第十八幕
いつもありがとうございます。作者です。
すみません、今週ちょっと忙しくて短めです。
申し訳ありませぬ(´・ω・`)
地獄の底からわき上がって来たかの様な咆哮が、二人の鼓膜を激しく震わせた。
「な、なんだ?」
綾子の拘束を解き、思わず周りを見渡す僕。ふと腹の下の綾子を見ると、彼女は顔を真っ青にして宙の一点を見据えている。その視線の先には山の頂がある。彼女は腹の上にいる僕をどけるとおもむろに起き上がり、壁にかかっているライフルを掴んで言った。
「少し出てくる。お前はここにいろ。絶対にここから出るなよ」
「僕も行くぞ」
「だめだ! お前はここにいるんだ」
槍を取りに行きかけた僕を一喝する綾子。その語勢はいつになく厳しい。
「なんでだよ! 僕は君のパートナーだろ?」
「いいからここにいろ! 今この山は危険なんだ!」
「危険? 何が?」
綾子は一瞬しまった、といった表情を浮かべるも、すぐに表情を引き締め断固たる口調で言う。
「ここにいろ。分かったな」
綾子の表情に滲んでいる凄まじいまでの覚悟が、僕の舌を凍り付かせる。不安げな僕を安心させる為か、綾子は軽い微笑みを一つ残し、外へと飛び出して行った。
「心配するな、すぐに戻る」
外套を手にそう言い残して。
綾子
闇の中を疾走する。暗い山道だが、三年間毎日駆け巡った山だ。どこに何があるかなぞ頭の中に刻みこまれている。自分の家の庭を駆けるのと大して変わらない。綾子は銃を片手に、まるで猿の様に山を駆け上がっていく。目指すは頂上にある一際大きな岩。そこの上にあがり、五感を研ぎ澄ませばこの山の状況は殆ど把握できる。
(戻ってきたのか、奴が)
綾子の脳裏によぎる忌まわしき記憶。嚙み砕かれた頭蓋骨の残骸、地に撒き散らされた脳漿、食い散らかされた内臓、引き出された腸、小石大と化した骨の欠片、それらが真紅の絨毯の上で無造作に転がっていた・・・・・・。変わり果てた祖父の遺体。返り討ち。『奴』に挑んだ祖父の結末。その遺体を地元の猟師と共に拾い集めた。涙は出なかった。手にした肉や骨、内臓の欠片一つ一つが祖父であるという事実に対し、どうしても現実感がわいてこなかったのだ。淡々と死体を集め、簡素な葬儀を済ませた。祖父を送り出した後、遠い親戚を名乗る者達が総出で山を降りるように説得してきたが、それらを振り切って山に戻った。もう都会なぞは真っ平だ。揺るぎない思いは微塵も変わっていなかった。綾子が祖父の死を受け入れられたのはそれから半年後、何気なく手に取った祖父の手袋に虫食いを発見した時だった。傷んだ手袋が涙の向こうで、力なく掌にその身を委ねていた。
頂上に辿り着く。岩に飛び乗って深呼吸を繰り返しつつ五感を研ぎ澄ます。空気の音、匂い、味、肌を撫でるその感じが山の現状を教えてくれる。
(血の匂い。動物達が怯えている・・・・・・)
肌が粟立ち、うなじがチリチリする。鼻の奥がツン! とするこの感覚・・・・・・。
(やはり『奴』か。戻って来たのか)
綾子は岩の上から飛び降り、小屋へと向かう。
(もうこの山に安全な場所なぞ一ヶ所もない)
銃をきつく握りしめる。そこから返ってくる頼もしい筈の手ごたえは、心中の不安と恐怖を微塵も減じてはくれなかった。
登りよりも時間をかけて、綾子慎重にかつ素早く山を下る。小屋に辿り着き、周りを見渡してから扉を開く。中で北斗が座り込んで槍を作っていた。そんな彼に綾子はかまちにあがりながら声をかける。
北斗
「北斗、山を下りろ。明日の朝、麓まで送る」
聞こえていないのか、僕はあえては返事をせずに、一心不乱に木の先端を尖らせる。
「聞こえているのか?」
綾子の声に苛立ちが混じる。そんなものに構うことなく、僕は言葉短く綾子に問う。
「何故?」
「なに?」
僕は槍の先端を己の目に向け、その尖り具合を確認しながら言った。
「理由を聞きたいな。僕が山を下りねばならない理由。この数ヶ月、一緒にやってきたんだ。僕にも知る権利くらいはあるだろう」
心中でわき起こる不安や激情を意志の力で捻じ伏せつつ、僕は淡々とした口調で問う。綾子はため息をつきつつ、北斗の前にドカリと座って言う。
「分かった。ちゃんと話す」
僕は槍を削る手を止め、綾子に向き直る。それを確認して綾子は話し始めた。
それは要約すると以下の通りだ。