第十話
リケイの手記
この世界の人々はこの世界をフーガックと呼ぶ。
ただこれは、この大地の名なのか、この惑星の名なのか、この恒星系の名なのか、この宇宙の名なのか、はたまた世界を指す単語なのか。まだわからない。
さて私カミシロリケイは十五年前の冬、銀座で死んだ。
息子を人質に取られ、娘を差し出せと脅され、その娘を信のおける者に託し、息子を取り戻してなんとか逃がす事には成功したが、自分達は逃げられず、妻と共に身を焼かれた。
娘が狙われた理由等知る由もないが、碌な理由では無いだろう。
一度意識を失った後すぐ意識を取り戻したつもりだったのだが、目は見えず、声も発せず、身体の感覚も曖昧。
だが耳だけは聞こえていた、というよりも振動を感じ取っていた。
何者かの鼓動の様なモノをイメージ出来る様な音だった。
最初の1年程は、何らかの治療を受けているものだと思っていた。
自発的に何も出来ない環境の中とりあえず意識の中で、周期表やら生物分類やら、とにかく覚えていたモノを繰り返し暗唱した。
これが可能であるという事は脳機能が正常であるという事を実感し、少し安心した。
そうしている内に身体が大きくなっている事を自覚した。
程なく身体の周りにあった液体が無くなっている事に気がついた。
そしてある時目が見える様になった。
壁床天井から乳房の様なモノが生えている部屋の中に居た。
乳房だ。おっぱいだ。しかもその一つが口と繋がっている。離れない。
ちなみに私にそんな性癖は無い。
身体は動かせない程にその壁と密着され、固定されていた。
正確には手足と背中が壁に埋もれており、腹側は壁に押し付けられている。
しかも私の身体は白い体毛に覆われている。訳がわからない。
なんだよこの状況、マジでおっかねぇ。とは思ったが、壁のこれ、どうやらマジで乳房だ。母乳っぽいモノが出るんだよ。
これを飲み続けた。というか、無意識下でも飲んでたらしい。
そして、食事をするという事は排泄もする。
排泄物は排泄を行ったほぼ直後に壁から出てくる液体に流され、足下の穴の中に吸い込まれて行く。
この液体も口に入ってきたが、薄い砂糖無しのゼリーの様な味だった。生臭く無いゼラチン。
やがてこれらは不味く感じる様になった。
そんなある時少し強く身を捩った。
するといくつかの壁の乳房が破裂、知らない液体が部屋の中を満たそうとしている。窒息しそうになった。
この時気付いた。
意識がハッキリする以前の私は呼吸をしていなかったのだ。
かなり強く暴れた。
すると、足元の壁が破れる様に割れ、そこから転落する事で脱出となった。
壁を滑る様に落下した。
そこは洞穴の中の様な場所で十数メートル先に明かりが見えていた。
とにかく混乱していて、とにかく水を求めていた。
印象的な匂いが周囲に拡がっていた。和風の素朴な香水の匂いとでも言おうか。
洞穴を出て数分かけて這った先に崖があり、そこから染み出す水で喉を潤した。
振り返るとそこには樹木があった。
畏怖を覚える程の巨大樹だ。私が生まれ落ちたのは、その巨大樹の樹洞の中だった。
その樹洞には果実なのか、または他の生物により産み付けられた卵なのか、白い長球がその大樹に巻き込まれる様に6つ存在していた。
どうやら私はその中央のモノから産まれた様だ。明らかに一番大きい。
残りの5つはすでに産まれてからかなりの期間が経っている。
片方には鳥の巣の様なモノが有り、もう一つの内部にはキノコの生えた丸太があった。
私には姉か兄が居る様だ。探してみるのも良いだろう。
だが先ずは生存が先だろうか。
両腕には紡錘形の軽い盾の様な、鱗と体毛に包まれた何かが生えている。
小指を曲げている様な感覚がある。トンファーを持っている感覚に近い。先端から大きな爪が前向きに生えている。
足は食肉目のそれだ。爪先立ちだ。
頭部には口吻が伸び、触れた形は犬やキツネの様だ。
尾も生えており、全体のバランスとしては長く、やや重い。
うん、狼男だ。多分。
あと喋れん、この犬面。まだなのかずっとなのかは分からんが。
確認は済んだ。取り敢えず食い物。
水源を下り、竹の様なそうじゃない様な竹林を抜けると、視界の開けた場所に出た。
川を発見したので行ってみる事にした。
滝壺の様な場所を見つけたので魚でも狙ってみるか。
なかなか捕れん。
明らかに日本?地球?の魚より反応も速度も速い。少し触れた感じだとすごく硬く鋭い。
水底に頻繁に足に絡みついてくるテヅルモヅルみたいなのがいる。
足を挟んでくる鳥の嘴みたいなのがいる。やりづれぇ。イライラする。なんか出そう。あーもうなんか出る。
もういい、出す。
川だし。思いっきり力んでやった。
その時、自分の意志とは関係無く全身が強張った。
なんだこれは?いや、経験した事がある。
あぁ思い出した。牧場のフェンスを触った時だ。
つまり、電気ウナギの様なやつがいるという事だ。
周囲に割と大きな魚?が浮かんできた。電気ショッカーを受けた様な状態になったのだ。
備えなければならない。危険なやつがいる。
そう思って刹那、身体が自由になる。川岸に飛び退いた。
備えなければならない、危険なやつがいる。
警戒している最中気づいた。
自分の尾の先の黒い鱗?部分、そこにある鱗同士で空中放電している。
・・・私だ。電気ウナギでは無い、私だ。
自身が落ち着くと共に火花も収まった為、感電したであろう魚達を回収した。
バカデカくて黒い蛇みたいなのも浮いてきたな。
・・・ブッサイクだなコイツ。コチみてぇなツラだ。
これも喰っちまうか。数日持てば良いが。鮮度的な意味で。腐ったら撒き餌にでもするか。
魚がおかしい。
頭周りや鱗があまりにも攻撃的でカミソリやノコギリの様な部分が目立つ。
明らかに違う種類であってもそうだ。同じ大きさであっても、全体の色や形、鱗ひとつとっても多数の違いを見つけられる。
明らかに雌雄差では無い。複数種の魚がこの形質を持っているのだ。
食えんのかこれ?
おいしかったですありがとう。なんだっけ。
焚き火がやや明るく見える。
黒い巨大蛇の解体も終わった。数日かかると思ったが意外と早かったな。
蛇肉は出来るだけ燻製にしてみる。近くに洞穴があったからな。
だが大半はその辺にあったバカでかい葉に包んで埋めてみた。冷蔵庫なんか無いんだ。色々と試してみるしかない。
重労働のはずなのだが、そうでもなかった。この身体は体力と腕力にとても優れている様だ。
皮は色々と使えそうなので近くの川縁の淀みに埋めてみた。鞣しの真似事位になってくれる事を期待する。
なんか埋めてばっかりだな。
私が産まれたのは早朝だった様だ。丁度今、産まれた時と同じ様な明るさだ。
空から光の糸が垂れている。白?金色?いや虹色か?あれはなんだろう。
そんな事を考えていた。あぐらをかいて座り込んでいた。油断だった。
突如目の前を白が覆った。
おそらく右斜上後方から来たのだろうモノが焚き火を踏みつぶした。
私は慌てて視界内左前に飛び退く。
構えて目をやると、四足と一対の翼を持った白いトカゲの様な鳥の様な生物、そして青い髪の少女の姿があった。
少女は焚き火に土をかけて手際よく消火した。
「一応聞こう。」
その白は言う。
日本語だった。
「私の名は神代喜美。君は何者だ。」
白は、私と共に身を焼かれた妻の名を名乗った。
私は足元に、己の名を爪で刻んだ。




