第26話「それは、どういう意図で言ってるの?」
柚葵さんの家の前までやって来る。……家から出て、よくこんな立派な家を建てたな、なんて考えながら。
でも、と思い出す。──柚葵さんは昔から、よく夢を語る人だった。
──私はいつかこの家を出て、自由に生きていくんだ。
──南條って名前に縛られて生きるのは、もうウンザリ。
──色んなところに行って、写真を撮って回るよ。そうしたら惟斗、アンタにも見せてあげる。
昨日のことのように思い出せる。十年前の記憶なんて朧気なものが多いけれど、何度も口酸っぱく言われたからだろうか。柚葵さんのその声は、容易に思い出すことが出来た。
他にも色々語って気がする。好きなだけスイーツを食べるんだ、とか、素敵なお嫁さんになるんだ、とか、自力で大豪邸を建てるんだ、とか……。今思い出すとほとんど叶えているんだから、本当にすごい行動力だと思う。
俺は……柚葵さんみたいに堂々と夢を語れたことなんてない。行動力も、本当に全然ないし。だから……俺は少し、柚葵さんに憧れている。まあ、本人には絶対言いたくないけど。
そんなことを考えながら、俺はインターホンを押す。ぴんぽーんと音が鳴り、どたばたと中から盛大な音がした。
「惟斗!! いらっしゃい、早かったね~」
「……どうも」
テンション高く扉を開けた柚葵さんに、俺はそれだけ返す。入って入って、と背後に回られたのち背中を押されたので、促されるまま俺は家の中に入った。
そして昨日ふわりがいた部屋と同じ部屋に通される。ごめんね~、夫は今いないからスイーツもないの。と柚葵さんが告げ、別にそれ目的で来たわけじゃないし……と俺は返す。
アップルジュースを出され、俺はお礼を言うとそれを口に含んだ。
「で、惟斗から連絡なんて珍しいじゃん? どうしたの?」
「……あー……」
柚葵さんは紅茶を片手に身を乗り出してそう尋ねてくる。俺はコップを机の上に戻してから、口を開いた。
「……実は、今日大学で……ふわりに元気がないって、ふわりの友達から聞いて。昨日何かあったんじゃないかってすごく心配してたから、柚葵さんは何か知らないかと思って……ほら、柚葵さん、昨日ふわりと話してたし……」
「ふわりちゃんが? ……んー……」
俺の問いかけに、柚葵さんもティーカップを机の上に置く。そして真剣な顔で熟考し始めて。
アップルジュースを飲みながら答えを待っていると、天井を仰いでいた柚葵さんが勢い良くこちらを見つめた。
「……申し訳ないけど、私に心当たりはないかな」
「……そう」
「というか私は、ちゃんとふわりちゃんと話したのは昨日が初めてだし……正直、元気がなかったとしてもよく分からないかもしれないね。まあふわりちゃん、私の目にはすごく元気に見えたけど……」
「……そうだね。それもそうか」
「あんたが何かしたんじゃなくて?」
「……それ、ふわりの友達にも聞かれた」
なんで何でもかんでも俺に視線が向くのだろう。
宝船さんと笑原さんに返したのと同じように、何もしてない……と思う。と、歯切れの悪い返事をして。だってそこは本人に聞かないと分からないし。俺が無意識のうちに何かをやらかしてしまった可能性も、無いわけじゃないだろうし……。
はっきりしないわねぇ、と柚葵さんは笑い、再びティーカップを手に取った。
……柚葵さんにも心当たりはない……か。まあ柚葵さんといたふわりはいつも通りニコニコしていて……かわいくて、いつもと違った様子はなかったと思う。
……いつも通り、撫でてもらって……うーん、やっぱり、いつもと違うことといったら耳を触られたくらいだけど……耳は髪の近くにあるものだから、触ってしまうことだってあるだろう。だからそれが関係あるとは思えないし。
そこで俺はふと、俺を撫でる時のふわりの顔を思い出した。……撫でてる時のふわりは……なんというか、すごく嬉しそうにしてて。……でも、どこか、怖い雰囲気もあって……何て言えばいいんだろう。たまに、飲み込まれそうって思うっていうか……でも別に、嫌ではなくて……。
昨日、俺を撫でていた時のふわりも……同じ顔をしていた。いや、むしろ今までより雰囲気が増してたかも……。
ぞく、と背筋が震えるような感覚がして、慌ててその記憶を頭から振り払う。違う違う、今はそれを考える時間じゃない。
別れ際も……いつも通りだったと思う。また今度ね、と当たり障りない言葉を掛けあったくらいだし。
……ふわり、大丈夫かな……。
「心配なら、様子を見に行けばいいんじゃないの?」
「……今から様子を見に行くとなると、たぶん家に行くことになるんだけど」
「行けばいいんじゃない?」
「付き合ってもない男が行っていいとこじゃないでしょ」
「付き合えばいいんじゃない?」
「…………………………それは、どういう意図で言ってるの?」
また反射的に大声で聞き返しそうになったが、宝船さんと笑原さんの件で学習した。努めて冷静に、そう返す。
しかし柚葵さんは、別に? と微笑むだけだった。
その会話を皮切りに、俺も、柚葵さんも、何も言わない時間が生じる。口寂しいのでアップルジュースをチビチビと飲み進め、ふわりは今何をしてるんだろう、とぼんやりと考え始めると。
「……惟斗、私も話があるって言ったと思うんだけど」
「……ああ、うん。そういえばそんなこと言ってたね」
柚葵さんが俺にそう話しかける。言われて初めて思い出して、半ば無意識にそう返答した。
意識を目の前にいる柚葵さんに戻す。すると彼女は……いたく真剣な顔をして、口を開いた。
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なんとか家に帰ったはいいものの、ベッドに横たわってもやっぱり眠れなくて、だからといってレポートを進める気にもなれなくて、私は外に出ていた。何かをしていないと、ずっと考え込んでしまいそうだったからだ。
猫ちゃんが日陰で休んでるなー、とか、小学生はこの時間だともう帰ってるんだー、とか、お花綺麗だなー、などと、とにかく色々考えていく。他の思考を挟まないように。
……でも、分かっていた。誤魔化そうとしたって無駄だった。私の中にある自責の念は、いつまでも私のことを縛り続ける。
こんなことを考えてしまっては駄目だ。ゆいくんの体目当ての私なんて、存在しない方がいい。きっとゆいくんとお友達じゃいられなくなる。私が、壊してしまう。
うー、うー、と心の中で呻いて。ふと自分の顔がお店のショーウィンドウに映っているのが目に入る。日恋ちゃんの言う通り、私の両目の下にはくっくりとクマがあって、寝ていないのは明白だった。
というか……すごく、酷い顔をしている。これじゃあ、心配だってされて当然だよ。
やっぱり帰って、休んだ方がいいかも。そう思って私は踵を返したけれど。
「あれ、君は惟斗くんの友達の……」
「……あ、柚葵さんの夫さん」
こんにちは、と頭を下げる。こんにちは、と彼は頭を下げ返してくれたけれど、顔を上げた彼はやはり心配そうに私を見つめていた。
しばらく見つめ合って何も言わない時間が続く。どうしよう、と回らない頭で考えていると、彼の方が先に口を開いた。
「……これからスイーツを作るんだけど、良ければ食べに来るか?」
きっと彼なりに私のことを気遣ってくれたのだろう。
まあ家に一人でいても、また考え込んでしまってまともに休めないだろうし……と思い、私はぜひ、と頷いた。




