初対戦
オープン戦の日程も終盤となり、一軍選手が先発オーダーに名を連ね始める。
そして、開幕前の最終調整とも言えるこの時期のスタメンに、剛紀の名があった。
八番ファーストで、キャンプから今まで生き残ってきたのだ。
これまでの成績は、24打数9安打2本塁打6打点。
盗塁の数も1つに、守備では無失策と、ドラ1の評価に恥じない成績を残していた。
高卒ルーキー開幕一軍スタメン出場も、既に射程圏内だった。
そして、今度の対戦相手は、ライバルの小島が所属する東京ヤクルトピジョンズ。
両チーム先発は一軍級の投手。
しかし、ヤクルトのベンチには、しっかりと小島の姿があった。
「(小島……!生き残っていたのか!)」
剛紀は相手ベンチで、コーチと会話をしている小島を見つけると、目を見開いた。
小島は、オープン戦初登板こそ炎上したものの、その後は中継ぎで四試合登板し、45人の打者に対し被安打9、四死球6、自責点4、奪三振を16としていた。
プロを相手に荒い投球をしているが、高い可能性を秘めているだけに、首の皮一枚繋がって現在にいたる。
とはいえ、まだ18歳の男児がシビアな世界を勝ち残っていることは確かな事実だ。
実力で残ってきたに他ならない。
剛紀、小島ともに、これが開幕一軍へのラストチャンスだと肝に銘じ、余念を一切捨てて試合に集中した。
<――守備につきます、ヤクルトピジョンズのスターティングメンバーを発表します……>
ウグイス孃が今日の両チームのスタメンを読み上げる。
ちなみに西武ウルフズのスタメンには、しっかり剛紀の名が組まれていた。
1番 片桐 二
2番 栗田 中
3番 中山 遊
4番 岡村 三
5番 樫琶 一
6番 浅川 左
7番 秋畑 右
8番 灰島 捕
9番 涌口 投
しかも、この仕上げの時期に一流選手に混ざり、五番である。
期待されていることも、一目瞭然であった。
対して、ヤクルトピジョンズは
1番 広中 二
2番 ジミレ 左
3番 山川 遊
4番 パレンティノ 右
5番 畑中 一
6番 宮下 三
7番 松井 中
8番 相田 捕
9番 由川 投
万全のオーダーで、既にペナントを意識しているのが伺える。
ベンチには、小島の姿。
剛紀は、開幕一軍生き残りをかけた緊張感の中で、密かに胸を躍らせていた。
――試合も終盤に差し掛かり、点差も5-3と二点ビハインドで迎えた七回裏の西武の攻撃。
先頭の岡村が猛打賞となる右中間を割る二塁打を放ち、打順は剛紀。
マウンドでは、今日の球数が100を越えている由川が、キャッチャーと投手コーチと集まって話している。
今日ここまで二打数無安打とパッとしない打席が続いているが、ここはなんとしてもチャンスを生かしたいもの。
自然と肩に力が入る。
「樫琶、待て」
と、ネクストサークルから打席へ向かおうとしたところで、監督の若辺が剛紀を呼び戻した。
「は、はい」
剛紀は拍子抜けと言った様子で、若辺の元まで戻る。
目の前まで戻ると、若辺は剛紀に問い掛けた。
「今日はタイミングが合ってないみたいだな……らしくないじゃないか」
「すみません!次は打てます!」
剛紀がそう返すと、若辺は口元を緩ませた。
「緊張するのはわかるが、それで自分の打撃を崩していたら元も子もないぞ」
若辺は、そう言いながら目線を剛紀からマウンドに移した。
そして、予想外の展開に目を丸くした。
「樫琶、マウンド見てみろ」
若辺に言われて、剛紀はマウンドを振り返った。
同時に球場にウグイス嬢のアナウンスが流れる。
――ヤクルトピジョンズ、選手の交代をお知らせします。ピッチャー、由川に変わりまして……小島。
注目ルーキーの登場に、レフトスタンドからは歓声が沸き起こった。
それとほぼ同時に、三塁側ベンチから小走りで飛び出す小島。
その姿を久しく目の当たりにし、剛紀は体の中で静かに燃えたぎるものを感じていた。
好敵手の登場に、剛紀は武者震いを起こしていた。
そんな剛紀の肩に手を置き、若辺は淡々とボヤキを発した。
「右バッターにタイミングを合わされてきたし、球数も100越えてりゃ、まぁここは右投手だよなぁ」
若辺は棒読みのような喋り方で、剛紀に話しかける。
「だが、ここでルーキー……ましてや小島を出してくるなんて、あっちも役者だねぇ」
剛紀は若辺の言葉を聞きながら、投球練習を始めた小島から目を離さなかった。
それを見た若辺はニヤリと笑みを浮かべた。
「……樫琶、お前たしか甲子園で小島を滅多打ちにしてたな?」
「はい」
じゃあ苦手意識はないな、と若辺は発破をかけて剛紀の背中を叩いた。
「しっかり振ってこい!」
「はい!」
気合いを入れた剛紀は、小島を前にして不思議とリラックスしていた。
そして小島の投球練習が終わり、ウグイス嬢が剛紀の名を呼び、剛紀が打席へ向かうと、この日一番の歓声が場内から沸き起こった。
マウンドでは小島がセットポジションにつき、二塁ランナーと打席の剛紀と交互に目を配る。
剛紀は、打席でゆったりと大きく構えて、自分の間を崩さず投球を待った。
球場は、記憶に新しい甲子園での2人の真剣勝負を重ねながら、剛紀と小島のプロ初対決に胸を躍らせていた。
三年夏の甲子園、準々決勝。
この試合、小島はMAX155キロの直球と伝家の宝刀スライダーがキレにキレ、19奪三振をマーク。
これ以上ない調子の良さだったと本人が語るほどの出来の中、剛紀はその上の領域まで達していた。
小島は、剛紀以外にはヒットを許さず19奪三振の快投を演じたが、剛紀には155キロの直球も伝家の宝刀スライダーも通じなかった。
3打数3安打3本塁打。
おまけに敬遠指示での四球が一つ。
惨敗、しかし全力のストレート勝負、若さ、甲子園の熱さに、人々は酔いしれた。
小島の目が、剛紀を捉える。
さっきまでの目配せとは違う、勝負師の目で剛紀を睨む。
その視線を感じ取り、剛紀は一瞬体を強ばらせた。
ピリピリとマウンドから伝わってくる闘気に、剛紀は飲み込まれずに気を張った。
小島の左足が上がり、そのまま流れるように体重移動し、前に大きく踏み出される。
鍛えられた下半身が地面を掴み、それと連動して、腰、肩、肘…と連動する。
胸が正面を向き、置いていかれた肘から先が、鞭のようにしなりながら後を追う。
そして、ビュンッとしなりを利かせた右腕の指先からボールが放たれた。
ビシュッ!
ボールは空気を切り裂き、音を立て、糸を引くようにミットへ一直線に向かっていった。
「(来た、ストレート!)」
当然、この時の剛紀は初球にヤマを張り、ストレートを待っていた。
そのストレートが、ど真ん中に向かって伸びてくる。
剛紀は、バットをストレートの線上まで持ってきた。
「(もらった!)」
そう確信しバットを振り抜いた。
<カァン!>
打球は高く舞い上がった。
「ファウルボール!」
高く上がった打球は、そのままバックネットを越えた。
剛紀は、打席を外して2回素振りをした。
「(捉えたと思ったら、伸びてきた……ストレートの質が半年前とは段違いだ!)」
打席に戻りながら、剛紀は胸中で小島の成長に驚き、喜んでいた。
自らの興奮冷めやまぬまま、小島は投球動作を始め、すぐに第二球が放たれた。
外角に逃げるスライダーに、剛紀のバットは空を切る。
テンポの良い小島の投球に、簡単に追い込まれてしまった。
三球目はストレートがインコース高めに抜けて、カウントは1-2。
投手有利のカウントで小島が選択した球は、スライダーだった。
一方、剛紀は、もう甘い球はないだろうと一層集中力を高めた。
自然とスタンドからの剛紀コールが大きくなる。
勝負の行方がどうなるかわかる者は一人もおらず、球場全体が二人の新人に釘付けになった。
そんな大歓声の中、投じられた第四球目だった。
<カァァン!!>
小島が投じた外角中心のスライダーを、剛紀のバットが完璧に捉えた。
轟音とともに、白球が進路を急転させる。
打球は、物凄い弾道で空を裂きながら距離を伸ばしていく。
球場全体が上を見上げて、歓声と悲鳴が入り混じる。
マウンドとバッターボックスの二人の男だけは、ただ打球の行方を目で追っていた。
打球は、そのまま勢い衰えずに、バックスクリーン横に突き刺さった。
打った瞬間……まさにこの表現がピッタリなホームランに、ライトスタンドは蜂の巣をつついたようなお祭り騒ぎ。
対して、レフトスタンドでは、甲子園での雪辱を果たせなかった小島に同情し、剛紀の恐ろしさを思い知った。
マウンド上では、唇を噛み締めて悔しさを表す小島。
ダイヤモンドを一周した剛紀は、ベンチで荒い祝福を受けて、スタンドに向かって拳を突き上げた。
結局、この回を保たずに小島は降板し、そのまま試合は西武優勢で進行。
見事、剛紀の一発で勝利を収めた。
剛紀と小島のプロ初対戦は、剛紀の勝利で終わった。