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第29話「きらい、じゃ、ないよ……」

 今日も私は、ベッドの上でゴロゴロとする生活をしていた。

 もう何日、こうしているだろう。数えるのもやめてしまった。


 辛うじて人間的な生活は送っている。ご飯を食べて、お風呂にも入って、勉強をして、課題もちゃんとこなして……。

 いつもと違うのは、外に出ないってだけ。


 だって、何の間違いでゆいくんと鉢合わせてしまうか、分からない。ゆいくんと顔を合わせてしまったら、私は……。


 ……だから、大学まで課題を提出しに行くなんて、以ての外だった。それは……申し訳ないけど、綺羅ちゃんと日恋ちゃんに頼んで。……二人にも顔を見せてあげられなくて、申し訳なかったな。

 でも、二人はきっと心配をして……私を外に連れ出してしまう。そうしたら、ゆいくんと会ってしまうかもしれない。それは、避けたかった。


 ……ゆいくんがいつ、柚葵さんと一緒に遠くに行ってしまうか……それは分からないけど、分かるまでこうして家の中にいるつもりだった。ゆいくんのアカウントはブロックしてしまったから、ゆいくんから聞くことはできないけれど……たぶん、綺羅ちゃんと日恋ちゃんが私に教えてくれる。二人は耳が早いから。

 ……二人を利用するみたいで、すごく、申し訳ないな……。


 でも、ゆいくんを守るためなのだ。私のこの気持ちは、絶対に外に出してはいけない。私の、こんな、全然ふわふわじゃない、醜い気持ち……。

 ゆいくんに会ってしまったら……きっと私は、この気持ちをもう止められない。そうしたらゆいくんを傷つける。


 ──ゆいくんに触りたい。

 ──ゆいくんのふわふわな顔をもっと見たい。


 ……そう思っても、この気持ちを止められないで考えちゃうんだから、本当に私って、最低だ。


 小さなころからお気に入りのぬいぐるみを抱きしめる。何度も洗濯しているから、最初の頃のようなふわふわさはもうあまり無くて。……でも、安心出来る。これに触っていると、落ち着く。

 ……本当に、なんで、これじゃあ満足できないんだろうな……。


 思い出してしまう。何度でも。ゆいくんの髪を撫でて、ゆいくんがふわふわな表情を見せてくれて……。


 それだけじゃない。ふわふわする以外の時も。……一緒に動物園に行ったのも、勉強したのも、ゆいくんが心の底からの笑顔を浮かべてくれたのが、本当に嬉しかった。いつまでも、見ていたかった。


 見て、いたかったのに。……それをきっと私は、壊すから。……だからもう、見れることはないんだ。


 思い出を反芻する。縋ってしまう。捨てないといけないと思うけれど。

 ……ゆいくんが遠くに行っちゃうまでは、ちょっと未練がましくても、許してほしいな。





 気づいたら眠っていたみたい。窓の外からは温かな日差しが差しこんでいて、ぽかぽか温かかった。

 お陰で部屋の中の様子もよく見える。私は床に落ちていたスマホを拾い上げると、そこには16:46の文字が。……その下には、綺羅ちゃんからのメッセージが来ていた。


『ふわり、元気?』

『預けてもらった課題、ちゃんと提出したんだけどさ、先生が本人からじゃないと受け取らないって言っててさ。一応受け取ってはもらったんだけど、顔見せに来いだって』

『行けそう?』

「……先生に、代理提出の許可、貰ったはずなんだけどな……?」


 綺羅ちゃんからのメッセージに、私はそう呟いて首を傾げる。粘りに粘って貰った許可だ。まあ、代理提出ってあんまりしちゃいけないんだろうな……とは分かっていたけれど、譲れなかったし。

 それでなんとか許可を貰ったはずだけど……。


 気が変わったのかな、と思って、分かった。行くね。と私は返信する。着替えるために立ち上がって、クローゼットの前まで歩いた。


 ……提出期限は12時。もうそれを過ぎてるから……ゆいくんは大学にはいない、よね? ……だからきっと、大丈夫。


 私は着る服を決めると、パジャマを脱いでそれを着る。お気に入りのふわふわバッグに、スマホとお財布だけ入れて。


「……お母さん、私、大学まで行ってくるね」

「……え!? ふわり、体調は?」

「大丈夫。……すぐ帰ってくるし。行ってきます」


 行ってらっしゃい、と呆然交じりに返してくれるお母さんを背に、私は家を出る。自転車は……鍵を持ってくるのを忘れてしまったけれど、部屋に戻るのも面倒くさかったので、徒歩で行くことにした。足早に大学までの道を歩いていく。


「……あっ、ふわり、この後通り雨って予報……って、もういない!!」


 だから私は、その言葉を聞き逃してしまった。





 私は久しぶりに大学に足を踏み入れる。数日来ていなかっただけなのに、もう数年ぶりのような錯覚に陥っていた。

 校内にはあまり人の姿がない。やっぱり授業最終日だから、早めに授業を終わらせてくれる先生が多かったのかも。いるとしたら、サークル活動をしている人くらいだ。


 だけど私は脇目を振らず、先生がいる部屋に急ぐ。……早く用事を済ませて、早く帰らなくちゃ……。



「──ふわり!!」


 そこで、名前を呼ばれる。



 私は、振り返ってしまった。それが間違いだったと気づくのは、すぐで。


「ゆいくっ……」


 そこに立っていたのは、数日ぶりのゆいくんだった。彼は真っ直ぐに私のことを見ている。私はそれを……見つめ返してしまった。


 ……やっぱり私、ゆいくんのことが……好き。会えて嬉しい。ゆいくんが私の名前を呼んでくれるのが、こんなにも嬉しい。


 ……でも、駄目だ。やっぱり、持っちゃいけない思いを捨てられてない。ゆいくんに触りたい。もっと色んなゆいくんの表情を見たい。私の手で。……その思いが、暴れて、溢れ出しそうになる。


 だから私はすぐに踵を返して地面を蹴った。先生への用事なんて、あっという間に頭の中から吹っ飛んでしまった。とりあえず今は、ゆいくんから離れなきゃ。それだけを考えて──。


「待っ……待ってふわり、逃げないで!!」


 だけどゆいくんの方が足が速い。私はあっという間に追いつかれて、腕を掴まれてしまった。反射的に振り払おうとするけど、やっぱりそこは男の子が相手だからか、全くびくともしなかった。


 私は逃げることも出来なくて、でもゆいくんと目を合わせてしまったらどうにかなってしまいそうで、だから私は、俯くしかなかった。俯いて、ゆいくんと顔を合わせないように必死だった。


「……ふわり……」

「……」

「……ッ、ふわり、俺、何かした……? ふわりは……俺のこと、嫌いになった……?」

「っ、え、嫌いになんてっ……!!」


 嫌い、という単語に反射的に顔を上げてしまう。ゆいくんと至近距離で、目が合って。……ゆいくんは、とても悲しそうな顔をしていた。


 ……やだ、私、ゆいくんの……楽しそうで、嬉しそうで、とてもふわふわ幸せそうな……そんなゆいくんの笑顔が見たいのに。

 結局私が、ゆいくんからその顔を奪ってしまっている。


「きらい、じゃ、ないよ……」


 見ていられなくて、私はまた俯く。でも嫌いだと勘違いされたままなのも嫌で、それは否定して。


「……嫌われてないなら良かった、けど……」

「……」

「じゃあ、ふわり……どうして俺のこと、避けるの? メッセージだって見てくれてないよね。……俺が、知らないうちに何かしたなら……ちゃんと言ってほしい。何も分からないまま縁が切れるのは……そんなのは、嫌だ」


 ちがうよ。ちがう。ゆいくんは何も悪くない。本当に、何一つ、悪くないんだ。

 悪いのは、私だけ。私がいけないんだ。


 私が、こんな思いを持って……もう、ゆいくんとお友達だって、胸を張って言えなくなっちゃったから。


 ……でも、どう転んでも、結局ゆいくんに、そんな悲しそうな顔をさせてしまうくらいなら……。


「……ゆいくんは悪くないよ。悪いのは、私」

「……え、それって、どういう……」

「だから、ゆいくんは気にしないで。私、もうゆいくんと……さよならするから。ゆいくん、遠くに行くって言ってたし、それでもう、ちゃんと、縁を切ろう……!!」

「えっ、なんで、なんでそういう話になるんだよっ。ていうか、俺が遠くに行くって──」


 ゆいくんが戸惑ったように聞き返し、私の腕を掴む力を少しだけ強めた瞬間。



 ざーーーーっ、と、突然私たちの頭上を大雨が襲った。



「えっ、えぇっ!? さっきまで晴れてなかった!?」

「急に天気悪くなって……っ、ふわり、こっち」

「あっ……」


 私はゆいくんに掴まれた腕を引かれる。二人で小走りで飛び込んだのは、階段の影。


 ……懐かしいな。ここで私、ゆいくんにどうしてメッセージをくれなくなったのか、聞いて……。

 ……今じゃ私が、聞かれる側だな。


 隣でゆいくんは、スマホで何かを調べている。スマホに目を落とすその横顔。顔の輪郭に沿うように雨粒が流れて、前髪からも雨粒が雫を垂らしている。無意識に、手を伸ばしたくなってしまって。またこの思いが、自分勝手に暴れ出しそうになって。……それを必死に抑える。でも、ゆいくんを見つめるのをやめられなそうだった。

 だがそんな私に構わず、目的の情報を得たのか、ゆいくんは顔を上げる。


「通り雨だって。十五分くらいで止むみたい」

「そ、そうなんだ……」

「うん……」


 こちらを見られたので、私は目を反らす。

 ゆいくんも隣で、何も言わない。雨の音だけが、私たちの間を無関心に通り過ぎていた。

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