第2話「トゲトゲは敵~~~~っ!!!!」
その日から私は、校内でふわふわ髪の人──じゃなくて、西園寺くんを見かけると、目で追ってしまうようになった。
ああ、西園寺くん、今日も髪がふわふわ……。
微かに開いた窓から吹き込む風……それがふわふわな髪をいたずらに撫で、颯爽と去っていく……髪はふわふわと揺れる……あゝ、ふわふわ……今日も眼福です、ありがとうございます……。
と、そうして目で追っていると、意外と西園寺くんを見かける機会が多いということを知った。なんてことはない。取っている授業が結構被っているらしい。過去の私、よくこれらの授業を取った。グッジョブ!!
「ふわふわりは今日も御曹司に夢中だね~」
「御曹司にっていうか、あの髪に、ね……」
「あ、綺羅ちゃんに日恋ちゃん」
聞きなれた声に顔を上げる。そこには呆れ顔の私の友人たちが立っていた。
荷物で埋めていた椅子を開けてあげると、二人はそこに座る。そして私は西園寺くんに視線を戻した。はわ~、ふわふわな髪……。
「……確認なんだけど、ふわりって本当にあの西園寺惟斗に恋してるわけじゃないんだよね?」
「え? うん」
この前から何度も聞かれていることだ。そして今日も私は頷く。
私の変わらない回答に二人は盛大なため息を吐いて、心配するような視線を私に向けてきた。
「いや、西園寺惟斗ってどう考えても茨の道だから、友達にはわざわざそんな道歩いてほしくないわけ」
「西園寺くんはふわふわだよ」
「容姿の話じゃなくて!!」
「いや、西園寺惟斗ってふわふわなのか……? どちらかといえば爽やか王子様~……って感じだけど」
「分かる。ふわふわって言ったらふわりだし……西園寺惟斗のイメージからは遠いっていうか……。ていうか西園寺惟斗っていつも女子に囲まれてるだけで、誰とも付き合ったことはないって聞いたことあるけど、実際どうなんだろうね」
私への質問だったはずが、気づけば西園寺くんの話にすり替わっている。二人がこんなに気にかけて話すくらいなんだから、西園寺くん、本当に人気者なんだな~、と私は再び彼を見つめる。
気づけば彼は多数の女の子に囲まれていて──この前会った時とはメンツが違う気がする──その子たちに対しにこやかに対応していた。相変わらず綺麗な笑顔だなぁ、と思っていると……ふと、目が合う。
一瞬、時が止まったような錯覚があって、私はどうすればいいか分からなくなってしまった。ずっと見てるだけだったから、まさか目が合うと思ってなかったというか。えーっと、私が友達と目が合った時は……。
にこっ! と笑って軽く会釈する。すると彼は少し驚いたように目を見開いてから、小さく会釈し返してくれた。そして女の子たちの会話に戻っていく。良かった、合ってたみたい。
「ふわり、あ、あんた今……」
「え? どうしたの綺羅ちゃん」
「……西園寺惟斗と微笑み合ってなかった?」
「? うん、目が合っちゃったから、会釈した」
……なんで二人とも、そんなに驚いたような顔してるんだろう? だって、何もしないで目を反らすより、笑いかけた方が人間として印象良くない?
「ふわふわりは今日も平常運転だね……」
「いつかどっかで無自覚に恨み買って、後ろから刺されないか心配」
「その時は私たちが守ってあげないとね」
「うん、そうだね」
「綺羅ちゃん、日恋ちゃん……そんなに私のこと、大事に思ってくれてるんだねっ。私もいざという時は、二人のこと守るよ!!!!」
「「ふわりには無理」」
「なんで!?」
二人に同時に答えられ、私は思わず抗議の声を上げる。しかしそれと同時にチャイムが鳴って、先生が講義を始めてしまう。私の抗議は流されてしまったのでした。
授業が終わると、綺羅ちゃんはバイト、日恋ちゃんはサークルということで、そこで解散ということになった。……また一緒にふわふわ~のかき氷食べたかったけど、予定があるなら仕方ないよね。
一人で食べに行ってもいいんだけど、それはちょっとつまらないかな。と思う。
だって、美味しい~! とか、ふわふわ~! とか、可愛い~! とか、そういう感覚って、人と共有出来るから楽しいものじゃない?
だからふわふわのかき氷はまたの機会にしよう!! と私は決心する。今日は家に帰って課題をして……とこの後のスケジュールを頭の中で組み立てながら駐輪場まで歩いていると。
「だから、俺は何もしてない」
「ッ、でも現にサンゴは、お前にベタベタしてるじゃないか!!」
前方から怒号にも似た声が聞こえてきて、私は思わず肩を震わせた。
ここで回れ右をするべきだったんだろうけど……そこは野次馬精神が働いてしまったというか。悲しい人間の性だ。私は物陰から声の正体を覗いてしまった。
そして目を見開く。そこにいたのは、一人の男の人に詰め寄られている西園寺くんだったから。
西園寺くんは気まずそうに俯いていて、西園寺くんに詰め寄っている男の人は顔を真っ赤にして、いかにも怒っています! という様子だった。さっきの大きな声は、この人なんだろうな。
……状況はよく分からないけど……とにかく、ふわふわじゃないことは分かる。西園寺くんは悲しそうだし、男の人も怒ってて辛そうだし、全然ふわふわじゃない!!
でも……私が首を突っ込んでどうにかなることじゃ、ないよね。
西園寺くん、ごめんなさいっ、と心の中で勢い良く頭を下げてから、私は今度こそ踵を返す。最悪歩いて帰れるし……と駐輪場の自転車を諦めて。
……目の前を飛ぶ蜂と目が合った、気がした。
「……へっ……」
ぶぶぶぶ、と微かな振動音が響いている。あっという間に全身から血の気が引くのを感じていた。
きらりーん、と、蜂の持つ針が煌めいた気がする。いつかどっかで無自覚に恨み買って、後ろから刺されないか心配。という日恋ちゃんの声がどうしてか頭の中に甦って。
「こ、来ないでっ……」
言葉が通じない相手に、思わず懇願する。だけどこういう時って何故か、絶対願いが通じないよね。……蜂は羽音を立てて、こちらに向けて飛んできた。
は、蜂っ、虫の中で一番苦手なのに!! だって……だって……!!
「トゲトゲは敵~~~~っ!!!!」
私は叫ぶと、踵を返して地面を蹴る。だってだって、トゲトゲは全くふわふわじゃな~~~~いっ!!!!
「うわっ、何……って!? 蜂!?」
逃げ出した先は、西園寺くんと怒ってる男の人の間だった。男の人は蜂に気づくと私と同じように青ざめて、一目散に走り去ってしまう。あっ、置いて行かないで~!! いや、お話したこともない人だけど!!
「っひゃぁっ!?」
そんな風に焦っていたら、私は地面の段差に躓いて転んでしまった。……そういえばここ、自転車で通ると地面が凸凹だからいつもガタガタ揺れて……それが楽しいんだよね……。でも今日はそれに笑われちゃったみたい。
後ろは振り返れない。蜂が襲ってきたらと思うと……私は目を閉じて。
「──ちょっと、ごめんね」
「……えっ?」
不意に左腕に灯る、温もり。私が目を開き、顔を上げると、そこには西園寺くんの綺麗な顔が。
「立って。離れよう」
「えっ、えっ」
戸惑う私は、引っ張られるまま立ち上がる。そして西園寺くんの小走りのスピードに、転びそうになりながら付いていって……。
少しだけ後ろを振り返る。そこには一枚の上着が落ちていて、それはさっき西園寺くんが着ていたものだったような? と思う。でも曲がり角を通ったら、見えなくなってしまった。