2.足を偏愛する殺人鬼と、エーテルを放つ獅子。そしてオチ(落下)。
ヤマノテ線のちょうど外側には高さ50メートルほどになる防壁が建てられている。内壁と呼ばれるこの巨大な壁の外が下層街、内側が上層街と一般に呼ばれている。下層街の外郭にも外壁と呼ばれる高さ30メートルほどの壁が建っている。それぞれの防壁には様々な防衛兵器が備え付けられている。
下層街の中でも内壁に近づくにつれ治安が良くなり、街路など整備が行き届くようになっていく。学校や病院などの施設も存在するようになり、内壁のすぐ側であれば上層街とほとんど変わらない景観を持つ地域もある。
その下層街、内壁からほど近く。
夜十時を少し回った街路は、明るい街灯に照らされていた。トウキョウの下層街に住むのは冒険者だけではない。学生、警官、店員、医者。様々な職業を持ち行き交う人々がそれぞれの生活に追われ、足早に移動している。
移動する人々の中に、痩身で背の高い冒険者がいた。合成皮と金属を組み合わせた軽鎧に無骨な直剣を背負っている。装備の見た目は一流には程遠かったが、彼の立ち居振る舞いに馴染み、よく手入れされているものであることがわかる。
質実剛健。彼をちらと見た者の多くは、どこかの冒険者パーティで地味だけど欠けたら困る役割を担っていると想像するだろう。
実際に彼が基本的にはソロで活動していると知っても「言われてみれば、独りが好きそうだよね」と言うだろう。彼はそれほど普通で地味であり、群衆の中に自然に溶け込んでいた。
男がマンションの入口へ入っていくと、カメラが自動的に顔を認証しガラスドアを開く。住居人用エレベーターで中層階まで上がると、暗証番号と指紋で自室の扉を解錠した。
「ふぅ……」
彼はため息をつくと装備と下着を脱いで、それぞれ別の洗濯機に放り込む。シャワーを十分ほどで浴びた男は下着姿でリビングのソファに深々と座った。
「酒場で面白いものを見れたのはいいが、それにしても疲れたよ……」
男は次元収納から取り出したものを、天井に向けた顔の上に乗せる。目を閉じ、深々と息を吸い込む。
「はぁ……やはり汗の匂いが残った少女の足の裏は最高だなぁ」
彼は僅かにくるぶしの上で切り取られた小さな足を持ち上げると、舌を伸ばして土踏まずを何度も舐める。机の上のティッシュで自分の唾液を拭うと、足を自らの下着の上に置いた。
「ふぅぅぅうう……、むっ、――い、今は不味い。まずは食事をしなければ……。ルーティンを守らないと生活リズムが崩れる。生活リズムが崩れると調子が乱れ、歓迎できない事態が起こる……」
男はくるぶしの上で切断された足を次元収納に収めると、キッチンに立った。手早く米を研いで早炊きで炊き始めると、冷蔵庫から昨日買ったばかりの新鮮な野菜と肉を取り出す。下拵えをしてステーキとサラダにすると、ちょうど米も焚きあがった。
手間のかからないレトルト食品を好む冒険者も多い中、自炊は男のこだわりだった。
「高価なレトルト食品は栄養価も味も自炊より上回るそうだが、私に言わせれば風情がない」
男は食卓に今しがた自分が用意した料理を並べ、ワイナリーから持ってきたワインと一緒に晩餐を楽しむ。
「料理にはやはり生の手触りといったものが必要だ。そう例えば……」
痩身で背の高い男は再び次元収納から足首で切り取られた足を取り出すと、親指を口に含んだ。
にゅるにゅる、ちゅぷん。
「ふふ……私の固有魔法【保存】は最高だ。鮮度の保たれた、この味。触感。堪らないね」
痩身で背の高い男は足の親指から口を離すと、一瞬で次元収納に戻した。
「そういえば今日ジッドを殺した少年……なかなかの動きだったな」
一流店を除き外食も嫌いな男だったが、仕事を終えた後に場末の酒場で一杯酒を飲むのがルーティンだった。ジッドが大声でする自慢話は情報源として優秀だったし、仕事をする以上、そしてなにより怪しまれずに趣味を遂行するために、好感の持てる大人しい人物として最低限は顔を売っておく必要もあった。
「ふふ……だが少年よりも、ジッドに抵抗していた褐色肌の少女……。あの安っぽい革のブーツの中にはいったいどんな足が眠っているのだろうか……。褐色で……よく肉の締まった……」
男はぶるりと身体を震わせた。箱ティッシュから数枚を抜き取る。
「い、いかん……我慢できないぞ……駄目だ」
◇
装甲駆動車の運転席で玖凪シラヒは気持ちよく風に青い長髪をなびかせている。背後からくしゃみの音と席を隣に移す音が聞こえた。シラヒは悪いことをしたなと苦笑する。纏めておけばよかったかもしれない。
斜め後ろの座席に移った少女は、昨日の酒場における自分の行動を正当化するために、異を呈した。
「頭おかしいですよぅ……事情も分からなかったのに、酒場に着いてすぐ割って入って……」
「逃げ出したベニカは黙ってなさい」
「ひぅ」
助手席に座っているクロエの叱責に怯え、雛姫ベニカは後部座席で膝を抱える。
「あんまり辛く当たるなよ、クロエ。ベニカが次元収納袋を解錠してくれたおかげで結構お金溜まりそうだろ。今日の夜にもう一度寄って結果を聞こう。楽しみだよ」
「ふん」
ベニカの【固有魔法】は比較的レアな次元系統だった。最強の系統の一つでもある。
「それよりクロエ、レベルアップボーナスはもう決めた?」
「……固有魔法はまたしても外れ。〈敏捷強化〉にしたわ」
「ついてないね。ちなみになんだったの?」
「【氷の箱】。文字通り氷のキューブを出現させる魔法。相手を閉じ込めたり、空中で足場にしたりできそうだったけど」
「……十分便利じゃない?」
「強度は魔力依存。私の魔力量は知ってるでしょ? それに地味」
「地味って……。まぁ魔力が少ないのはね。なんで運動神経が高い人は魔力少ないんだろうね。逆もそうだけど。やっぱりクロエとしては身体強化系統がいいの?」
「次元系統、概念干渉系統、回復系統でもいいわね。……なんでもいいわよ。最強になれるなら」
「あはは。クロエはそうだよね。僕は〈知覚強化〉にしたよ。これで四種はコンプリートだ」
四種、とは初級冒険者の最高レベルであるレベル4になるまでに取得しておくべきとされている四つのレベルアップボーナスのことだ。【固有魔法】《魔纏》〈身体強化〉〈知覚強化〉の四つで、シラヒはこの順に取得した。
対してクロエは〈身体強化〉〈知覚強化〉《魔纏》〈敏捷強化〉の順で取得している。【固有魔法】はレベル1になった時からずっと選択肢に出現しているものの、まだ修得はしていない。
【固有魔法】は取得するまでレベルアップごとに異なる魔法が提示される。クロエは自分に適した魔法が出現するまで待つつもりだった。
出現する魔法の規則性はわかっていない。完全にランダムというのが最有力な説だが、レベルアップ毎に強力な魔法が出現する可能性が上がっていく、という説もまことしやかに囁かれている。だが後者の説は実例が少なすぎる上に、「待っていたら強い固有魔法が出た」ではなく「強い固有魔法が出るまで待った」だけであると反駁する者もいた。
ネット上には判明している固有魔法をランク付けした一覧を作って画像データで配布する者もいた。勿論クロエはそのデータを入手した上で頭に叩き込んでいる。寝ているときにしかレベルアップはできず、当然、外部情報は見れないからだ。
「ところでベニカはレベルアップした?」
誰に経験値が入るかは曖昧である。直接戦闘に貢献しなくても、近くにいて普段よく一緒にいる者であれば経験値が入ったりする。
「あっ、はい。ずっと窓から見ていて、ふっ、二人が酒場から出ようとしたときに気まずくて逃げたので……」
「……」
シラヒは恐る恐る助手席へ視線だけ向ける。ベニカの行動を思い出したのか、苛立たし気に組んだ腕を指で叩いて、不機嫌さを露わにしているクロエがそこにはいた。
「まっ、まぁ、そういうこともあるよね! いやー、これで三人ともレベル4かぁ~! 中級冒険者まであと一歩だね! 油断せずにいこおっ、と不味いッ!」
「あっぴゃぁあああああ」
シラヒが急ハンドルを切る。ベニカは盛大に後部座席を転がった。〈身体強化〉を取得していないのにも関わらずシートベルトも締めずに脚を抱えて丸まって座っていたためだ。当たり前である。直後、元々の進行方向先から光の砲弾が放たれて装甲駆動車の真横の空気を焦がす。
「依頼対象の光砲獅子・仔だ。依頼は太陽光をエーテルに変換するたてがみ、そこから繋がった心臓近くにあるエーテルバッテリーと、喉にあるエーテル射出機構を傷つけずに持ち帰ること。つまり後ろ半身を狙って倒せってことだね。射撃じゃあ前半身を撃ちかねないから近づいて倒すよ」
「シラヒなら【制限解除】を使えば前半身を避けて撃ち抜けるでしょ」
「……【制限解除】はほとんど僕の力じゃないから、頼ると地力が伸びないんだよ」
本当はシラヒにしか見えない少女ラスの力であり、彼女がシラヒの魔力を操作して起こしている様々な事象を、シラヒは【制限解除】という固有魔法として説明している。
レベル0でトウキョウから出た直後だった。レベルアップもしていないのに上手くいく日が続き、調子に乗って遠くまで鉄屑を集めに行った。その見返りとして与えられたのは死と隣り合わせのトウキョウへの帰還だった。
見張りを立てて交代で眠りについた夢の中で果たしたレベルアップ。シラヒの3つのレベルボーナスのうち1つに現れたのは聞いたこともない選択肢だった。高レベルモンスターが周囲を徘徊する窮地にあって、他の選択肢では死を待つばかりの状況。シラヒは選択肢【PC契約:PL名ラストロット】を選んだ。
その契約により、ラスの存在や契約自体について他言を固く禁じられている。トウキョウへの帰還はラスの力でなんとかなったが、調子に乗ってはいけないという教訓を深く刻まれた経験でもあった。
「……ベニカ、近づくまでの防御はよろしくね」
「えっ、えっと……」
クロエは苛立たし気にベニカの襟首をつかんだ。
「……ほら! ぐだぐだしてないで前に出る!」
「……ひゃうっ!!!」
引っ張り上げられ、運転席の前のボンネットの上にドスンと尻を叩きつけられる。
「次のエーテル砲弾、来るよっ! 近づいた分かわしてる余裕はないから頼むよベニカっ!」
数百メートルまで近づいた光砲獅子・仔のたてがみ部分が光る。一瞬ののち、獅子の口腔から放たれた圧縮光の砲弾がシラヒ達の装甲駆動車へ向けて放出された。
「にょあぁっ! にっ、【二次元の盾】ぇぇぇええええ!」
ベニカの細い両腕が前に伸ばされる。広げた手の先で黒い薄紙のような壁が出現し、装甲車の前面を保弾から覆い隠した。バリアに衝突した圧縮光の砲弾は周囲へ撒き散らされる。
「流石の硬さだね、ベニカ!」
「保身の塊のベニカらしい固有魔法よね」
「ふひ、ふひひひひ。おらどんとこーい!」
褒められて調子に乗ったベニカが次のエーテル砲弾を弾いた数秒後、三人を乗せた装甲駆動車は光砲獅子・仔に肉薄していた。幼体とはいえ大きさは通常のライオンと同程度である。
「レベル8エーテルシリンダーはもったいなくて使えないけど。あんた相手なら素の斬れ味で十分でしょッ!」
クロエが次元収納から取り出したのはレベル8半光学式機工炸裂両手斧。格上の冒険者、禿頭の巨漢ジッドを倒して手に入れた、今のクロエの実力には本来見合わない強力な武器だ。
身の丈に合わぬ武器。しかしクロエは気にしない。武器やそれを手に入れる運や人脈を含めて冒険者の実力だと考えているからだ。身の丈が合わないなら合うまで成長すればいい。
装甲駆動車の軌道から離れるように獅子は走り始める。しかし長く使うつもりで24回払いで良質な装甲駆動車を買ったあと、何度も乗り回して癖も扱い方も知り尽くしているシラヒの運転技術の敵ではなかった。
装甲駆動車が追い付き、駆ける獅子に横付けする。次の瞬間ボンネットに上がっていたクロエは獅子の背中めがけて飛び降りた。
光砲獅子・仔は混合系モンスターで大部分は生身だ。たてがみからつながるエーテル関連機構だけが有機金属で作られている。
「そ、らッ!」
後ろを振り返って進路を変えようとした獅子の仔が装甲駆動車から離れるより早く、クロエの巨大な両手斧が振り下ろされた。
生身とはいえ、レベル4モンスターの身体はそれなりに頑丈だ。が、レベル8両手斧の切断力の前ではほとんど意味をなさなかった。あっさりと胴体を両断した両手斧は地面を割って突き刺さる。
「おっも……」
地面寸前で止めるつもりだった褐色の少女クロエが呻く。レベルアップボーナスによる身体強化があってもなお、クロエには扱いきれていなかった。
「でも狙いは正確だったよね。数日前に手に入れたばかりの武器なのに、やっぱりクロエは器用だ。《魔纏》も使えば十分に使いこなせるんじゃない?」
装甲駆動車を少し離れたところに停めて降りてきたシラヒが呑気な口調でクロエを褒める。そして気軽に思ったことを口にする。魔力で身体を覆うことで鎧とし、身体能力も総合的に上昇させる《魔纏》を使えば問題なさそうだけど、と。
「はぁ? 馬鹿にしてんの? 当たり前でしょ、そんなの。生身でも使えるように訓練してるんじゃない。武器振るう度に魔力消費しなきゃいけないとか馬鹿みたいでしょ? そんなんで長期戦を戦えるとでも? 不意打ちもできないわよそれじゃ」
本心から褒めたシラヒだったが、返ってきたのは容赦ない言葉の掃射だった。が、言うことはもっともだったので、シラヒも「そうだね」と頷く。妥当でなかったとしてもシラヒなら頷いていたが、言ってることが正しいのであれば尚のことだ。
ふん、と鼻でため息をつくと、クロエは両手斧を近くの地面に突き立てた。次元収納から取り出した頑丈な解体用の短剣で光砲獅子・仔のエーテル機構を切り出しにかかる。血が飛び散り水たまりのように広がるがクロエは気にしない。シラヒもサポートはするがクロエの方が器用なのでほとんどクロエに任せていた。
「予想通り、簡単な依頼だったわね」
「そうだね。ちょっと簡単すぎたかな……?」
血の滴るエーテル機構を取り出したクロエがシラヒに渡すと、シラヒは大きな水稲を次元収納から取り出してエーテル機構にぶっかけた。ある程度の汚れが落ちたのを確認すると数秒念じて冒険者組合で預かってきた納品用の次元収納ポーチに収める。
それから二人はしばらく生体部分も何かに使えないかと見分したり、成体ならまだしも幼体じゃ売れないと分かってからはクロエが両手斧の試し斬りに使ったりした。
持ち帰らない生体部分は環境汚染にもつながるので焼いて埋める。
数十分後、二人が装甲駆動車に戻る。二人からは死角になって気が付かなかったが、一応は装甲駆動車を守るという仕事を任されていたはずのベニカは、ボンネットの上で横になって目を閉じていた。
季節は春。爽やかな風が吹き、陽だまりの中で眠る少女は、幸せそうな、少しだらしない笑みを浮かべていた。
「……にへへ」
「……」
シラヒはクロエからどす黒い瘴気が立ち昇るのを見た。クロエは運転席に乗り込むとギアをバックに入れてアクセル思い切り踏み込む。
「んぁ? ……ぷぎゃっ!」
勢いよくバックした装甲駆動車。慣性で桃色長髪の少女ベニカは空中に置き去りにされ、重力加速度に従って落下すると、地面と衝突し蛙が潰れたような声を上げた。




