オープン戦
あのフリーバッティングの日からチームの剛紀を見る目が変わった。
と同時に、剛紀の練習量は一軍選手の倍近くになり、これには流石に連日クタクタになっていた。
しかし、どんなに辛い練習だろうと、決して膝は着かず弱音も吐かなかった剛紀。
そんな姿を見た岡村や中山などの主力選手たちも、剛紀に協力をした。
主力の経験や技術を教え、語ってやり、さらなる向上への足掛かりとなってやった。
そんなこともあり、日に日に剛紀は上手くなり、春季キャンプ終了前日の紅白戦では、エースの涌口から2安打1本塁打3打点を記録。
新聞やニュースで取り上げられるのは、連日剛紀…剛紀…剛紀。
全国区となった剛紀の次なる試練は、初の対外試合。
オープン戦だった。
そのオープン戦前日のこと。寮に戻った剛紀は自主トレを終えて、自室で風呂をすませくつろいでいた。
<――そして、ヤクルトの先発は新人投手、小島浩介。>
テレビをつけていると、ふと耳に入った聞き慣れた名前に、剛紀は反応した。
「小島……!」
そう、親友でありライバルである小島が、テレビに映っていたのだ。
それは、今日行われたオープン戦に関するニュースだった。
剛紀は食い入るようにテレビに釘付けになった。
<――対して、小島はMAX148キロの速球と切れ味鋭いスライダーで、初回から三者凡退に抑えます。>
「……すげー」
無意識のうちに、そう言葉を漏らしていた剛紀。
このキャンプの間、自分のことで精一杯であったため、小島……ましてや同期連中のことなど一切考えていなかった。
そのため剛紀には、目の前で活躍する小島が妙に輝いてみえ、嬉しい反面、先を越された気持ちもあった。
<――しかし三回、突如小島が崩れます。先頭打者に四球、それから八番亀田に安打を許し――……>
「あー……」
目の前で躍動していた小島の顔は、みるみるうちに汗だくになっていく。
<――トドメは四番、矢部!6点目のスリーランを許し、三回途中で降板した小島。苦い初登板となりました。>
「…………」
剛紀は、同情はしなかった。
これがプロなんだと改めて認識した。
自分も、明日の試合でどうなるかは分からない。
だから、ひたすら精進し続けること。
立ち止まることは許されない。
自分がプロであることを改めて自覚した剛紀は、まだ乾ききっていない頭のまま、バットを持って部屋を出た。
――翌日、西武ウルフズのオープン戦第一試合が西武ドームで行われた。
幼い頃からテレビや生で見てきたグラウンドの上に、プロのユニフォームに袖を通し自らの足で立っている感動を、剛紀は噛み締めた。
そして、すぐに気持ちを切り替え、これからは自らがこのグラウンドの上で憧れのプロとして躍動し、ファンに夢を与えるため結果を出し続けなければならないことを、肝に銘じた。
将来なんて見えない。
だから、今は一所懸命にボールに食らいついて、この感動を、楽しさを、夢を、希望をファンに与えることだけを、剛紀は考えた。
…観客席も徐々に埋まりだしたころ、選手はそれぞれウォーミングアップを済ませ、ベンチに腰を下ろしたりして、試合開始までの時間を過ごしていた。
その中で、剛紀は一人ベンチ裏で大粒の汗を滴らせながら、素振りをしていた。
「(いつ出てもいいように、後悔しないように、開幕一軍を掴むために、ぬかりなく!)」
今日の西武のスターティングオーダーに剛紀の名はなく、一軍半〜二軍の選手が占めていた。
皆が常勝西武の開幕一軍を目指している仲間であり、敵である。
その中で、高卒ルーキーというハンデを抱えながら競争率の高い枠を争うのだ。
剛紀は、ほんの一瞬でも気を抜けないのだ。
<――守りにつきます、埼玉西武ウルフズ、メンバーを発表します……>
球場にウグイス嬢の澄んだ声が流れ出す。
そして、西武の先発選手の名前が次々と呼ばれ、グラウンドに散っていく。
同時に、その背中に、スタンドの大勢のファンからの歓声や拍手が浴びせられる。
「頑張れー!」
「○○ー!今年こそ一軍定着しろよー!」
「期待してるぞー!」
素振りを一旦終えて、ベンチでそれを目にした剛紀は、いつか自分もあのようになりたいと思いを馳せながら、羨みの視線を送っていた。
「おい、樫琶」
そんな剛紀を呼び寄せる男がいた。
「はい」
男の名は、山尾博史。
毎年、一軍と二軍を行き来する、渋さの光る打撃が魅力的なベテラン内野手だ。
剛紀が山尾の元へと近寄ると、山尾は剛紀を隣に座らせた。
「どうだ、オープン戦とはいえ、この雰囲気がたまらんだろ」
山尾も剛紀と同じく、グラウンドの上に立ちたくて仕方ないのか、ファンから声援を受ける選手たちを羨ましそうに眺めていた。
「はい、僕も今すぐ飛び出したいくらいです」
剛紀は真面目に、思っていることを言った。
「そうだよなぁ。実際に出てみると、もっと感動するからな」
そう言うと、山尾は視線を選手からスタンドに向けた。
「ファンの力は凄いぞ。毎年ああやって応援してくれる人たちがいるってスゲー実感できるし、そのために頑張ろうと思えるんだ」
山尾の言葉に、剛紀は何度も頷いた。
山尾も、言葉を続けていく。
「まぁ、中には厳しい言葉をくれるファンもいるけどな」
山尾がそう言うと、同時にスタンドからファンが叫んだ。
「加藤くん今日もエラー頼むよ!」
「うるせークソジジイ!黙って隠居してろ!」
「「ハハハハハ……」」
ファンの言葉に、選手が反論し、スタンドは笑いに包まれた。
「加藤のやつ、またやってんな…」
やれやれ、といった感じで山尾は呟いた。
「まぁ、樫琶よ。誰にだってチャンスは回ってくんだ。その時に、しっかりプレーすりゃいんだ。あまり気負わず、準備しとけよ」
そう言って、山尾はポンと剛紀の背中を軽く叩いた。
「はい!」
剛紀が返事を返すと、アンパイアの声が球場に響き渡った。
――試合は、序盤から西武打線が繋がりを見せ、単長打を混ぜながらポンポンと得点を重ねていった。
六回を迎えたところで、すでに7得点。
対戦相手のソフトバンクコンドルズ相手に、7−1と大量リードで終盤に差し掛かろうとしていた。
「樫琶、次の攻撃、頭からいくぞ!しっかり準備しとけよ!」
ベンチ裏で素振りをしていた剛紀に、打撃コーチが出番を知らせた。
「はい!」
剛紀の素振りに、一層熱が入る。
与えられたチャンスは逃さない。
しっかりと、掴み取ろうと決意を胸に、バットを振った。
<――西武ウルフズ、選手の交代をお知らせします。バッター、加藤に代わりまして、代打、樫琶。背番号5>
ウグイス嬢が剛紀の名を告げると、スタンドからは今日一番の大歓声が沸き起こった。
「いよっ!待ってましたっ!」
「ホームラン見せろよー!」
「頑張れよー!黄金ルーキー!」
ベンチから駆け足でグラウンドに出ると、球場全体の視線は全て剛紀に集まる。
剛紀は、大観衆を気にしながらも、アンパイアに一礼をし、打席に入った。
初の対外試合、プロの対決。
しかし、そんなことも関係なく、バッターボックスで威風堂々と構える剛紀は、不安より喜びや楽しみな感情のほうが勝っていた。
ファンの声援にも、球場の雰囲気にも呑まれず、程良い緊張感を保っていた。
「(……なんだ、甲子園決勝に比べたら、これくらいなんともないな)」
余裕すら見せる剛紀は、自分の間を作り出し、相手投手の投球を待った。
「(初球、インロー変化球に絞ってスイングする)」
剛紀には、高校時代から初球の配球だけは山を張るクセがあった。
それは、データに基づくものから根拠のない直感まで。
狙い球、甘い球がくれば確実に仕留められる確実性も兼ね備えたパワーヒッターの剛紀が編み出した、ジンクスのようなものだ。
とにかく、それは剛紀の才能に他ならないのであった。
マウンド上の投手は、福岡コンドルズの若手投手・河原。
高い潜在能力を有するだけに、今後の大化けが期待される左腕だ。
右対左と、剛紀には有利な初対決となった。
河原は捕手からのサインに頷き、投球動作を始めた。
球場の応援も、より熱が入り、剛紀もグッと集中力を高める。
流れるような動作のラスト、河原の指先からボールが放たれた。
ボールは、軌道を変えながら捕手のミットに向かっていく。
「(真ん中低め、内寄り……高速スライダー!)」
降り出した剛紀のバットが、ボールを捉えた。
カァァン!
痛快な打球音を残して、放たれたボールは痛烈なライナーで二遊間を抜いた。
「おおー!」
というどよめきと歓声が沸き起こり、一塁ベースに到達した剛紀に拍手が送られた。
全て、自分に向けられたものだと理解すると、自然と鳥肌が立った。
「これがプロの舞台か」
その場に立ち、初めて味わう快感を、感動を剛紀は噛み締めた。
そして、先ほどの感触の余韻に浸りながら、ヘルメットのつばをつまみ、スタンドのファンにお辞儀をした。
剛紀のオープン戦初打席は、見事なヒットで飾られた。