みたいじゃない。でもこいつには聞きたいことがたくさんあるし)
しばらくすると、隼人が意識を取り戻したようで、平子の横顔をチラッと見た。
(あれ、僕は何故こんなところに)
隼人の鼻に甘い匂いが漂ってきた。それは平子の髪のシャンプーの匂いだった。彼は平子の髪に触れた。男の髪質とは根本的に違う柔らかく心地よい触感。
「あんた何してるの?」
気が付くと、鬼のような顔をした平子が隼人を睨んでいた。
「君は同じクラスの九条さん・・・・なんで・・・・」
「はあ、人のことを襲っておいて、それはないでしょ」
(襲う・・・・?)
隼人の頭に如何わしい考えが過った。まさか自分は無意識に九条平子に何かエッチなことをしようとしていたのではないか、そして彼女の発言から、実際に彼女を襲ってしまったのだろうか。確かに平子は可愛い。近づき難い雰囲気を除けば、学校でも五本の指に入る美少女だ。オシャレに気を遣い、いつも綺麗に見せている。スタイルも悪くはない。だが、いくら自分が抑圧されているからといって、クラスメイトに淫行を働くなど、許されないことだ。
「君は初めてだったのかい?」
「当たり前じゃない。あんな状況になったことなんてないわよ」
隼人は後悔した。九条平子は学校でのイメージ通りの阿婆擦れではなかったのだ。
「済まない・・・・僕は君の初めてを・・・・」
「あのさ、さっきから何言ってんの?」
しばらく歩いていると、平子の家に着いた。広い庭に、円型の池、棚には見事な盆栽が飾られており、いわゆる日本のお屋敷という感じだった。
「おじ様ただいま」
平子は盆栽を弄っている白髪交じりの中年の男性に話しかけた。
「ああ、平子ちゃんお帰り・・・・」
言いかけたところで、男性は植木鉢用のハサミを地面に落とした。そして平子の隣にいる隼人をじっと睨み付け、いそいそと玄関の戸を開けて、家の中に入ってしまった。
「何か僕嫌われてるみたいだ」
「おかしいね、いつもはあんな人じゃないのに」
「あれは君のお爺ちゃんかい?」
隼人の発言に平子は難しそうな顔をした。
「んー、血の繋がりはないんだけど、昔から一緒に暮らしてて、お金のこととか全部解決してくれるの」
平子は隼人を自分の部屋に案内した。部屋の中はピンクのカーペットに、ピンクのカーテン、ベッドの上には幾つもの縫いぐるみがあり、学校での彼女からは想像できないような、少女チックな部屋だった。
「実は私さ、両親を幼い頃に亡くしてて、さっきのおじ様、確か名前は伊能葉太郎っていう人なんだけど、本当感謝なんだから」
平子は二つのコップにオレンジジュースを汲んで、隼人に片方を渡した。
「ところで、あんたは何故、私を攻撃してきたの?」
「それなんだけど、実は・・・・」
隼人は急にシリアスな顔になると、淡々と語り始めた。
隼人は教師の父と母に育てられ、幼い頃から英才教育と称し、熟に通わされていた。周りが遊んでいる時も、常に勉強だけを続け、現在は都内の名門私立高校に通っている。だが、思春期を迎えてからは、ただの作業的な勉強に価値を見出せなくなった。そんな彼の元に、ある日不思議な声が語りかけてきたという。それは男性の声で、透き通るように綺麗な、聞く者を安心させる落ち着いた声だった。
声の主は彼に言った。「君の悩みや、この抑圧された感情は、私が取り除いてあげよう」この声の言った通りに行動すると全てが上手くいった。彼はいつしか声のみを頼りに生きるようになった。
事件が起こったのは、それから数日後の夜だった。声の主はいつも以上に低く、静かな声で言った。
「九条平子を殺せ」と。この言葉を四六時中聞かされた隼人は、いつしか自我を失い。平子によって倒されるまで、ひたすら、意識のない状態で、平子を付け狙っていたという。
「とにかく恐ろしいよ。知らない何かに操られるってのは」
「その声の主もパンドラ能力者かもね」
「うん、恐らく」
その後、隼人は家に帰った。彼を玄関まで送った平子は、背後から視線を強い視線を感じ、思わず振り向いた。
「は・・・・?」
気付くと、彼女の背後には髭面の屈強な男達が、揃いも揃って涙を流し、何かを叫んでいた。
「ああ、なんてこった。俺達のお嬢が、あんなモヤシみたいな男に・・・・」
「くそう」
彼らは葉太郎が若い衆と呼んでいる者達で、平子には良く理解できなかったが、何故かいつも一緒におり、雨の日などは平子を学校に送り届けたりしている。彼女にとっては家族同然の存在だった。
「あんた達馬鹿じゃないの?」
平子は呆れながら男達を見た。
次の日、事件は起こった。葉太郎は郵便受けからある手紙を出した。
「なんじゃ?」
葉太郎は手紙の封を切り、中身を確認した。
「これは・・・・?」
手紙にはこう書いてあった。「九条平子へ、今夜の8時に富士見高校の校門の前で待つ。もし、時刻までに貴様が到着しなかった場合は、貴様の大事なものを奪うことにする」
葉太郎は驚愕した。そして数十年前のある記憶が蘇ってきた。
伊能葉太郎の友人、九条龍平は妻となった早苗との間に子供ができず悩んでいた。原因は不明で、どちらの生殖能力にも異常は見当たらなかった。そして子供の授からぬまま80年代を迎えたある日のこと、龍平の妻は懐妊した。まさに奇跡だった。二人は生まれてくる子供を命がけで守ろうと思った。そしてその後、娘が生まれた。名前は平子と名付けた。
平子は生まれつき体が弱く、体に謎の奇病を抱えていた。医師はもって3か月の命であると告げた。この言葉に龍平は悲しみ、運命の無常さを呪った。そしてついに龍平は、してはならない罪を犯した。
龍平の記憶の片隅にかつての敵、神崎裕人の姿が思い出された。彼は黒水晶という代物を使い、永遠の命を持つ究極の生命体となった。そして龍平と闘い。最後はベランダから落ちて死んだ。その黒水晶を、自分の娘である平子に、使おうと画策したのだった。
龍平は知っていた。黒水晶の在り処を、それは伊能家の屋敷に眠っている。あの神崎との戦闘の後、黒水晶は、誰の手にも渡らないように、伊能家の屋敷の地下に封印されていた。これは龍平も納得して決めたことだった。
計画はその日の夜に実行された。龍平は伊能家の屋敷に忍び込むと、離れにある、地下室に通じる階段を見つけ、地下室に潜り込んだ。そしてガラスのケースに守られた黒水晶を手にした。その瞬間、彼の後頭部に銃口が突き付けられた。
「君は・・・・」
龍平は振り向いた。いたのは葉太郎だった。
「どういうつもりだ?」
「分かってくれ、葉太郎。娘の命がこれで助かるかも知れないんだ」
「お前は分かっていない。その水晶のせいで、一体何人の人の命が奪われたのか、忘れたのか?」
「僕にとっては娘が一番なんだ」
龍平は水晶を懐に収めると、葉太郎の手首を足で蹴り上げた。
「ぐっ」
葉太郎はあまりの痛みに拳銃を落としてしまった。その隙に龍平は、地下室の唯一の出口である階段に足を掛けた。
「待て、逃がすか」
葉太郎は銃を拾い上げると龍平に向けて発砲した。
「・・・・」
銃弾は真っ直ぐ龍平の背中を貫いた。そして彼は血を吐きながら倒れた。同時に黒水晶が地面に落ちた。
「あ、当てる気は・・・・」
威嚇のつもりで撃ったはずだった。しかしその銃弾が龍平を、大切な親友の命を奪ってしまった。
龍平の死体は伊能組の者によって、秘密裏に埋葬された。その後、妻の早苗が自殺。皮肉にも、平子の病は一過性で、時間が解決してくれた。その後、彼女を葉太郎が引き取り育てることとなった。この事実は平子に伝えていない。葉太郎は怖かったのだ。彼女に恨まれることが、平子を自由にのびのびとさせることが、彼の贖罪だった。
龍平が死んでから、葉太郎はある不安を抱くようになった。それはこの一連の不幸な出来事が、かつての敵、神崎裕人の呪いではないかと、迷信を信じない彼らしくもなく、そんな恐怖をいつも胸に抱くようになった。この手紙も、例外ではない。
「この手紙は、平子に渡さない方が良いかな」
葉太郎は手紙を懐にしまおうとした。しかしそれを背後から来た平子が、ヒョイッと取り上げてしまった。
「何これ?」
「のわわわ、いきなりなんじゃ平子・・・・」
「だって、手紙が」
平子はクシャクシャの手紙を見た。
「これは・・・・」
「気にするな。ただの悪戯だ」
「いや、これは悪戯じゃない。最近私は誰かに狙われている。事実今日だって二人の人間に襲われた」
平子は手紙をギュッと握りつぶした。
「待て平子。大人しく家にいなさい。お前は危険なことにかかわらず、毎日学校に行っていれば良いんだ」
「悪いけどおじ様。これは私の問題よ」
「平子。生意気言うんじゃない。お前は・・・・」
平子は話も途中だというのに、家を飛び出して行ってしまった。
「頼む平子よ。お前だけには傷ついて欲しくない。これでお前にも何かあったら、九条家はあまりに業を背負いすぎている」
平子は隼人の家に向かって走った。




