第二十一幕
行為の後のけだるさの中、何やら生まれ変わった様な気分を味わう。
目につく者触れる者感じるもの全てが新鮮で清々しい。この世は『男』と『女』で出来ている。
『女』を知るという事は、世界の半分を新たに知るという事に等しい。自分の世界が二倍になるのだ。生まれ変わった様な気分になってもおかしくはない。高揚した気分のまま、僕は枕元にあるスマホを手に取り、音楽アプリを起動した。自分の第二の誕生日を、『イングリッシュマン・イン。ニューヨーク』お気に入りで祝おうとして・・・・・・やめた。愛する女と愛し合った後で聞く歌ではない。僕にだってそれくらいのTPОはある。少し考え、僕はスマホの奥からこの場に相応しい一曲を引っ張り出す。
エアロスミスの『ミス・ア・シング』
言わずと知れた映画『アルマゲドン』の主題歌。恋人同士ではなく、父が娘を想う歌なので、厳密に言うとこの場にはなじまないが、まぁ、そこはまぁいいだろう。いいムードを創り、女の子をメロメロにしたいのならば、このバラードにかなう歌はない・・・・・・と思う。荘厳さすら感じるイントロの後、静かに流れる歌い出しには、押さえつけられた狂おしい程の情念を感じる。耳朶をそっと撫でるその渋い歌声には、何人たりとも犯しえない風格すら漂う。サビをシャウトするスティーブン・タイラー。歌詞、メロディ―、そして曲に込められた魂、間違いなく今世紀最高のバラードの一つと言っても過言ではないだろう。世界中で大ヒットしたのも頷ける。そんな事を考えながらスティーブン・タイラーの世界に浸っていると、僕の胸の上で綾子がくすりと笑った。
「どうしたの?」
「北斗、お前はこの歌それ程好きではないだろう」
うっ、と息を呑む。その通りだ。間違いなくいい歌だと思うのだが、何故か心にピッタリとはまらない。図星をくらい、面喰う僕を前に、綾子がどこか得意げな笑顔を浮かべる。
「何故分かったの?」
「こうやって一緒に暮らし始めてから大分経つだろう。お前の事は何でも知っている。いいんだ。お前の好きな曲を流せ。それがこの場に相応しい曲だろう」
僕の中で処女を脱ぎ、『女』になった綾子。気のせいかその所作や声に、今までにない何か新しいものを感じる。世界が広がったのは僕だけではない、という事だろうか。そんな事を考えながら、僕は少し考え、『シェイプス・オブ・マイ・ハート』を場に流す。どこか物悲しさを感じるイントロが、いつも以上のせつなさをもって、僕の心を優しく包む。
「ゴメンな、ロマンティックな曲一つ流せない」
僕の自嘲を、綾子がその小さな笑みで笑い飛ばす。
「そんなもんお前に期待してない。お前の好きな曲がいい。それがこの場のロマンティックだ」
〽僕が告白したら君は何と言うだろうか
「何かがおかしい」と言うだろうか?
ふふっと綾子が笑う。
「この不器用なところはまるで誰かさんみたいだな」
ちぇっ、と僕は憮然とする。
〽知っているよ、スペードは剣で
クラブは戦争の道具
〽僕のハートの形じゃない
「私のハートは一体どんな形なのだろうな?」
零れ落ちる熱い吐息の中に、綾子がふと言葉を織り交ぜる織り込む。
「心に『形』なんて無くていい」
そういって僕は、胸の上にいる綾子を強く、ただ強く抱きしめる。
「ん? 何故だ」
熱い抱擁の中で、綾子がその瞳を煌めかせる。
「『形』があると、また『合う』とか『合わない』っていざこざが始まる。いざこざの元だろ?そんなもん無くていい。少なくとも僕に対してはその心を形にしないでくれ」
「気の利いた事言う様になったな」
輝く瞳を瞼の陰に忍ばせ、綾子がしがみついてきた。
悲しみにそっと寄り添ってくれる様な深みのある歌声が、静かに心を揺らす。僕は愛に浸りながらその感覚に身を委ねる。
〽彼は瞑想する様にカードを配る
静かに目を閉じた僕の胸を、綾子がその舌でそっと撫でる。
〽その動きには一切の迷いがない
綾子が指で僕の胸毛を弄りはじめた。
〽彼は金欲しさにやっている訳じゃない
「意外と毛深いのだな」
〽尊敬されたい訳でもない
「毛深いのは嫌い?」
〽彼は答えを見つける為にカードを配る
「好きも嫌いもない。お前だったら何でもいい」
〽神聖で幾何学的なチャンスに
重なり合う瞳、合わさる唇、溶け合う笑顔。
〽起こりうる結末の法則が隠されている
綾子がぺろりと僕の乳首を舐めた
〽そしてその数字がダンスを導き出す
「ひゃっ! な、なにすんだよ」
〽分かっている。スペードは兵士の剣なんだろ
「いや、なに。なんか毛深い割には上品な乳首だな、と思ったら急にいじめたくなってな」
〽クラブは戦争の為の武器だ
「このやろう! お仕置きだぁ!」
〽そしてダイヤは芸術のための金だ
また綾子にのしかかる僕。一物はいつの間にか激しくそそり立っている。
〽けれどそれは僕のハートの形じゃない
綾子の両腕が僕の背にまわり、その両足が僕の腰を包み込む。
〽彼はダイアのジャックを使うのかもしれない
激しく絡み合う二人。
〽彼はスペードのクイーンを置きそうだ
お互いが無心で相手を貪り合う。
〽彼はキングをその手で隠すだろう。
お互い昇りつめ、快楽の余韻に浸る二人。
〽違う、それは僕のハートの形じゃない。
「この曲もスティングか?」
激しい行為で疲れたのか、隣で伏している綾子がやや物憂げに問うてきた。
「そうさ。気に入らない?」
「ふむ、そうだな」
綾子は手にしていた僕のスマホを傍らに置いた。その画面には、『シェイプス・オブ・マイ・ハート』の歌詞カードが表示されている。
綾子は僕の乳首を人差指で弄りながら何やら考えている。僕はくすぐったさに耐えながら、静かに答えを待つ。
「やめておこう」
「何を?」
綾子は出会った頃に比べて随分と長くなった髪をかきあげる。
「聴いた歌に対してああだのこうだの言うのは何となく野暮な気がしてな」
「考えすぎだよ。聴いた音楽を語って何がいけないのさ」
そう言って僕は綾子の鼻を軽く指で弾いた。彼女は一瞬だけその目を丸くした後、いつもの様に勝気な笑顔を浮かべる。
「歌というものは心で感じるものだろう。言葉で現すものじゃない」
いい女だな、と僕は思う。この女に惚れた自分を褒めてやりたい。自然と綾子を抱く腕に力がこもる。瞳に微かなまぶしさを感じ、窓に目をやる。いつの間にか月明りが儚げな黄金色へと変わっている。思い存分愛し合っている内に夜が明けてしまったらしい。
「しまった、寝るのを忘れていた」
綾子の髪をすいている僕の手が止まる。その手に自分の手を重ねながら綾子が言った。
「まだ少しだけ時間はあると思う。二時間程寝よう。取り敢えずそれで何とか動けるだろう」
「分かった」
そう言って頭を枕に落とす。そんな僕に綾子がぎゅっとしがみついてくる。片腕で綾子を抱き、僕は言った。
「必ず迎えに来る。だから絶対に待っていてくれ」
再びクスリと笑いこぼし、綾子は言った。
「ああ。待っている。必ず迎えにこい」