第4話「私が檻の中に行っても、仲良くしてくれる!?」
私はオノマトペ辞典に必死に目を通していた。外からは、ざーざーという雨の音……。
……日常の音は、こんなに簡単に見つけられるのに。いくらページを捲ったところで、私のこの心を表現する言葉には出会えそうになかった。
「……ふわり、あんた何必死に辞書見てんの?」
「あっ、綺羅ちゃん~っ。おはようだよ……!」
「おはよう」
綺羅ちゃんはそう言うと、私の隣に座る。日恋ちゃんはまだ来てないみたい。
私は辞典を閉じて、いそいそと鞄の中にしまった。
「で、その辞典は何? 課題……じゃないよね?」
「……」
私たちは、文学部だ。授業を受けるなかで中でこういう、オノマトペとか、古来の言葉を調べる……とか、そういうことのために、普段は使わないような珍しい、分野に特化した辞典を使うことはよくある。でも綺羅ちゃんの言う通り、最近そういう課題は出てない。
私は流れる冷や汗の感触を確かめながら、ゆっくりと口を開く。
「それは……プライバシーの侵害……」
「ふわりにプライバシーとかいう文化あったんだ」
「も~っ!! 綺羅ちゃん意地悪!!」
明らかに馬鹿にされていると分かり、私は思わず大声を上げる。ごめんごめん、と綺羅ちゃんは苦笑いで謝った。
もう、と私は綺羅ちゃんを軽く睨みつけると、机の上に突っ伏す。
「よく分かんないけど、ふわり関連でその辞書を使う必要があった……ってことね?」
「……そう」
「もう、ふわり、いじけないでよ」
そう言って綺羅ちゃんは、私のほっぺたをツンツンと突く。も~、プニプニしないで……。
鞄の中にしまった辞典に思いを馳せる。辞典でも、私のこの……形容しがたい気持ちに、名前は付けられなかったみたい。
──私は、西園寺くんの髪を撫でた。
そうしたら西園寺くんは、ふわふわのとろとろになってしまって。もっと撫でてほしいと言われて、私はそれに応えたけれど、なんか……触れれば触れるほど、なんか駄目な気がして、撫でるのをやめちゃって。でも、ふわふわになった西園寺くんの顔を見たら、体が勝手に動きそうになって。それからずっと、私の中で、言葉に出来ない感情がぐるぐる~っ!! ってしてて!!
綺羅ちゃんにこんなこと、相談できないよ!! だって、セクハラって怒られそう!! そんな気がする!!
わ、私、西園寺くんにセクハラをしてしまったのかもしれない……!! 訴えられちゃったらどうしよう!? で、でも、私がした行動を考えたら、仕方ないのかもしれない……!?
「き、綺羅ちゃんっ、私が檻の中に行っても、仲良くしてくれる!?」
「何、あんた、ふわふわ好き人種として遂に見世物パンダになるの?」
「遂にって何!? あとそれは檻違いだよ~~~~っ」
ふわふわ好き人種って、私そんな珍しい存在なの!? 皆、私ほどじゃないにしても、ふわふわ好きじゃないの!?
そんなことを考えていると、私の視線は自然と講義室の入り口の方に吸い込まれてしまう。……そこに、立っていた。西園寺くんが。
どきーーーーっ!! と、心臓が大きく音を立てるのが分かる。昨日ぶりの、西園寺くん。昨日と違って、顔を赤くしていない。ふわふわ~って顔もしてない。今日も、氷みたいにかっちりとした綺麗な微笑を浮かべていて。講義室に入って来たばかりで、私が見ていることには気づいてないみたい……。
「……あっ……」
そこで、ぱちっ!! と目が合ってしまった。すると彼は大きく目を見開いて、そして頬を微かに赤く染める。……それを見た瞬間、私の胸の中は、またあの〝形容しがたい気持ち〟にざわざわっ!! と埋め尽くされてしまった。
慌てて目を反らす。このまま見続けたら、駄目だと思ったのだ。何が駄目なのかは、全然分からないけど……。
「? ふわり、どうしたの? 急に窓の外なんて見て……」
「えっ、え!? あっ!! いや!! すっごくいいお天気だな~って思って!! あは!! あはは!!」
「いや、すごい土砂降りだけど……?」
うっ、綺羅ちゃんの冷静なツッコミが耳に痛いよ~……。
目を反らしたついでに空を仰ぐ。確かに大きな空は、どよ~んとした灰色の雲に覆いつくされていて、そこから大きな雨粒が降り注いでいる。
私の心も、雲に覆われてるみたいに見えないよ……うーん、分からないのはなんか嫌だから、早く雲が晴れてほしいんだけど……!!
「……」
そうやって窓の外ばかり見ていた私は、頬をほんのり赤くしたままの西園寺くんが、私のことをずっとジーっと見ていたことに、全く気付かなかったのでした。